11.エビルとクラトス


 その頃、クラトスは次元の門の対岸に辿り着いていた。しばし次元の門を睨むようにその場に立っていたが、やがて羽を広げると向こう岸へと飛び立った。
 結界が張られている事は分かっていた。だがエビルは、自分に対しては常に門は開かれていると言っていたのだ。その言葉の通り、クラトスは何の障害もなく島に浮いている城の前に辿り着く事が出来た。
 大きく安堵の息をつくクラトス。だがそのとたん、突然クラトスの体は光に包まれ、そのまま城の中へ引きずり込まれてしまったのだった。

 気が付くとクラトスは城の中にいた。両手足を黒い闇の触手に絡み取られ宙に吊るされている。
「ようこそ、クラトス。私の言った通りになっただろう?お前はもう一度自分からこの城へとやってくるだろうと確信していたよ。」
「随分と手荒い歓迎だな。」
「お前が素直じゃないからいけないのだよ。」
 にやりと笑うエビル。
「この間はとんだ邪魔が入った。大方、奴もあの女が寄越したのだろう。全くあの女は私がお前に会おうとするといつも横槍を入れてくる。覚えているか?お前がまだ小さき頃、私はお前に何度か会いに行った。」
「ああ、あの頃あなたは今とは違う姿をしていた。いや、あれがあなたの真の姿だったのか。」
 クラトスが子供の頃、幾度となく自分の前に現れた一人の青年。自分と同じ鳶色の髪に瞳を持つその青年は、いつも突然自分の前に現れては優しい笑みを浮かべていた。だが、その頃すでにクラトスのそばにいたブレイズが常にその青年に会う事を阻止してきたのだった。
「別の世界に弟がいると知って会いたくなった。あの時、あの男が邪魔さえしなければ、私はお前をこの地に連れてくる事が出来ただろうし、お前は私の庇護の元、苦しみを味わう事無く違う人生を歩んでいたはずだ。兄が弟に会いたいと思うのが何故いけない。何故邪魔をするのだ。そうは思わないか、クラトス?」
「・・・私は、今では自分の人生を悔いてはいない。ミトス達やアンナに出会った事、そのアンナを自らの手で殺してしまった事も全て含めて、それらの事柄があったからこそ今の自分がここにいる、そう思っている。憎しみや後悔に縛られていては前へ進めない。それが分かったのだ。
 ・・・・・あなたはいつまでこんな事を続けて行くつもりなんだ。あなたも本当は終止符を打ちたいのではないか?だからダイナスとしてこの世界の悪習を改革しようとした。確かにそれは成す事が出来なかったかもしれない。だが、そんな中でもパーソンさんのようにあなたに共鳴する人達だっていたのだ。・・・彼はあなたの正体が分かった後でもあなたを尊敬していると言っていた。そしてこんな事は止めて昔のあなたに戻って欲しいとまで言っていたんだ。そのような人が一人でもいる限り、諦めずに続けて行けばあなたの求める理想の世界に変えて行く事はできるのではないのか?」
 訴えるように説得を続けるクラトスを、エビルは鼻で笑った。
「お前は変わったな。以前のお前ならそんな甘い考えを口にする事などなかったはずだ。あの理想論者の息子に影響を受けたのか?確かに私は一度は人間を信じ、改革しようとしたさ。だが、結局、あいつ等はそんな事をしてやる価値もないウジ虫だと改めて思い知らされただけだった。私はもう人間どもなど信じんよ。パーソンとて同じだ。愚かな人間の一人にすぎん。」
「・・・・・・・」
「フフフ・・・お前は頭が良い。そこが奴らとは違う点だ。これ以上私に逆らうとどうなるかよく分かっているようだ。そうそう、頭が良いといえば、お前は以前から私の正体に気付いていたようだな。いつそれに気付いた?参考までに聞かせてはくれんか。」
「・・・最初から他の人とは違うとは感じていた。あなたが自分で言ったのだ。この世界の人間の殆どは初級魔法しか使えんと。だが、あなたはかなり高等な術を使えた。しかもその種類も豊富だった。だから私は最初、あなたは王家の出だと思っていたのだ。王家の者は高等な術を使う事が出来ると聞いていたからな。あなたに対して疑問を抱くきっかけになったのはアンナの言った一言だった。」
「アンナだと?あの小娘が何を言ったというのだ。あの女は最後まで私を疑ってはいなかったはずだ。」
「私はその頃すでに自分はエビルによってこの世界へ引き込まれたのではないかと思っていた。それと同時に、エビルが別世界の見知らぬ他人の私を呼び寄せて何の益があるのかと疑問にも思っていた。
 だが、他人ではなかったらどうなる?私は、母が別世界の者である事やすでに一人の子供を儲けていた事も叔母から聞いて知っていた。もしその子供がエビルだったとしたら私達は兄弟という事になる。兄弟なら体内のマナも似ているはずだ。エビルが代替えの体として私を呼び寄せたとて不思議はない。そう考え始めていた。
 そんな私にアンナはこう言ったのだ。“それに私を殺したら乗り移る体がなくなってしまうのよ。エビルだって困るでしょ。”とな。
 その一言が、私にあなたを疑わせるきっかけになったのだ。
 あなたは傷つき倒れていた私を助けてくれた。普段は山に入らないあなたがあの日はたまたま山に入り偶然に私を見つけたと言う。そしてこれもまた偶然にあなたは回復術を使う事が出来た為私は助かった。こんな偶然の重なりがあり得るのだろうかと不思議に思っていたのも事実だ。その上あなたは危険だと分かっている旅に同行するとまで申し出てきた。初対面でしかも自分は異世界の人間だなどと言っているような得体のしれない私を守る為にだ。何故そこまでしてくれるのかと私は不思議に思っていた。
 だが、あなたがエビルだとしたら全ての疑問に説明が付く。折角代替えの体として呼び寄せた私に死なれてしまってはあなたが困るだろうからな。あなたは私を助けたかったのではない。自分の肉体を失いたくなかっただけなのだ。
 それでも私は、一方ではあなたを信じたいとも思っていた。あなたは私の命の恩人でもあり、なにより私自身ダイナスという人物に好感を持っていたから・・・そんなあなたを疑いたくはなかったのだ。
 しかし、そんな疑惑を認めざるを得ないような事柄が次々に起きた・・・。
 一つ目は水の神殿へ向かっている時の事だ。私はアンナと共にいる事に恐怖を覚え、一人戦列を離れた。これは後からユアンに聞いた事なのだが、私を探す為にユアンは山に入る事を提案したそうだな。だが、あなたはその意見を一蹴し、皆を別の所へ行かせようとした。自分が山へ入るからと言ってな。結局皆で山に行く事になり、アンナが私を見つけてくれた。
 そして、そのすぐ後に魔物が襲ってきた。だが、魔物はすぐには攻撃してこなかった。奴等は攻撃する相手が誰だか分らなかったのだ。そこであなたは“アンナ!クラトス殿の回復は頼んだぞ。魔物はワシらで片付ける”と叫んだ。あの場に女性はアンナ一人しかいなかった。あなたはそのアンナに指示を与える振りをして、その女性の最も近くにいる男こそが標的なのだと魔物達に教えたのだろう?
 二つ目は、私とアンナが火の神殿から出て来た時の事だ。まるで狙い澄ましたかのように魔物が現れた。奴等はエビルが血族との再会を望んでいると言っていた。となると奴らの狙いはアンナではない。彼女は同じ光子であるという事以外はエビルとは全く関係がないからだ。ならば当然残る一人である私の事を指しているという事になるだろう。
 そしてその魔物との戦闘時での事だ。あなたはエビルに助けを求める魔物達を、ユアンの制止も聞かずに焼き殺した。私は、あの魔物達は次元の門にいるエビルへ助けを求めたのではないと思っている。エビルは次元の門などにはいなかった。あなたこそがエビルだったのだから。魔物達は今目の前にいるエビルに向かって助けを求めたのだ。あなたはまだ自分の正体を知られる訳にはいかなかった。それで今にも口を割りそうな魔物達を始末したんだ。
 三つ目は風の神殿へ向かう前の事だ。アンナが私に対して不安を抱き始めているのを知ったあなたは、事あるごとに彼女の不安をあおる言動を繰り返した。私が気付いていないとでも思ったのか?」
「いや、お前が私を疑い始めている事は気付いていたよ。だから私はこの先目障りになる存在となるであろうストレイを始末してエビルに戻ろうと考えたのだ。お前に邪魔されたがな。あの後色々ともめたようだな。そしてお前はパーティを離脱した。」
 エビルはニヤリと笑った。
「そろそろお前も真実を知る頃だとは思っていたよ。やはりお前は他のぼんくらな人間どもと違って頭が良い。お前の考えの通りだよ。だが、一つだけ訂正しておこう。私はただ純粋に弟のお前と手を組みたかっただけだ。確かにこのジジイの体もガタがきているが、その代りにお前の体をとは望んではいない。まあ、お前の返答次第ではそれもありうるかもしれんがな。」
「・・・・・・・」
「さて、それじゃあ、今一度尋ねるとしようか。同じ光の神の血を引く者同士。私は魔術師として、お前は剣士として、それぞれ右に出る者はいないだろう。私達が手を組めばもう怖いものはない。どうだ?この兄と共にこの世界を思うままにしてみないか?」
 エビルはそう言って不敵に笑うと返答を待ったが、クラトスに首を縦に振る様子は見られない。。
 再度の誘いにも乗ろうとしないそんなクラトスを見てエビルは話を続けた。
「あの女は何度も私に会いに来たよ。こんな馬鹿な事はもう止めろとしつこい位に。あんまり煩いから、最後には半殺しにしてやったよ。力の大半を失った以上、もうあの女は神でもなんでもない。ただの愚かな女なのだという事を思い知らせてやる為にな。それから、気を失ったあの女を捨てて来てやった。その辺に転がしておけば魔物が処分してくれるだろうと思ったのだが、どうやらセネリアの長老に助けられたようだな。
 残念だよ。こんな事ならあの時、猫が獲物をいたぶるようにじわじわと苦しめながら殺してやればよかった。さぞや気分がスッとした事だろうよ。」
 大声で笑っているエビルを見て、クラトスは微かに眉をひそめた。
「あの女の何度かの訪問の中で私はお前の存在を知ったのだ。その時から、私はお前を傍におきたいと思い続けてきた。誰も信じられる者がいない中、まだ幼いとはいえ肉親であるお前が傍にいるという事で心が休まると思ったのだ。あの女がお前を捨ててきたと知った時、私は激しい怒りを覚えた。私にしたのと同じような事を弟のお前にもしたのだ。ならばあの女の代わりに私がお前を育てようと思った。同じ血を引く者同士、二人で生きて行こうとな。
 だがあの女はその願いまでも邪魔立てしてきたのだ。あの女が差し向けたブレイズがお前の傍にぴったりと張り付いて決して私を近付けようとしなかった。」
「ブレイズは私を守ろうとしただけだ。あなたの手に渡せば、私があなたの代替の体にされるのは分かり切っていたからな。」
「言っただろう?私はお前の体を奪う気など毛頭なかった。だが、ことごとく邪魔をされる内にだんだんと私の考えが変わってきたのも事実だ。どこまでも私を退け続けるつもりなら、あの女にとって一番大切なものを奪ってやろうと思うようになったのだ。一番大切なもの・・・クラトス・アウリオンをなんとしても私のものとする。そして二度とあの女がお前に手を触れる事が出来ぬようにしてやる事、それが私のあの女への復讐なのだと。」
「・・・やはりあなたは私を・・・」
「違うな。体を奪いとるのではない。お前と私が一つになるだけだ。別の世界で離れ離れに生きてきた兄弟が、ようやく一つになる事が出来るのだ。それでもう、あの女はお前に触れる事さえ叶わなくなる。私と一緒になったその体は、もうお前であってお前ではない、全くの別人なのだから。
 だが、そう決めた後にも、私はお前になかなか近付く事が出来なかった。相変わらずブレイズがべったりとくっ付いていたからな。ようやくブレイズがお前の前から姿を消したかと思ったら、今度はお前が自分の中に精霊オリジンを封印してしまった。それで完全にお前を手に入れる事が出来なくなってしまった。すでに別の生命体が宿っている体では入り込む事が出来ないからな。
 それから四千年の長い時を待ち続けたよ。そしてやっとお前は封印を解きお前だけの体に戻ってくれた。長かったよ。だが、辛抱して待ち続けていて良かった。お前はこうして私の前にやって来た。今こそ我らは一つになる事が出来るのだ!」
 エビルの言葉にクラトスは目を伏せた。
「・・・やはり、あなたが言った通りだ。私とあなたは同じなんだ。」
「突然に何を言い出す?」
「自分の前から消えた母親を恨み、憎み、無理矢理自分の中から消し去ろうとし、そうしながらもやはり心の奥底では求め続けている。」
「ふん、馬鹿な事を。私はあの女を求めてなどおらん。」
「あなたは、母に自分の方を向いてもらいたかったのだ。私の事ばかり心配するのを見て面白くなかった・・・」
「・・・黙れ・・・」
「だから彼女が嫌がる事を繰り返し行った。まるで子供のように。」
「黙れ!」
「あなたはずっと心の中で、母を呼び続けていたんだ。」
「黙れ、黙れ、黙れ―――!!!」
 エビルは叫びながら、クラトスに向かって魔力を何発も放ち続けた。光弾の嵐の中、吊るされたクラトスの体が前後左右に大きく揺れ続ける。
 しばらくしてようやくエビルはクラトスに向けていた両手をおろした。肩で息をしながらクラトスを睨みつけ、ゆっくりと近付いて行く。そして、ぐったりとしているクラトスの顎をつかむと顔を上向かせた。
「昔話は終わりだ。さあ、お前の返事を聞かせてもらおうか。私と手を組み共にこの世界を牛耳っていくか?それとも私と一つとなる道を選ぶか?」
 クラトスはエビルを睨みつけ、痛みに顔を歪めながらも言い放った。
「私は世界を牛耳リたいとも思わないし、今のあなたと一つになる気にもなれない。」
「両方ともノーだと?そんな事が許されるとでも思っているのか?これは二者択一なんだよ。私と手を組むつもりがないと言うのなら、自動的に後者を選んだとみなされる事になる。」
「この体は私の体だ。絶対にあなたには渡さない!」
「困った子だねえ。そう駄々をこねるものではないよ。」
 エビルは大袈裟に肩をすくめて見せるとクラトスを絡み取っている触手に向け手を上げた。途端に触手から衝撃波が発せられクラトスを襲った。
「うわあああああああ!」
 目を見開き悲鳴を上げるクラトス。だが、それは長くは行われず、わずか数十秒後に触手はクラトスを解放した。
 床に落とされたクラトスは仰向けに横たわったままピクリとも動かない。それでも意識はあるようでその目は光を失ってはいなかった。
 エビルはそんなクラトスの傍らに膝をつき、笑みを浮かべながら顔を覗き込んだ。
「気分はどうだ?体を動かす事が出来んだろう。お前の意識とその肉体を切り離したのだ。今のお前は自分の意志で体を動かす事はできん。暴れられると厄介なのでね、いつもこうしてから体を乗り換える事にしている。分かっただろう?お前は体を渡さないと言っていたが、そんな事は無理なのだ。この体はもうお前のものではないのだよ。」
 エビルは自分を見上げているクラトスの髪を優しく撫でた。
「悔しいか、クラトス?だから大人しく私と手を組んでおけば良かったのだ。所詮お前の力では私に屈するしか道はなかったのだよ。色々あったがこれでようやく我々兄弟は一緒になれるのだ。こんなに喜ばしい事はないではないか。
 私がお前の体に入れば直にお前の意識は消え失せる。だが、心配する事はない。お前は私の中の一部分として永遠に生き続けられるのだから。それまでは少々苦しい思いをしなくてはならないが、それもほんの少しの間だ。すぐにそんな苦しみさえ感じられなくなる。」
 エビルは勝ち誇ったように大声で笑った。
「さあ、儀式の始まりだ!」
 エビルは高らかに宣言すると、右手をクラトスの胸へ押し当てた。その手からじわじわと光が発し始め、やがてその光は二人の体を包み込んだ。
「ああ・・・ああ・・・あああああ・・・」
 苦しみ、声を上げるクラトスを満足そうに見るエビル。
「さらばだ、クラトス、我が弟よ・・・・・いや、ようこそ、というべきかな。」
 エビルは、再び大きな笑い声をあげた。
 そして、エビルの精神体は、ダイナスという抜け殻を残してまんまとクラトスの中へと入り込んでしまったのだった。

 だが、エビルは勝ち誇るあまり、気付かなかったのだ。
 彼がクラトスの中へと入り込むその瞬間、クラトスの口元に笑みが浮かんだ事に。


−エビルとクラトス 終−