8.水の神殿
翌朝、二人は神殿へと足を踏み入れた。中は薄暗くひんやりとしていた。辺りを漂う厳かな空気にアンナは思わず身震いした。
「足下に気をつけろ。」
クラトスは低い声でアンナにそう言うと、先に立って歩き出す。
今朝アンナが目覚めた時、クラトスは普段の彼に戻っていた。焚火の前に座って火の番をしていた彼は、目覚めたアンナに気付くと顔を洗って来いと言うように近くの泉を指差した。
正直言うと、アンナは昨夜は殆ど眠る事が出来なかった。
きっと今の私、そうとうひどい顔してんだろうな…。
私は貴方を愛している…昨夜、勢いに任せて言ってしっまった一言。
何故あんな事を言ってしまったのだろう。あんな事を突然言われたとて、彼は困るだけだろうに。
現に彼は何の言葉も返してはくれなかった。いや、そんな事を期待していた訳ではない。訳ではないけれど、少なからず寂しく思ったのも事実だ。それと同時に、未だ彼の心の中に生き続けている“アンナ”を妬ましくも思った。
「あ〜、私ってホントに嫌な女!!」
アンナは次々に湧き上がってくる感情を振り払うかのように、バシャバシャと乱暴に水飛沫を立てながら顔を洗ったのだった。
そういった今朝の出来事を思い出しながら、アンナは先を行くクラトスを怨みがましい目で見た。
大体何よ。人の一世一代の告白にああも平然と構えちゃって。昨日の今日の事なのよ。もう少しこう、顔を赤らめるとか、恥じらって目を逸らすとか出来ないの?これじゃあまるでお前なんか眼中にないって言っているようなもんじゃないの。
アンナは昨夜クラトスに言った事とは相当矛盾していると思いながらも心の中で愚痴り続ける。
そ、そりゃあ『貴方が応えてくれる事は望んでいない』とか『忘れてくれてもいい』とか言ったわよ。でも、それは建前であって、もう少しこう女心ってもんを察してくれたっていいんじゃないの?ああいうのを朴念仁っていうのよね!
そんな事を考えながら歩いていたのがよくなかった。ブツブツと呟きながら歩いていたアンナは、突然足を止めたクラトスに気付かずに彼の背中に頭突きを食らわせてしまったのである。
「痛った〜っ!!!」
クラトスはアンナをちらりと見て、
「痛いのはこちらの方なのだがな。」
そんなクラトスの態度に再びむっとするアンナ。
「そんなとこにボ〜と突っ立っているのがいけないんでしょ!」
しかしクラトスは、がなっているアンナを無視して前方を指差した。
「扉だ。」
「そんなの見りゃ分かるわよ。そ、そうよね、扉よね。それが何か?」
「中から強大な力が感じられる。」
「!!もしかして水竜?あ、でもここは神殿の中だし暴走してるって事はないわよね。」
「そういう楽観的な考えはやめる事だな。ブラント殿が言っていただろう。神々は我々人間を試しているのだと。」
アンナはごくりと唾を飲み込んだ。
「私が動きを止めるからお前は後方で術の援護を頼む。」
「無茶よ!貴方の体はまだ完全に回復したわけではないのよ。一人で抑えるなんて出来っこないわ!」
「出来ないではない。やらなくてはならないのだ。ここにはお前と私しかいない。私にお前ほどの魔力がない以上私が盾になるしか方法があるまい。」
「でもっ!!」
クラトスはアンナをじっと見つめた。
「私は一人ではない。お前がいる。そうではないか?それに私はお前を信頼している。だから私はこの命、お前に預けよう。お前はどうなのだ?私を信頼出来ぬか?」
アンナはハッとしてクラトスを見上げた。
「そんな事決まってるじゃない。信頼しているわ。心の底から信じてる。」
腹をくくって自分を見つめ返してくるアンナの大きな瞳を見て、クラトスはフッと笑みを浮かべた。そして扉を大きく開け放つと、中へ飛び込んで行く。アンナもすぐに後に続いた。
水竜は入ってきた二人を見て、咆哮をあげた。その凄まじさにアンナは一瞬ぴくりと体を震わす。
落ち着くのよ、アンナ。
大丈夫。私は一人じゃない。私にはクラトスという仲間がいるのだから!
すると、突然クラトスの体が光に包まれた。眩しすぎるその光にアンナは腕を額の前にあげ目を細めた。光が治まったそこには蒼く輝く翼を広げたクラトスの姿があった。
羽?
あれが天使?
クラトスは剣を抜き放ち叫んだ。
「行くぞ!!アンナ頼んだぞ。」
「まかせて!!」
竜に切りかかっていくクラトスを見ながらアンナはすぐさま術を唱える。
「ライトニング!」
初級魔法ではあるものの一瞬でも相手の動きを止めるのには十分だった。すかさずクラトスの雷神剣が入る。
彼があの姿になったという事は、普段の姿のままでは限界があると考えたからだろう。
だがいくら天使化したとはいえ、彼は体調が万全ではないのだ。しかも今回は相手が相手である。戦闘が長引くほど不利になるのは目に見えている。
「インディグネイション!!」
アンナが一気にけりをつけようと雷系最大呪文を唱えたが、竜はすばやい動きで魔法陣から走り出てしまった。
「うそ!?速い!!」
その巨体からは考えられない動きを見せた水竜は、難無く術の影響下から脱するとそのままクラトスへと突進した。
角で突き上げられ、クラトスの体が大きく吹き飛ばされる。
「クラトス!!!」
大きく叫んだアンナの声に竜が振り向いた。再び咆哮をあげるとアンナに向かって走ってくる。
「!!」
だめだ!術じゃ間に合わない!!
アンナは腰の剣を抜き構えるが、クラトスさえ吹き飛ばされた巨体である。自分では防げようはずがない。
『お前のパワーでは敵の力技を防ぐにも限界がある。受け止めるのではなく流せ』
クラトスの言葉が頭に浮かんできた。
そのやり方はクラトス相手に何度も練習を繰り返してきた…でも、あんな大きな相手は初めてだ。
出来るの?私に!?
怖気付くアンナの頭に再びクラトスの言葉が浮かんでくる。
『出来ないではない。やらなくてはならないのだ』
そうだった…覚悟は決めたはずなのに。ホントに駄目ね。私って…
アンナは深呼吸すると体の力を抜いた。突進してくる竜の角を剣で防ぐとそのまま押される力に逆らわずに後ろへと飛んだ。
「くっ!」
ふらつくのを何とか踏ん張り持ちこたえると、角を振り上げさらに向かってくる竜に向かって剣を突き出した。向かってくる勢いもあって、剣は深々と竜に突き刺さった。
「ぎゃああああああああ!!」
アンナはすかさず剣を引いて下がろうとしたが、
「え!?ちょっ…ちょっと抜けないって?」
深く突き刺さった剣はどうやっても抜く事が出来ず、アンナは剣を諦め下がらざる負えなかった。
やだ、これってもしかして絶体絶命ってやつ?
どうなっちゃうのよ私…
怒り狂い再び自分へと向かってくる竜を前にアンナは成す術もなく立ち尽くしているしかなかった。
−水の神殿 終−