5.揺れる心
最近の私って何か変…とアンナは思う。気が付くとぼんやりとクラトスを眺めている自分がいる。
先日の一件があってから、彼は本当に自分に何も言わなくなった。一々口出ししてきて煩いと思っていたものの、いざ何も言ってこなくなると寂しいと思ったりもする。
感情のない機械のような男だと思っていた。だから先日彼が見せたあの表情にアンナは驚いたのである。
昔、彼に何があったのか知りたいと思う。いや、彼の全てを…本当の姿を知りたい。だが同時に知りたくないと思う自分もいる。知ってしまったら最後、彼が自分の手の届かない所に行ってしまうようで怖かった。
こんな気持ちは初めてだった。この胸が締め付けられるような苦しい思いが一体何なのか、アンナには分らなかった。
その前に何より先に彼には謝らなくてはいけない。分かってはいるのだが、いざ目の前に立つと何も言えなくなってしまうのだ。
どうしたらいいか分からずに今日もアンナはクラトスを眺めていた。
そんな鬱結した日々が続いていた時、それは起こった。
やっと山の麓へと辿り着いた一行をモンスターが襲ってきたのだった。そのモンスターとの戦闘中、後退して術の詠唱に入ったアンナに向かって一匹のモンスターが突進してきたのだ。
気づいた時にはもう避けようがなかった。アンナは咄嗟に防御の姿勢をとったものの相当のダメージを覚悟してきつく目を閉じた。
ドスッ!!!
モンスターの角が何かに突き刺さる鈍い音がしたが、自分に痛みは感じなかった。
恐る恐る目を開けたアンナの前に青い大きな背中が広がる。
クラトス?
クラトスはモンスターを蹴り飛ばして距離を取った。そして剣を横にはらい再度向かってこようとした敵の動きを止めると、上段から一気に振り下ろした。
モンスターは凄まじい咆哮をあげたのち息絶え、それと同時にクラトスもその場に崩れた。
「クラトス!!」
クラトスは薄れゆく意識の中、悲鳴に近い叫び声を上げ駆け寄ってくるアンナの姿を目にし大丈夫だというように彼女に向って微笑みかけた。そしてそれを最後に意識が完全に途絶えたのだった。
クラトスの意識が戻った時、周りには誰もいなかった。自分は地面に広げられた毛布の上に寝かされており、額にはタオルがのせられていた。すぐにここが先程自分が気を失った場所だと気がついた。近くでパチパチと焚火のはじける音が聞こえ、恐らく魔物除けの薬草がたかれているのであろう。その香りが辺り一面に漂っていた。
クラトスはぼんやりと先刻の己の行動を顧みる。何故自分があんな無謀な事をしてしまったのかわからない。彼女を庇うなら他にも方法があったはずだ。それなのに気付いたら、何の躊躇いもなく彼女の前に体を投げ出している自分がいた。普段の自分なら決してあんな事はしなかったはずだ…
冷静さを失っていたのか?
何故?
以前にも同じような事を何度かしてしまった事がある。庇った相手はロイド……そして“アンナ”だ。
そうか…やはり自分は彼女の中に“アンナ”を見てしまっているのか。再び”アンナ”を失ってしまうように思えてそれで…。
なんて事だ!!
このままではいけない。やはり私は彼女に同道すべきではなかったのだ。
今にきっと、私は自分が抑えられなくなる。そして彼女の心に深い傷を与えてしまうだろう。
もしそうなってしまったら……彼女は…私は…どうなる?
クラトスは湧き上がってくる恐怖に、がたがたと震え出した。
何に対して怯えているのか自分でもわからない。
4000年という長い時の中、数々の修羅場をくぐり抜けてきた。それでもこれ程の恐怖に襲われる事はなかった。“アンナ”との逃亡生活の間でもである。
分らない…私はどうしてしまったのだ!!
これからどうすればいい!?
誰か教えてくれ!!
誰か…私を助けてくれ!!
それは長い時を生き続けてきた彼の、生まれて初めて放つ心の叫びだった。
「クラトスがいなくなったってどういう事よ!」
薪拾いから戻ってきたアンナは、留守番役のストレイから事情を聴き怒鳴った。
「クラトスは魔物から毒を受けてるのよ。一応解毒はしたけれど動かさない方がいいって事で今日はここでキャンプする事にしたんじゃないの。みんながその為の準備に走っている間あんたがクラトスを看ているって役振りだったでしょう。病人放ったらかしにしてあんた一体何してたのよ!」
程無くして近くの村まで買い出しに行っていたユアンとダイナスも戻ってくる。
「よく眠っているようだったから、額を冷やす水を汲みに行ってたんですよ。ほんの数分ですよ。そうしたら…」
「とにかく探さないと…あの体じゃ、まだそう遠くへは行っていないはずだわ。手分けして探しましょう。」
「あいつは四神の地を回るつもりだった。ならば山へ入ったと見るのが妥当ではないか?」
「分らんぞ。反対方向へ行った可能性もある。わしが山に入るからそなた達は…」
「おい、あれ、モンスターじゃないか!?」
ダイナスの言葉を遮り、ストレイが空を指差した。一同が見ると7匹のモンスターが山の方へと飛んでいくのが見えた。
「大変!!あんなのにクラトスが見つかったら…彼はまだ戦える体じゃないわ。」
アンナは胸に手を組み目を閉じた。
「大地に宿りし地の精よ。お願い、クラトスの居場所を教えて!!」
するとアンナの周りを小さな光が飛び交い始める。
一同は目を瞠った。
「こっちね!!」
アンナは飛んでいく光を追って走り出した。
慌てて残りの者もアンナの後を追う。
しばらく走り続けて行くと飛んでいた光が止まった。
アンナは辺りを見まわしクラトスを見つけ出した。木の根に腰を下ろしてぐったりとしている。
すぐさま駆け寄りクラトスを抱き起した。傷口が開いてしまったらしく血が滲んでいる。
アンナは回復魔法を唱え始めた。
ユアン達も駆け寄ろうとしたその時、先程のモンスター達が飛んできた。
「くっ、血の匂いにひかれてきたのか!?」
ユアンは舌打ちし、ダブルセイバーを手に魔物達と対峙した。ストレイも剣を抜いて横に並ぶ。
だが、魔物達はすぐには攻撃してこなかった。ユアン達5人を順番に品定めするように眺めているだけた。
「?」
首を傾げるユアンの背後でダイナスが叫んだ。
「アンナ!クラトス殿の回復は頼んだぞ。魔物はワシらで片付ける!!」
魔物達の視線が一斉にアンナへと集まる。その一瞬の隙をついてユアン達は攻撃を開始した。
しばらくは互角に戦っていたものの、何しろこちらはアンナとクラトスを除いた3人。相手は7匹。
自然押される形になってしまっていた。そんな中一匹のモンスターが戦列を離れアンナ達の元へと飛んで行く。
「しまった!!」
ユアンが叫ぶが彼自身2匹を相手にしていた為、動く事が出来なかった。
アンナは飛んでくる魔物からクラトスを庇うように彼の前に立つと剣を抜いて構えた。
こいつらは今までのモンスターと違って格段に強い。私一人じゃ勝てないかもしれない。
剣を持つ手が震えているのに気付き、あいている左手で手首をギュッとつかんだ。
しっかりするのよ、アンナ。
あんたが震えていてどうするのよ。
今、クラトスを守れるのは私しかいないのよ。
アンナは剣を握りなおすと強い決意を秘めた瞳で、飛んでくるモンスターを睨みつけたのだった。
−揺れる心 終−