10.幻影の中で
気が付くとクラトスはどこかの家の中に立っていた。何が起きたのか理解できず、困惑した表情で周りを見回した。
古い木造の小さな家。今は火が消えている暖炉の前にある安楽椅子。真中に置かれたテーブルには一輪の花が飾られていた。
クラトスはこの情景に既視感を覚えた。いや、確かに自分はここを知っている。だが、思い出せない。
外に出てみようと戸口に向かいかけたクラトスは、二階から聞こえてきた話し声に足を止めた。
(誰かいるのか…?)
クラトスは踵を返すと階段を上って行った。
二階では二人の女性が深刻な顔つきで話し込んでいた。
「すみません。」
遠慮がちに声をかけてみたが二人ともクラトスに気付く様子はない。少し大きな声でもう一度かけてみるがやはり反応はなかった。
(私が見えていないのか…)
二人の女性はまるでそこにクラトスは存在していないかのように話を続けていた。
「そう…あの人は戦死してしまったのね。」
赤ん坊を抱いた女性が悲しげに呟いた。
「まだ分からないわ、お義姉さま。行方不明というだけでお兄様は生きているかもしれない。」
今まで物陰にいて見えなかったもう一人の女性が義姉に近寄ってきた事で、クラトスにもその姿を確認する事ができた。
そのとたん、クラトスは危く叫び出しそうになった。
(アマンダ!!?)
アマンダはクラトスの叔母であった。物心ついた時、クラトスの両親はすでに亡くなっていた。そんな彼を引き取り育ててくれたのがアマンダだった。アマンダはクラトスにとって母親代わりの叔母であると同時に、彼が自分の存在の全てを賭けて愛した最初の女性でもあったのだ。この数年後、彼女は非業の死を遂げる事となる。その彼女の死は長きに渡り、クラトスに暗い影を落とす事になるのだが、それはまた別の話の中で…。
(アマンダが何故ここに?ここは過去という事なのか?そうだとすると、あの女性と赤ん坊はまさか…)
「あの人が逝ってしまったのだとしたら、この子は一人ぼっちになってしまう…。アマンダ、あなたにこんな事を頼むのは本当に気が引けるのだけれど、私がいなくなったらこの子を…」
「お義姉さま!!どうしてもやめる事はできないの?こんな時にこの子を置いて行ってしまうなんて…それじゃあ、この子があまりにも可哀そうだわ!!」
「私の事はあなたにも話したわよね。私は自分の責任を果たすためにも行かなくてはならないの。」
女性は腕の中の赤ん坊に愛おしげに頬ずりした。
「私だってこの子と離れたくはない。私の子として生を受けてしまったが為に、この先この子は苦難の道を歩んでいかなくてはならないでしょう。そんなこの子を母としてずっと見守っていてあげたい。でも、それは許されない事なの。私にはどうしてもしなくてはならない事がある。」
「…分ったわ。この子は、クラトスは私がお義姉さまの代わりに必ず…」
(!!!)
アマンダの言葉に驚愕の表情を浮かべたクラトスの体が再び光に包まれた。そしてそのまま彼の姿はかき消えたのであった。
その頃、アンナも見知らぬ所に立っていた。深い静かな森の中。アンナはきょろきょろと見回しながら歩き始める。
しばらく歩き続けていると綺麗な泉のある開けた場所に辿り着いた。泉のそばに二人の女性の姿を発見する。
駆け寄り話しかけようとしたアンナは、耳に飛び込んできた二人の会話の内容に目を見開き足を止めた。
近くの岩陰に身をひそめ、二人の様子を窺った。
「このままではエビルの為にこの世界は崩壊してしまうでしょう。」
「ソアラ様…」
「どうして人は争い、憎しみ合うのでしょう。こんな事になるのならあの時あのまま残るべきだった。」
「ソアラ様は人を愛し、信じたのです。私は間違ってはいなかったと思います。」
「アレグナ…でも結果世界は混乱してしまったわ。この世界に戻ってはきたものの力を失っている私にはあの子を止める事はできない。しかもエビルは今とてつもなく恐ろしい事を考えている。何としてもこれだけは阻止しなくてはならない。」
「ソアラ様は悲しい別れをしてきたいうのに、エビル様はどこまでソアラ様を苦しめれば気が済むのでしょう。許せない。エビル様の事はお任せ下さい。ソアラ様に代わって私が必ず止めてみせます。」
「別れをしてきたのはあなたも同じでしょう?生まれたばかりの娘を置いてきたのだもの。それに今あなたの中には新しい命が宿っているではないの。これ以上あなたを巻き込む事は出来ないわ。私が何とかします。」
「ソアラ様の力の根源を封じ込めた輝石は今ここにはないのですよ。この世界に分け与えた力だけでは今のエビル様には到底及びません。ソアラ様を失ったらこの世界は本当に滅びてしまうでしょう。やはりソアラ様を行かせる訳にはいきません。このアレグナが参ります。」
「いけないわ。その生まれてくるあなたの子はこの世界の最後の希望になるかもしれない。今あなたを死なせてしまったら唯一の希望の光を絶ってしまう事になる。」
「この子は産んでから行きます。たとえ私が倒れても、必ずやこの子が遺志を継いでくれるでしょう。」
「アレグナ…」
「私はソアラ様を守る為に存在するのです。」
アレグナの体が光に包まれる。
そして現れたのは…
(竜!!?)
アンナは驚きのあまり尻もちをついてしまう。
金色の光を放つ竜のこの世のものとは思えぬ美しさに、アンナはあんぐりと口をあけたまま身動き出来ずに呆然とするのだった。
「?????」
気が付くと、アンナは元の薄暗い神殿の中に戻っていた。
「何?何?何だったの今のは?」
「どうやら我々は幻影を見せられていたようだな。」
背後から聞こえた声にアンナは振り返った。
「クラトス!!……幻影って…」
「お前も見てきたのだろう?自分に関する“何か”を。」
「私に関する事?あれが?」
クラトスは眉をひそめる。
「違うのか?」
「え?だって、私が見たのは…森があって…綺麗な泉があって…女の人が二人話をしていて…ピカ〜と光ったら一人が竜に変身しちゃって…」
「???…何だ?お前の言っている事は意味不明だぞ。」
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜」
するとその時だった。更に説明しようをするアンナの背後に突然光が舞い降りてきたのである。
「!!?」
光は目を丸くしている二人の前で徐々に人の形となっていき、やがて水色の長い髪の女性の姿になり二人の前に降り立った。
そしてその女性は優しい微笑みを浮かべると、こう言ったのである。
『よく来てくれました。運命の絆で結ばれし者たちよ。』
−幻影の中で 終−