4.紋章の光


 それからしばらくして、診察を終えたクラトスがユアンに連れられ、皆がいる居間へと戻って来た。
「どうだった?」
 ロイドの問いに、後から出てきたアルテスタは、大きくため息をつくと
「どうしても分からんのじゃ。輝石にも要の紋にも異常は見られんし、今日は天使疾患の可能性も考え調べてみたのじゃがどうやらそれもないようなんじゃ。思考を読み取られぬよう自分でガードしているとしか考えられん。」
「あの…何か必要な薬草とか、物とか、あるんだったら、私どんな事しても集めてきますから。だから…」
 すがるように自分を見詰めてくるアンナに、アルテスタは優しく微笑み言った。
「焦りは禁物じゃよ、お譲ちゃん。クラトス様が自分で自我を殺しているのだとしたら、我々にはどうしようもないんじゃ。時が来たら必ずクラトス様より何かを発してくるに違いない。それまで辛抱強く待つ事じゃ。そしてその合図を見逃さぬ事。お譲ちゃんはその事を肝に銘じながら看病していってもらいたいんじゃよ。もちろんわしの方でも引き続き原因を突き止める努力はして行くつもりじゃ。だから、な?」
 アンナはアルテスタの言葉にこくりと頷いた。
「よーし、それじゃあ、ひとまず家へ帰りますか!」
 ロイドがパンと一つ手を打つと、明るい声で言った。
「そうだ!アンナさん、帰りがてらマナの木を見せてやるよ。まだちっちゃいけど綺麗なんだぜ。ユアンはどうする?送って行こうか?」
「いや、これからクラトス様の薬を用意するから、ユアン様にはそれまでお待ち願いたいのだが。」
 アルテスタが言えば、ユアンは頷き、
「そういう事だ。お前達は先に帰っていてくれ。後で私が薬を持ってロイドの家へ行こう。」
「うん、分かった。」
 そして、ロイド達はクラトスを連れ、賑やかに帰って行った。
 ロイド達を見送ると、ユアンはアルテスタを見ると真剣な表情で言った。
「で?…何か私だけに話したい事があるのだろう?」
「ユアン様が察して下さり助かりました。実は、クラトス様の事でちょっと気になる事がありましてな…」
 それからしばらくユアンとアルテスタは、難しい顔をして話し合っていた。




 ロイドに連れられてやってきたのは、小高い丘の上だった。辺り一面には花が咲き乱れ、まるで別世界のようであった。その真中には、アンナの膝の高さほどに成長したマナの木があり、あの美しいマナの輝きを辺り一面に振りまいていた。
「木と呼ぶにはまだちっちゃいだろ?」
「でも、きれい…すごく綺麗だわ!」
 嬉しそうに笑うアンナの顔を見て、ロイドは微笑んだ。
「やっと笑った。」
「え!?」
「こっちにきてから、アンナさん、心から笑った事なかったろ?」
「ロイド君…」
「その方がいいよ。やっぱアンナさんは元気に笑ってなくっちゃ。クラトスだってその方が嬉しいに決まってる。」
 そばに佇んでいるクラトスへと目を向ける二人。
「クラトスもここが好きみたいなんだ。ほら、何となく嬉しそうだろう?今日はアンナさんがいるから余計にかな…」
 アンナはクラトスを見詰めた。その顔は相変わらず無表情。だが、心なしか目に輝きが戻ってきたような気がする。
「…絶対に、戻してやろうな。俺達の手で、元のクラトスに絶対に戻してやろう。」
「ええ。その為にもまずは私自身が元気にならなくっちゃ。」
「そう言う事!」
 それから二人は、顔を見合せ力強く頷くと、声を揃えて笑ったのだった。

 その日から、アンナは献身的にクラトスの看病を始めた。食事を作り、部屋にはつんできた花を飾った。そして色々な事を語りかける。
 だが、失敗も多かった。アンナは光子様々と大切にされてきた為、家事というものをほとんどやった事がない。洗濯をやらせれば皺も伸ばさずクシャクシャのまま干してしまうし、掃除も四角い所を丸く掃くわ、花瓶はすっ飛ばすわできれいにしているのか散らかしているのか分からない始末。料理では、ロイドにくれぐれもトマトは出さないようにと注意されていたのを忘れ、トマトオンリーの料理を作ってしまい、クラトスに膳ごとひっくり返された事もある。怒った顔でそうされるならともかく、無表情でやられたものだから余計に怖かったと、ロイドに涙ながらに語ったものである。
 それでも、ロイドの蔭のフォローもあってか、アンナはなんとかこなす事ができていた。
 そんなある日の事、アンナはいつものように“アンナ”のお墓参りをしていた。始めてこの家に来た時、ロイドにこの墓を教えてもらってから、毎日欠かさずお参りを続けていた。
 正直、アンナには複雑な思いがあった。ロイドの亡くなったお母さんで、クラトスが心から愛した人。自分にそっくりだったという自分の姉。
 クラトスは本当は、自分の中に姉を見ているだけなのではないか。クラトスが愛しているのは、ここに眠る姉、唯一人だけなのではないか。
 様々な思いが駆け巡り、そんな事を考えてしまう自分に嫌悪感を覚えてしまう。毎日その繰り返し。だが、それでもアンナは毎日通い続けていた。そうしなければいけないような気がしてならなかったのだ。
 そんな訳で、その日もアンナは墓参りをしながら、様々な思いを巡らせていた。すると、そんなアンナに背後から声をかけてきた者がいた。
「毎日毎日、ご苦労なこった。」
 振り返ると、そこに立っていたのは、赤い髪をした青年ゼロスだった。意地の悪い笑みを浮かべ自分を見詰めている。アンナは無視してそこから立ち去ろうとした。
「あんた、このアンナさんにそっくりなんだってな。」
 その背を追いかけるようにかけられてきた声に、アンナの足が止まる。
「毎日、自分と同じ顔の奴にお参りされるってどんな気分なのかな?しかも最愛の人を奪い取ろうとしている恋敵に。」
「…何が言いたいの。」
「身の程知らずな事は止めろって言う忠告。あんたじゃ逆立ちしたってこのアンナさんにかなう訳がない。」
「!!…私はクラトスを奪おうなんて思ってないわ。彼が“アンナ”さんの事が忘れられないのは分かっているもの。」
「傍にいられればそれでいいってか?へっ!それはご立派なこって。だが、それでホントにあんた天使様の事愛してるって言えるの?」
 ゼロスは肩をすくめた。
「相手が幸せなら自分は身を引きますっていうの、俺は嫌いだね。反吐が出る。そんなの自分がいい子ちゃんでいたいだけじゃないか。」
「あなたがどう思おうがそんなの関係ない。放っておいてちょうだい。」
 アンナはゼロスを睨みつけると踵を返し再び歩き出した。ゼロスは構わず話を続ける。
「天使様は時々、どこかへふらふらと行っちまう事があった。俺達はその度に慌てて天使様を探して連れ戻していたんだ。天使様が行く場所は大抵決まっていた。マナの木のある丘の上か、救いの塔の前。大概は救いの塔の前にいる事が多かった。」
「そんな事、ロイド君から聞いて知ってるわ。」
「まあ、聞けよ。」
 ゼロスはアンナに近付くと、その顔を覗き込みニヤリとした。
「それがさ、あんたが来てからそのお出かけがぱったり止んじまったんだ。」
「それは、私がクラトスにつきっきりでいるから…」
「今はどうなの?天使様、部屋に一人でしょうが。」
 アンナはハッとして、慌てて部屋へ戻ろうとした。
「そんなに慌てなくても大丈夫。天使様はちゃんと部屋で眠ってるよ。俺様がさっき見て来た。」
 ゼロスはアンナを引き止め、話を続けた。
「あの場所が天使様にとってどういう場所なのか、考えてみた事ある?」
「え…?」
「天使様はあの場所からデリス・カーラーンへ渡ろうとしたんだ。その時あんたらの世界へ飛ばされてしまい、そしてあんたと出会った……天使様はさ、あそこに行けばあんたにまた会えると思ったんじゃないかな。そう思わないまでも、あそこに行く事であんたを思い出していたのかもしれない。」
「!!!」
「無意識のうちにあんたを求め、あの救いの塔の前に通っていた…なあんていう風には考えられない?」
 ハッとし目を見開くアンナ。そして急いでクラトスの元へと戻って行く。
 ゼロスはもうその後を追おうとはしなかった。代わりに二階を見上げると未だ眠っているであろうクラトスに心の中で話しかけたのだった。
「見返りを求めない愛…か。そんなもん信じてなかったんだけどね。でも、手助けはこれっきりだ。いつまでもグズグズしてるようなら、俺様、今度こそ二人の仲を引き裂きにかかるかもしれないぜ。」


 部屋に戻ったアンナは、じっとクラトスの寝顔を見詰めていた。
「本当に貴方は私を求めてくれていたの?でも、こうして私が来たって何も言ってくれないじゃない。ねえ、一体どうしたっていうのよ。貴方の身に何が起こっているの?」
 すると突然アンナの胸のペンダントが輝き出したのである。驚き、慌ててペンダントを手に取るアンナ。石に掘られた紋章が放つ眩しい位の光の中にぼんやりと何かが映っているのが見えた。

 それは暗闇の中、唯一人、何かと戦っているクラトスの姿。

 混乱し、それを見詰めるアンナの頭の中に誰かの声が響いてくる。

 “息子を…助けて…貴方ならそれができる…どうかお願い…”

 途切れ途切れのその声はすぐに聞こえなくなり、程無くして紋章の光も消えてしまった。

 アンナはペンダントを手にしばらく呆然と突っ立っていたが、やがて手の中のそれを強く握りしめると、部屋を飛び出して行ったのだった。


−紋章の光 終−