1.空っぽの心


 クラトス達が去ってから、数日が過ぎた。
 エビルの脅威が去った事で、人々はやっと掴んだ平和をかみしめながら新たなる一歩を踏み出そうとしていた。
 長きに渡るエビルの支配により、大地は傷つき、マナも不安定な状況ではあったが、元々この世界に住む人々は、マナというものの存在を知らずに魔術を使っていた事もあって、その影響は殆どないと言ってもよかった。
 長老達は、まず、魔術を扱えない者達への差別をなくす事に尽力していた。
 エビルが、そういう者達の中から現れたということもあって人々の心の中には彼らに対する憎しみのようなものが根強く、その道は決して平坦なものではなかったが、長老達はそもそもエビルの出現がその差別意識に起因している事を根気よく説き続けていた。差別をなくす事が、すなわちアンナを守る事に繋がるのだと考えての事であった。
 そのアンナは、今、セネリアの長老宅に滞在している。
 アンナも、長老達と共に王に謁見し制度の改革を訴えたり、または、エビルに襲われた町や村の復興の手伝いなどに忙しく動き回っていた。
 しかし、ストレイは、アンナがそうして精力的に動いている反面、ふとした時にまるで魂の抜け殻のようにぼんやりと窓辺に佇み、外を眺めている姿も何度か目撃していた。彼が声をかけると、ハッとしたように彼を見た後、笑顔を浮かべて、
「さあ、ぼんやりしている暇はないわよね。頑張らなくっちゃ。」
と、再び仕事へ戻っていくのだった。
 ストレイには、そのアンナの笑顔が作られた笑顔に思えてならなかったのである。そしてそんな無理をしている様子のアンナに不安を覚えるのだった。
 そんなある日、いつものように復興の手伝いをしていたアンナが倒れたとの連絡が入った。ストレイの不安が的中してしまったのである。そこがたまたまセネリアに近かったこともあって、アンナはセネリアへと運ばれ医者に見せられた。
「…過労ですな。栄養をとって十分に休養を取る事です。」
 薬を置いて帰って行く医者を見送ると、ストレイはベッドの脇にある椅子に腰かけて、眠っているアンナを見詰めた。さっきは真っ青だったアンナの顔は、点滴の効果なのか、今は幾分本来の血色を取り戻しつつあった。
 しばらくして、アンナが目を覚ました。少しの間、自分を覗き込んでいるストレイをぼんやりと見ていたが、やがてハッとした表情になると慌てて飛び起きた。
「いやだ、私ったら何を…。ごめんなさい、やる事は山積みだっていうのに…すぐに手伝いに戻るわ。」
「いいから寝てろよ。お前、過労で倒れたんだぞ。」
 ストレイは起き上がったアンナを押さえつけるようにして、再びベッドへ寝かせた。
「ごめんなさい…こんな時に…本当にごめんなさい。」
 謝り続けるアンナの髪を、クシャクシャと撫ぜるストレイ。
「気にすんなよ。お前は今まであんなに頑張ったんだ。これからは周りの俺達が動くから、お前は心配しないでゆっくり休め。」
 アンナはクスリと笑った。
「やだ、ストレイったら、まるでクラトスみたい。」
 そう言ってしまってから、アンナはハッとしてストレイを見た。そしてすぐにすまなそうな表情になると、
「ごめんなさい…私…」
と、再び謝りその目を伏せる。
「……バーカ。何謝っているんだよ。俺はあの人に憧れているからな。そう言ってもらえると嬉しいよ。」
 ストレイは、アンナの額を人差し指で小突くと、優しく微笑み、
「あんまり無理するなよ。少し眠ったほうがいい。目覚めた頃に温かいスープでも持ってきてやるよ。」
「うん、そうする……ありがとう、ストレイ。」
 そう呟いて目を閉じるアンナ。程無くして規則正しい寝息が聞こえてくる。彼女が眠った事を確認したストレイは、布団をかけ直して退出しようとしたのだが、彼女の寝顔に視線が行くや否やその動きを止めた。アンナの閉じられた目から一筋、涙が落ちるのを見てしまったのだった。
 ストレイは居た堪れずに、逃げるように部屋を後にした。



 屋敷を飛び出したストレイは、無我夢中で走り続け、気が付くと村の隅にある大木の前に立っていた。
「くっそお!」
 怒鳴り声をあげ、拳を木へと叩きつける。

 今のアンナの心は空っぽなんだ。忙しさの中に身を置く事で、そのぽっかりと開いた穴を埋めようとしているのだが、それは逆に彼女をどんどん追い込んで行っている。

「やっぱり俺じゃ駄目なんだ。俺じゃアンナを助ける事は出来ないよ、クラトスさん…」
 叫びながら、ストレイは、ひたすら木に拳を叩きこみ続けた。自分で自分が情けなくて仕方がなかった。

 クラトスに、アンナを頼むと言われたのに…。
 お前ならアンナを支えて行く事ができるからと、そう言われて託されたのに…。


「そんなに叩いたら木がかわいそう…」

 突然背後から声が聞こえ、ストレイはその手を止めた。
 振り返ると、そこに少女が立っていた。見覚えのある子だった。確か道具屋の一人娘で…
「ベティ?」
「木が泣いてるわ。痛い、痛いって。」
 ベティは、そう言いながら、両手を前に出して手探りをしながら木に近付くと、その木に優しく抱きついた。
「もう大丈夫だから…泣かなくていいからね。」
(そうか…この子は目が…)
 ストレイは、ベティに近寄ると膝をついて彼女の目線に合わせた。
「ごめんよ、お兄ちゃんが悪かったよ。」
 ベティは、小さな両手を伸ばして来てストレイの顔にそっとふれた。
「?…お兄ちゃんも泣いてるの?」
 ストレイはハッとして慌てて涙を拭った。自分でも気付かぬ内に涙を流していたようだ。
「うん、ちょっとね。…友達が困っているのに何もしてあげられなくて、そんな自分が情けなくってね。(…何を言っているんだ俺は。こんな小さな子に愚痴ったってしょうがないだろうが!)」
 心の中で自分に呆れるストレイ。だが、少女は別段気にする様子はなく、可愛らしく小首を傾げると言った。
「そばにいてあげるだけでいいんじゃない。」
「へ?」
「あのね、何もしてくれなくても、そばにいてくれるだけで元気になれるんだよ。」
「!!!」
「私、目が見えないからってよく苛められるの。でも、いつもジムが助けてくれるの。ジムはね、苛めっ子を追い払った後、いつも何にも言わないけどずっと私のそばにいてくれるんだよ。私、それだけでいつも元気になれるの。」

 ストレイの頭に、過去の自分とアンナの姿が蘇って来た。
 アンナも不思議な力があった事でよく苛められていたっけ…そんな時、俺がいつも助けに入っていたんだ。俺、喧嘩弱かったけど、それでも必死に追い払って…それで…

『泣くなよ。アンナの事は俺が必ず守ってやるから。ずっと傍にいて守ってやるから。』
『うん…ありがとう、ストレイ。不思議ね。私、ストレイが傍にいてくれるととても安心できるの。』

 “とても安心できるの…”

 ストレイは、雷に打たれたかのようにその身をビクンと震わせると、目を見開いた。そして、
「有難う、ベティ!!」
大声でそう叫ぶと走り出したのだった。ベティは笑顔で手を振りながら彼を見送る。

馬鹿だ、俺って馬鹿だ。何でもっと早く気付かなかったんだ。
今のアンナが安らぐ事ができるのは俺の傍じゃない。お前の居るべき場所はここじゃないんだ。
俺がお前に教えてやるよ。
今お前がしなきゃならない事はなんなのか。本当に必要なものは何なのかを。



 アンナは、喉の渇きを覚え目が覚めた。水を飲みに一階へと降りて行く。そんなアンナの耳に、居間で話し合っている長老達の会話が飛び込んできた。
「何!国王がアンナの封印を持ち出してきただと!?」
「城内でもアンナの力を恐れる者が出始めているようだ。彼女がエビルのような行動を起こさぬ内に封じ込めるべきだとの声が大きくなってきている。それらの声を王も無視できなくなってきたようなのだ。」
「…クラトス殿が懸念していた事が現実となってしまったようじゃの。いつまでもここにいては危なくなるかもしれんな。ここセネリアは聖地の中心とも言える地じゃからな。ここよりは、わしのセントールの方が安全かもしれんな。アンナにはセントールに来てもらうか?」
「いや、それよりも……」

 長老達の話は続いていたが、アンナはもうそれ以上聞いている事ができず、逃げるように部屋へと戻った。そしてドアを閉めると、その場に力が抜けたようにペタンと座り込んでしまう。
「…私の居場所はもうどこにもないの?私は…私はどうしたら…」
 ぼーっとした目で虚空を見つめながら、か細い声で呟くと、声を抑えて泣き出す。
 アンナは、無意識のうちに自分の胸へと手をやっていた。、そして、何かを求めるかのように胸にあるペンダントをギュッと握りしめていたのだった。

 クラトスが残していったあのペンダントを…。


−空っぽの心 終−