7.クラトスの過去


 神殿へ行くには歩きで3日かかる。その道のりを二人は何度となく休憩をとりながらゆっくりと進んでいた。
 アンナはそのゆっくり過ぎる進み方にだんだんと違和感を覚え始めていた。今までのクラトスならば休憩は最低限におさえ、もっと早く目的地に辿り着くような旅程を立てているはずである。
 はじめは、クラトスの体調がまだ万全ではないからだと思っていた。
 だがそれだけではない気がする。
 時折現れるモンスターとの戦闘。それが終わるたびにクラトスはアンナに細かい助言を与えていた。また休憩の時にもアンナの剣術の短所の指摘、長所を生かす方法、魔術を使うタイミングなどを彼女にも分かるように丁寧に指導してきた。それはまるで彼が持つ全ての戦闘テクニックを、この旅の間にアンナに教え込もうとしているかのようだった。
 そして、時々感じられる彼の迷い。アンナにはクラトスがこの短い旅程を無理に引き延ばしているように感じてならなかった。
 アンナは言いようのない不安が頭をもたげてくるのを感じていた。しかし、直接彼に問う事もできぬまま二人は最後の洞窟を抜け神殿を前にしてしまったのである。それは日が暮れ始めた頃の事であった。

「あの中に何が待ち受けているか分からない。念のために、ここで体力を回復させておいた方がいいだろう。」
 クラトスが夕日に照らされている神殿を見上げ言った。

 こうして二人はここでキャンプをはり、一晩過ごす事にしたのであった。
 辺りはもうすっかり暗くなり空には星が輝き始めていた。その星空の下で二人は焚火をはさみ、ただ黙って座っていた。
 時々、クラトスが自分を見て何かを言いかけるような仕草を見せる。だが、結局何も言わずに視線を逸らしてしまう。
 そんな事が何度か繰り返された後、アンナの方からクラトスに話しかけた。

「ロイド君って、いい子よね。」

 突然発せられた言葉にクラトスが困惑の表情を浮かべる。アンナはくすりと笑った。
「“アンナ”さんの死を聞いた時、私物凄くショックだったわ。そんな私を励ますように色々な話をしてくれた。貴方達の世界の事や仲間の事とか楽しい話をいっぱい。そんな彼の気遣いがとても嬉しかった。その後でね。ロイド君はとても幸せそうな笑顔を浮かべた親子三人の写真を見せてくれたわ。彼女、病気で亡くなったんでしょう?その後貴方が一人でロイド君を育てたの?」
「…私が育てていたら、あんないい子には育たなかっただろうな。」
 クラトスの小さな呟きにアンナは首を傾げた。
 クラトスはしばらくの間俯き何かに迷っているようだったが、やがて大きく息をつくと顔を上げ、しっかりとアンナを見詰めた。そして、はっきりとした声でこう言い切ったのだった。
「妻は病気で死んだのではない。私が…私がこの手で殺したのだ。」
「!!!」
「お前に話す決意はしたものの、ずっと迷っていた。話すにしても神殿での事を終えた後の方がいいのではないかとも考えていた。だが、今の方がいいのかもしれぬ。これからの旅で正しい決断を下して行く為にもお前は本当の私を知っておく必要があると思うのだ。」
 クラトスはそこで言葉を切り、アンナを見た。そしてアンナが静かに頷くのを確認すると目を伏せ、ゆっくりと自分の過去を語り始めたのだった。

 話は古代大戦までさかのぼり、天使化、クルシス時代へと続いていく。
 長い話の中、彼は何度も言葉を詰まらせた。
 苦渋の表情を浮かべながらも必死に言葉を紡ぎ続けるクラトスの姿から、アンナは彼の苦しみを痛いくらいに感じとっていた。

「“アンナ”に出会った事で、私の全てが変わった。彼女は私が自分達を虐げ苦しめ続けている側に立つ人間だと知った上で私を愛してくれた。彼女は物静かだが芯の強い女性で、辛い逃亡生活の中でも愚痴一つこぼす事はなかった。
 やがてロイドも生まれ、私達は幸せだった。 しかし、その幸せは長くは続かなかった。
 追手に見つかり、エクスフィアを無理やりはがされた彼女は怪物と化し暴走してしまったのだ。このままでは幼いロイドまで殺されてしまう、そう思った時、彼女は一瞬だが自我を取り戻した。そして、私にこう言ったのだ。

『このままでは私は貴方達を傷つけてしまう。そうなる前に貴方の手で私を殺して』

 そんな事出来る筈がない。なんとか方法を見つけ出そうとしたがその前に彼女は再び暴走してしまった。そしてロイドに向かって爪を振り上げた彼女を…私は殺した。彼女は私を怨んでいるだろう。全ての原因は私なのだ。私がミトスの計画を止められていれば、彼女はこんな苦しみを負う事はなかったのだから。」

「違うわ。“アンナ”さんが不幸だったはずがない!」
 アンナは堪らずに叫んだ。
「あの写真が何よりの証明じゃないの?確かに少し前の私なら理解できなかったかもしれない。貴方が過去に多くの人を苦しめてきた事も許せなかったと思うわ。だって、貴方がしてきた事はエビルと同じ事だもの。“アンナ”さんがそんな貴方と幸せそうに笑っている事だって理解できなかったでしょうね。でも、今の私には“アンナ”さんの気持ちがよく分かる。彼女には分っていたはずよ。貴方と共に行く事がどういう事なのか…死を早めると分っていても彼女は貴方に付いてきた。何故だと思う?彼女が貴方を心の底から愛していたから…貴方とただ一緒にいれるだけで幸せだと思えたから…」
「お前に何が分かるというのだ。」
「分るわ!!…だって、私もいつの間にか同じように貴方を愛するようになっていたのだから。」
「!!!」
「はじめはこの気持ちが何なのか分からなかった。でも、“アンナ”さんと貴方の話を聞くうちにだんだんと分ってきた。」
「黙れ!!」
「私は貴方を愛してる。」
「やめろ!頼むからもうやめてくれ。」
 クラトスは耳をふさぎ震え出した。頭の中にユアンの言葉が蘇ってくる。

 “お前は自分の本当の気持ちを知るのが怖いのではないか?”

 違う!そんなはずはない!
 私は彼女の中に“アンナ”を見ているだけだ。
 彼女自身を愛するなんてありえない!


「ごめんなさい。クラトス…」
 アンナが近付いてきて震えている彼を優しく抱きしめた。その包み込むような温かさにクラトスの震えが嘘のようにピタリと止まる。
「言うつもりはなかったの。貴方が“アンナ”さんを今も愛し続けているって分っていたし、貴方は別の世界の人でいずれは元の世界に帰ってしまうのだから…。そう分かっているはずなのにどうしても抑えきれなかった。これは私の一方的な想いだから貴方は応えてくれなくてもいい。忘れてくれても構わないわ。
 ただ、一つだけ約束してほしいの…。もう過去の事で自分を責めるのはやめて。貴方はもう十分に苦しんできたはずよ。“アンナ”さんの事にしてもそう。貴方までが“アンナ”さんとの幸せを否定してしまったら、彼女はどうなるの?本当に彼女を愛しているのならそんな事はするべきではないと思う。」

 クラトスは、語り終え静かに自分を見つめているアンナを見て目を瞠った。

 ついこの間まで子供っぽさを残していた少女は、彼の気付かぬうちにいつの間にか大人の表情をするようになっていたのだった。
 そして彼はそんな彼女にひかれ始めている自分にようやく気付いたのである。

 そうか…私はこうなる事が怖かったのだ。だから自分の気持ちに気付いてしまう前に彼女から離れようとした。
 アンナ、お前は怖くはないのか?
 何故去ってしまうと分っている相手を愛する事が出来るのだ。
 私にはそんな事は出来ない。私は失うのが怖い。あんな思いは二度としたくはないのだ。どうせ失ってしまうものなら、最初から愛する事などしなければいい……そうは思わないか?

 クラトスにはアンナに「自分を責める事はやめる」とはっきりと言い切る事は出来なかった。
 返事の代わりに彼はアンナにこう言うのがやっとだった。

「今夜はもう遅い。明日に備えもう寝よう。」

 アンナは敢えてそれ以上問い詰める事はせず、ただ頷いただけであった。


−クラトスの過去 終−