12.風の神
その日の夜。クラトスは一人星を眺めていた。先刻のオリジンの言葉が頭に浮かんでくる。
“我々が元の世界に戻る時は皆一緒だ。もちろんお前もな。”
無理な事を言う。この戦いが終わったら自分は生きていないかもしれない。例え生き残ったとしても恐らくもう…
クラトスは眠っているアンナをちらりと見て目を伏せた。
気の遠くなる程の長い時を生き続けてきたのだ。いつ命を落とす結果になろうとも思い残す事はないと思っていた。死ぬ事に何の恐れもなかった。それなのに今はもっと生きたいと思い始めている。死にたくないと心の底で叫んでいる自分がいる。
「覚悟は出来ていたはずなのにな…」
クラトスは苦笑すると、懐に大事にしまっていた皮袋を取り出した。子供の頃に“お守りよ”と叔母のアマンダより手渡されて以来肌身離さず持ち歩いていたそれは長い年月を経てもうぼろぼろになっていた。まるで今の自分を見ているようだとクラトスは思う。袋を開けると中から現れたのは掌に納まる位の石。全体的に乳白色をしており光の当たり具合によって様々な色へと変化する。
「綺麗な石ね。」
ぼんやりと石の輝きを眺めていたクラトスは、背後から突然話しかけられた事に驚愕し慌てたように振り返った。後ろにはアンナが立っており、クラトスの手に乗っている石を覗き込むようにしていた。
「見せてもらってもいい?」
クラトスは頷くと石をアンナに渡した。
「不思議な輝き…何だか生きているみたいね。すごく綺麗だわ。」
「昔、お守りだと言って叔母がくれたものだ。その言葉の通りずっと私の事を守り支えてきてくれた。これがあったからどんな事でも乗り越えてこれた。私が生きてきた証…命そのものと言ってもいいかもしれない。」
「大切なものなのね。有難う見せてくれて。」
クラトスはアンナから受け取った石を再び袋へ戻した。
「いつか…」
「え?」
「いつか私がこの石を必要としなくなった時はこれをお前にやろう。」
「馬鹿ね。貴方の命そのものなのでしょう?必要じゃなくなる日なんて来る訳ないじゃない。それは貴方がずっと大切に持っているべきよ。」
「フ…そうだな。お前の言う通りだ。今のは聞かなかった事にしてくれ。それよりもう遅い。明日は守護竜との戦いもあるだろう。お前はもう寝た方がいい。」
「クラトスは?」
「私は寝なくても大丈夫な体だ。今夜は火の番をしているよ。」
アンナは頷いて毛布にくるまり目を閉じた。しばらくして薄目を開けてクラトスの様子を窺う。火の前に座ってじっと炎を見詰めているクラトスの横顔はアンナの目にひどく寂しげに映ったのであった。
翌日、山の中へと足を踏み入れた一行。そこは山というより丘と言った方がいいくらいなだらかであったが、とにかく道が迷路のように入り組んでいる為に迷ってしまう旅人も多いと言う。しかし一行はサラの案内もあってか順調に進んでいた。だが、山頂を越えあと少しで山の出口という所にさしかかった時、物凄い咆哮が聞こえてきた。
『おい、クラトス…』
「分っている。だが、こんな所で現れるとはな。」
「何、何?まさか守護竜?」
「いかにこの辺りの魔物が強いとはいえ、これ程の力を感じさせるものは他におるまい。ここは足場が悪い。戦闘中の移動には細心の注意を払え。」
予想通り、先を進んだ一行の前に現れたのは巨大な緑色の竜、まさしく風の守護竜であった。恐らくは竜が起こしているのであろう。辺りには強い風が吹き荒れている。その上山道で動きにくいという悪条件の中での戦いとなった。
クラトスは、自分とオリジンを前衛としストレイは中衛に下げた。そしてその後ろにアンナを、最後尾にサラを置く陣形を組んだ。こうしてしばらくは守護竜と互角に渡り合っていたのだが、戦闘が長引くにつれやはり経験の浅さからだろうかストレイのミスが目立ち始めてきた。そのミスを挽回しようとすればするほど思うように動けなくなってしまいさらにミスを重ねてしまう。クラトスは、悪循環に落ち込んだ彼を何とか落ち着かせようと声をかけ続けているが、頭が真っ白になってしまったストレイにはその声すら届かないようだった。
「だから言ったのに。やっぱり足手まといにしかならないじゃない。」
アンナはそんなストレイを見て軽く舌打ちした。
(あんなのに構ってる暇はない。クラトスも放っておけばいいのに。)
アンナはストレイを無視して再び術を唱えようとした。そんなアンナに後ろにいたサラが声をかけてきた。
「アンナさん、何故前に出ないのです?クラトスさんが貴方をその位置に置いた理由が分からないのですか。」
「え?」
サラの言っている事が分からず戸惑うアンナ。
するとその時、気負ったストレイが叫びながら竜に切りかかって行くのが見えアンナは悲鳴をあげた。
案の定、無防備に切り込んでくるストレイに守護竜の視線が向く。
守護竜は邪魔だと言わんばかりに一声鳴くと向かってくるストレイを尾で振り払おうとした。
ストレイは自分に向かってくる巨大な尾に目を見開いて立ち止った。避けようにも足がすくんで動けない。
そんな彼の前にクラトスが走り込んで来て、その直後二人の体は宙を舞い木へと激突した。
追い討ちをかけようとする竜の前にオリジンが割り込み動きを封じる。サラがその援護の術を唱え、アンナは二人の元に駆け寄った。
クラトスに抱きかかえられる形になり、尾に払われた時も木に激突した時もその衝撃を免れたストレイは殆ど無傷の状態であった。だが、彼を庇って代わりに全ての衝撃を一身に負ったクラトスのダメージは相当なもので意識を失ったまま動かない。
アンナはすぐに回復魔法をかけた。何度か繰り返しかけ続けた所、ようやくクラトスは呻き声と共に目を開けた。
「クラトスさん、すみません。俺の為にこんな…俺は…」
「…いつも通りにやればいい。」
「え!?」
「目の前の敵がそこらにいる雑魚モンスターであろうが、守護竜であろうがそんな事は関係ないのだ。お前は今出来る事を全力でやればそれでいい。何も気負う必要はないんだ。お前のミスは皆でカバーする。その為に仲間がいるのだから。落ち着いてやれば神竜とも互角に戦う事が出来るぐらいの実力をお前はもう十分に持っている。もっと自分に自信を持て。」
ストレイは驚いたようにクラトスを見ていたが、やがて傍らに落ちている剣を拾うと立ち上がった。そしてクラトスに一礼すると守護竜と戦い続けているオリジンとサラの元へ走って行く。アンナはそれを見送り再びクラトスに回復魔法をかけようとしたが、その手をクラトスに止められた。
「お前はまだストレイの事が信じられないか?」
「クラトス?」
「お前は術だけでなく剣でも十分戦える力を持っている。だから私はお前を後衛に置かずにストレイの後ろの中衛に置いた。お前ならその場の状況に応じて剣と術とを使い分けて皆を援護してくれるだろうと期待しての事だった。」
「!!!」
「だがお前はストレイが落ち着きを失い普段通りの戦いが出来ていないのを見ても何もしようとはしなかった。ストレイの力を信じていない証拠だろう。ストレイならあの程度で当然だとでも思っていたのか?お前なら突然に格上の敵と戦わなければならなくなった者の気持ちが誰よりも分かると思っていたのだがな。」
アンナは戦闘が行われている方へと視線を移した。今戦っているストレイはさっきとは別人のようだった。すっかり落ち着きを取り戻したようで動きにも固さがない。クラトスは彼が守護竜とも互角に戦える力を持っていると言った。こうして改めて見てみると確かにその通りかもしれない。今の彼は旅を始めた頃の彼ではなかった。いつの間にかストレイは大きく成長していたのだった。それなのに自分は彼の成長を認めようとしなかった。そればかりか戦闘中困っている彼を助けようともせずに結果クラトスに怪我を負わせてしまった。
「私気付かぬ内に自惚れていたのね。そしてストレイを見下していた…本当に見下されるべきなのは私の方なのに。」
アンナはクラトスを見た。クラトスは微笑して頷いた。
「私なら大丈夫だ。自分で回復できる。行ってストレイを援護してやってくれ。」
アンナはニッコリと笑みを浮かべると力強く頷き、走り出したのだった。
クラトスはアンナ達の戦いぶりを見てあれなら自分がいなくても大丈夫だろうと判断し、とりあえず怪我の状態を調べる事にした。
竜が振り回した尾はストレイを庇い抱き込むようにしていたクラトスの左半身を強打した。そして木に激突する寸前にやはりストレイを守るために無理矢理体を回したために、無理な態勢のまま同じ左側から木へと激突したようだ。
その衝撃の大きさは左腕に装備していた盾が真っ二つに割れている事からも想像できる。今こうして生きている事自体が奇跡に近い事だった。クラトスはストレイの前に飛び込む寸前、何かの力が自分を守るように包み込むのを感じていた。恐らくはそのお陰で受ける衝撃が和らぎ命が助かったのだろう。考えられる事はただひとつ。
「オリジンか…」
クラトスは回復魔法を唱えながら、未だ戦いを続けているオリジンへ目をやった。
「…感謝しなくてはならぬな。」
骨は折れてないようだし、その他にも異常は見受けられない。今の所は大丈夫そうだ。軽い脳震盪を起こして気を失ったが、あとは打撲と擦り傷だけのようだった。
クラトスは回復魔法をかけ終え、ほっと息をついた。魔法の効果か痛みはだいぶ引いてきている。
まだここで倒れる訳にはいかない。“その時”が来るまで自分はどんな事をしても生き延びなければならないのだ。
ふと戦況に目をやると、オリジンが倒れた竜に止めをさしている所だった。
「やったか!!」
クラトスは四人の元へ向かおうと立ち上がった。
だがそのとたんに激しい眩暈に襲われ倒れそうになった。咄嗟に木に手を付いて体を支えようとしたが力が入らず、そのままその場に蹲ってしまう。
「クラトスさん!!」
いち早くクラトスの異変に気付いたサラが駆け寄って来てとりあえず横にしようと彼の肩に手をかけた。その手が触れた瞬間、クラトスはピクリと体を震わせたと思ったら乱暴にその手を振り払った。
「私に触るな!!貴方の手など借りたくはない!!」
叫んでしまってからクラトスはハッとしてサラを見上げた。
サラは一瞬手を止めたものの、そのまま静かに彼の体を横たわらせた。自分のマントを取り小さく折りたたむと彼の頭の下に引いてやる。
「怒鳴ってしまってすみませんでした。ちょっと立ちくらみがしただけです。もう治まりましたから。」
起き上がろうとするクラトスをサラは微笑を浮かべ制止した。そしてあとから駆け付けてきたストレイに、
「すみませんがこのタオルを冷やして来て貰えますか。この先に小川があったはずですから。一人では危険ですからアンナさんと二人で行った方がいいでしょう。」
二人は頷くと走って行った。それを見送ると、サラは横たわるクラトスへ目を戻した。
クラトスは両腕を額の上に乗せ、明後日の方を向いたままサラと目を合わせようとはしなかった。
「やはり気付いていたのですね。」
「……」
「私を恨んでますか?…恨まれて当然です。私は貴方を捨てた酷い母親なのですから。その上、今回の事に貴方を巻き込む事になってしまった。言い訳をするつもりもありません。ただ私は貴方を守りたいのです。もちろんこんな事で償えるとは思っていません。私は…」
クラトスは体を起こしサラを見詰めるとはっきりとした声で言った。
「何を言っているのか分らない。私の母はアマンダという人です。貴方は赤の他人だ。恨む理由もないし償って貰う必要もない。必要以上に私に構うのはやめてもらいたい。はっきり言って迷惑だ。」
「……分かりました。貴方がそう望むのなら、これからも仲間の一人として接するように致します。それでいいですね。」
クラトスはそれには答えずゆっくりと立ち上がった。そんなクラトスにサラは言葉を続けた。
「仲間として一つ聞いてもいいですか?」
「何ですか。」
「先程のはただの眩暈ではありませんね。どこか体を悪くしているのではないのですか?」
「……」
そこへアンナとストレイが戻って来た。立っているクラトスを見て目を丸くする。
「ちょっと、もう起き上がって大丈夫なの?」
「心配掛けて済まなかったな。だがもう大丈夫だ。のんびりしている時間もない。すぐに出発しよう。」
「分かったわ。でもあまり無理しないでね。」
アンナとストレイはまだ心配そうであったが、クラトスが軽く微笑むのを見て出口へと向かい始める。
クラトスは枕にしていたサラのコートを拾い上げると埃をはらってサラへ返した。そして二人の後を追って歩き出したが、二、三歩進んだ所で立ち止まり、背中越しに後ろに立っているサラへ言った。
「…悪い所などどこもない。例えあったとしても貴方には関係ない事だ。心配などして貰わずとも健康管理ぐらい自分でできる。」
そのまま先に行ってしまったクラトスに何も言う事ができず一人その場に立ち尽くしていたサラに、オリジンが声をかけた。
『やはり貴方はクラトスの母親であったか。マナが似ているからもしやと思ったが…心配せんでもあいつは貴方の気持ちを理解していると思うぞ。まだ自分の中で整理が付いていないのだろう。あいつは貴方を嫌っている訳ではない。寧ろその逆で、愛し、愛されたいと願っている。それを素直に表に出せずああいった態度をとってしまうのだ。まるで子供だな。』
「オリジン様はあの子の事をよくご存知なのですか。」
『まあ、幼き頃からずっと見守ってきたからな。』
「では教えて下さい。あの子は…クラトスは幸せな人生を送ってこれたのでしょうか。」
『さあ、それは我には答える事は出来ぬな。幸せか否かは他人に判断できるものではない。本人が決める事だからな。その事も含めてあいつの方から貴方に全てを話す時が必ず来る。だからもう少しだけ待ってやって欲しい。要は焦らぬ事だ。あいつは頑固で捻くれ者で手間のかかる奴なんだよ。』
サラはようやくクスリと笑った。
「分かりました。焦らずに待つ事に致します。あの子はもっと長い時の中、私を待ち続けていたのでしょうから。」
それから一行は山越えを終え、無事に神殿へ到着する事ができた。護衛の三人をその場に残し、アンナとクラトスは中へ入って行った。
二人は薄暗く静まり返った神殿の中を慎重に進んで行った。やがて最奥の大きな扉の前へと辿り着いた二人は、少々緊張気味に錆付いた扉を開き中へと足を踏み入れた。
中はまるで別世界のようであった。ドーム状のその空間には木々が生い茂り小鳥のさえずりまで聞こえてくる。上を見上げればそこには屋根はなく、柔らかな光が差し込んできていた。そして部屋全体に穏やかな心地よい風が吹いており、先程の守護竜が巻き起こしたものとは正反対のその風は、疲れた二人の体を優しく癒してくれる。
「なんだか今までの神殿とはだいぶ違うわね。お城の中庭みたい。木や鳥達もとても気持ちよさそう。」
『風とは、全ての命を運ぶと同時に癒しを与えるものなのです。』
アンナの言葉に答えるかのように突然どこからか声が聞こえてきたと思ったら、二人の前に光と共に美しい女性が現れた。
『よく来ましたね。二人がここへ来るのをずっと待っておりました。さあ、聖剣を。』
二人が聖剣を抜いて掲げると、風の神はそれに力を授けた。
『この先の戦いは今以上に大変なものとなるでしょう。ですがどうか忘れないで欲しいのです。その剣には私達神が宿っています。例え何が起ころうとも私達は常にあなた方と共にいるのだという事を。』
「…それはどういう意味だ?貴方達神をエビルが再び襲おうとしていると?」
風の神は目を伏せた。
『エビルはすでに動き始めています。彼は如何なる手を使ってでも聖剣の完成を阻止しようとしてくるでしょう。』
「だが、例え聖剣が完成してもエビルを倒す事ができるか分からないと聞きました。私自身エビルと会った事はないから奴の実力がどれ程のものか分かっている訳ではないが、集めた情報からすると相当の強さだと推測できる。聖剣は素晴らしい力を秘めているのは認めるが、私から見てもこの剣だけで彼を倒せるとは到底思えない。それなのに何故エビルはそこまでして剣の完成を阻止しようとするのでしょう?」
『確かに聖剣自体にはエビルを倒すだけの力はないかもしれません。問題はそれを持つのがあなた方だという事です。聖剣はそれを使う者によって強くも弱くもなる。エビルが恐れているのは聖剣ではなくそれを持つあなた方なのです。』
「…聖剣の力を引き出せるか否かは私達次第だと?」
『全ての神が目覚めたとはいえ未だエビルと戦うだけの力を回復できていません。あなた達だけに全てを押し付ける事となって心苦しく思ってます。でも光の神が選んだあなた方ならそれを必ず遣り遂げてくれるものと信じてます。どうかこの世界を救って下さい。もちろん私達も全力であなた方をサポートしていくつもりです。』
「大丈夫です。私達はそのつもりで頑張っているんですもの。どうか安心して下さい。必ず平和を取り戻して見せますから。」
『気を付けて下さい。先程言ったようにすでにエビルは動き始めています。様々な手であなた方を翻弄してくるでしょう。それに打ち勝つにはとにかくお互いを信じる事です。あなた方二人は強い絆で結ばれているという事を忘れないで下さい。そうすれば必ずや道は開けるはずです。』
「絆を…信じる…」
『さあ、お行きなさい。私達はいつでもあなた方を見守っています。あと、クラトスは残って下さい。あなただけに大切な話があります。』
−風の神 終−