誤解が生んだ悲劇


「アマンダ、その人たちはだあれ?」
 クラトスが遊びに行こうと部屋を出ると、アマンダが見知らぬ三人の男女を連れ屋敷の中を案内しているのに出くわした。三人はクラトスの好奇心に満ちた真っ直ぐな視線を受け、オドオドとした表情を浮かべている。
「今日から屋敷で働いて下さる方々よ。こちらからララにベル、そしてランス。」
 三人は相変わらずオドオドした様子で、ぎこちなくクラトスに頭を下げた。
「クラトスもお世話になるのだからきちんとご挨拶しなさい。」
「はい。」
 クラトスはアマンダに元気よく返事をすると、笑顔を浮かべ三人を見た。
「ぼくはクラトス。よろしくね。」
「へ、へい…よろしくお願いいたします…」
 震えるか細い声で挨拶を返す三人に、クラトスは首を傾げた。
「クラトス、遊びに行くのなら上着を着て行きなさい。今日は冷えるから風邪をひいてしまうわよ。」
「このぐらいへっちゃらだよ!じゃあ、行ってきま〜す!」
「コラ!待ちなさいクラトス!!……晩御飯までには帰ってくるのよ!!」
 分かってるよ!との声を残し、たちまち外へと飛び出して行くクラトス。
「困った子ね。」
 アマンダは苦笑しながらそう呟くと、三人の方を振り返り、
「さ、行きましょうか。次は調理場だったわね。」
 相変わらず怯えたような表情の三人を連れ、調理場へと向かったのだった。


 一方、外へと出てきたクラトスは、なんとなく遊びに行く気が失せてしまい、庭の花壇の前にしゃがみ込んでいた。
 ここはクラトスが屋敷の中で一番好きな場所だった。アマンダ自らが育て上げた色とりどりの綺麗な花達を眺めているとなんだかとても落ち着いてくるのだ。それにここはアマンダ専用の花壇であり、使用人達もほとんど来る事はなかった。だからクラトスは一人になりたくなるといつもここへとやってくる。今までも寂しかったり、悲しかったりした時は、一人ここにやってきてはぼんやりと花を眺めて過ごしていた。
「あの人達、なにをあんなに怖がっていたんだろう…うちに来る人達ってみんなあんな感じだ。あの人達を見るたびに、ぼくはなんだかとっても胸が苦しくなって、悲しくなってしまうんだ。」

 この頃からすでに世界中でハーフエルフへの弾圧が行われていた。ハーフエルフというだけで不当な差別を受け、就ける仕事と言ったら過酷な肉体労働を強いられる奴隷ぐらいなものだった。ある国などは、動物の代わりに、逃げ惑うハーフエルフ達を弓で射殺すハーフエルフ狩りなるものが公然と行われていたのである。多くのハーフエルフ達が職にも就けずに日々の暮らしに困窮していたのだった。そしてそれに耐え切れなくなったハーフエルフ達の暴動が各地で起こっていた。
 そんな中、クラトスがいるシルヴァラントでは、そんなハーフエルフ達の姿を見かねて彼らを救済しようとの動きを見せる人達が現れ始めていた。その急先鋒をいくのが、クラトスの養父であるファルスだったのである。
 ファルスは王国の科学者だった。根っからの平和主義者で、多くの科学者が兵器の開発へと走る中、彼だけは人殺しの道具は作りたくないと、もっぱら庶民の生活に根ざした品々を改良したりばかりしている変り種だった。しかし彼の発想力には目を見張るものがあり、彼の作り出したものは国民の生活に潤いをもたらし、それはひいては国益を上げる一端を担っている事も否めない事実なのである。国王でさえ、それほどの頭脳を持ちながらそれを軍事に使わない事を残念がってはいるものの、彼には一目置いている程なのであった。
 ファルスは、数々の生活に役立つ品作り出しながら、同時にハーフエルフ達の置かれる悲惨な立場をまざまざと見せ付けられてきた。そしてその内になんとか彼らを救ってあげたいとの思いに駆られるようになっていったのだった。
 彼は、ハーフエルフ達を現状から救いあげるには、まず、真っ当な職に就かせて自分達で自立していく力をつけさせる事が大切だと考え、可能な限りハーフエルフ達の仕事の世話や相談に乗ったりしていた。そしてファルス自身も多くのハーフエルフ達を雇い入れた。そこでハーフエルフ達は、ファルスに学問を教わりながら、屋敷の中の事やファルスの研究の助手などに従事していたのである。
 しかし、それほどまでにファルスがハーフエルフ達の為に私財を擲って尽くしても、長年に渡るハーフエルフ達の人間に対する不信感はそう簡単に拭えるものではなかった。これまでにも裏切られた事は数知れず、それでもファルスは投げ出す事はしなかった。そう簡単にはいかないさと笑いながら、ハーフエルフ達を信じてひたすら手を差し伸べ続けていたのだった。今日クラトスが会った三人もそんなハーフエルフ達だったのである。
 だが、まだ子供であるクラトスにそんな世界の現状が分かる筈もなく、彼からするとまた陰気な人達が三人も屋敷にやってきた程度にしか思えなかったのであった。それでもかねてから他人の心の動きに敏感だったこの少年は、彼らが抱える悲しみを、それが何かは分からないまでも感じ取っていたのである。

「彼らはハーフエルフなんだよ。」

 突然聞こえてきた声に、クラトスは驚くことなく振り返った。もう慣れっこになっていたのである。
 果たしてそこには、初めて会った時には驚いたものの今ではすっかり仲良しになっている二十歳前後の鳶色の髪の青年が立っていた。
 いつも突然に現れては自分にとても優しくしてくれる青年…その正体も名前すら分かってはいなかったが、自分と同じ色の髪と瞳を持つこの青年が、クラトスは大好きだった。この青年が話してくれる話は、どれもクラトスの好奇心をくすぐるような楽しいものばかりで、それ以外にも、まだ幼いクラトスが知らない色々な事を分かりやすく教えてくれるのだ。
「はーふ…えるふ?」
「そう、ハーフエルフ。」
 青年はクラトスの横に腰を下ろすと、髪を優しくなでながら話を続けた。
「クラトスにはまだ難しいかもしれないけど、この世界には、エルフ、人間、ハーフエルフといった三つの種類の人達が住んでいるんだ。見た目が少し違うだけでみんな同じなんだけどね。大人たちはそうやって区別している。」
「ふーん……じゃあ、僕は?僕は何になるの?」
「クラトスも、そして私も人間だよ。」
「僕も、お兄ちゃんも人間……だから僕たちは友達なんだね。」
 クラトスはニッコリと笑った。
「う〜ん、それはそうなんだけど、ちょっと違うかな。私とクラトスは確かに同じ人間だけど、そうだから友達だって訳じゃないんだ。例えば私が人間じゃなくてハーフエルフだったら、クラトスは私と仲良くしてはくれないのかい?」
「そんな事ないよ。だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ?僕はお兄ちゃんが好きなんだもん。」
「有難う……それと同じだよ。人間だとか、エルフだとか、ハーフエルフだとか、そんなのは関係ないんだ。みんな同じ大地に住む仲間なんだから。どの種類の人達だって、クラトスが友達だって思ったらもうその時点で友達なんだよ。」
「ふ〜ん…なんだかよく分からないや。とにかく、みんな一緒ってことなんだよね?」
 青年はクスリと笑った。
「そう言う事だ。今はよく分からなくても大きくなったらきっと分かるよ。でも、大人達はそれをみんな別にしたがるんだ。自分と同じ種類の者だけが正しいと思い込み、他の種類の者と仲良くしようとしない。中でもハーフエルフは他の二つの種類の人達から仲間はずれにされている。みんなから苛められていつも怯えている。」
「どうして!?だってみんな同じなんでしょう?それなのに苛められるなんておかしいよ。」
「人というもの…特に大人とはそういうものなんだ。自分より下の者が苦しむのを眺めては、その者よりは自分は上にいるのだと安心したがる。」
「……」
「クラトス、お前は優しい子だ。こんな所にいてはいけない。いつか必ず傷つき苦しむ事になるだろう。私と一緒に行かないか?」
「えっ?」
「こんな差別などない世界に、一緒に行こう。そこで二人だけで暮すんだ。」
「でも……」
 するとその時、考え込んでいるクラトスの背後を一陣の風が吹き抜けた。それを見た青年は眉を寄せると、チッと小さく舌打ちした。考え込んでいたクラトスはそんな青年の変化に全く気付いていない。
「邪魔が入ったようだ。」
「えっ、邪魔?」
「いや、なんでもないよ。こっちの話だ…」
 青年は笑顔を浮かべると、不思議そうに見上げてくるクラトスの頭を優しくなでた。
「またくるよ。その時までに考えておいておくれ。もう一度言っておく。これはクラトスの為なんだよ。ここにいてもお前は不幸になるだけなんだ。今まで私が間違った事を言った事があったかい?」
 ふるふると頭を左右に振って否定するクラトス。
「そうだろう?…お前は賢い子だ。いい返事を待っているよ。それじゃあね。」
 辺りに風がわき起こり、それが収まると青年の姿はもうそこにはなかった。
 本当に不思議な人だと思う。いつも突然現れては去る時もまるで魔法のように消えてしまうのだ。

「クラトス。」

 青年の事をぼんやりと考え込んでいたクラトスは、再び声をかけられ驚いたように横に立つ男を見上げた。確かにさっきまで誰もいなかったはずなのに、男は、まるでずっとそこにいたかのように自分を見下ろしている。
「オ、オリジンさん?…いつ来たの?」
 男の名はオリジン。彼とはクラトスがまだ話す事もままならないよちよち歩きの頃に初めて出会った。それ以来、時々彼の元へと現れるようになった。だが彼の場合、先程の青年のように毎回話しかけてはこなかった。大概の場合、傍に立ちそこで遊んでいるクラトスを黙って見守っているだけなのであった。クラトスがオリジンと話したのは今までで二、三回ぐらいだけだろうか。しかしそれも、彼の話す事は難しすぎて子供のクラトスには理解できない事ばかりだった。クラトスが首を傾げると、彼はいつもこう言うのだった。
 今はまだ分からなくてもいい。今にきっとこの言葉の意味が分かる日が必ずくるだろうから。その時に今聞いた事を思い出してくれればいいのだと。
 考えてみれば、あの青年にしても、このオリジンにしても不思議な人達ばかり自分の前に現れる。彼らは必ずクラトスが一人の時にやってきており、どちらからも自分達に会った事は誰にも言わぬように口止めされている為に、他の者は彼等の存在すら知らないのだ。そしてクラトス自身、この二人がどこの誰なのか全く分からなかった。
 クラトスがそんな事をぼんやりと考えていると、オリジンがいつもの重厚な声で話しかけてきた。
「クラトス、あの男の言葉に耳を傾けてはならない。」
「あの男?……それってお兄ちゃんの事?」
「そうだ。あの男はお前にとって危険な存在だ。だから近付いてはいけない。」
「……でも、お兄ちゃんは優しいよ。いろんな事を教えてくれるんだ。それに、何だか分からないけど、僕はあのお兄ちゃんにすごく引き付けられるんだ。すごく安心できる気がするんだよ。だから…」
 オリジンは目を伏せた。
 オリジンにもあの男の正体は分かっていなかった。だがあの男は何か危険な雰囲気を纏っている。破滅の臭いとでも言えばいいのだろうか。クラトスを彼に近付けてはならない。でなければあの男は必ずやこのクラトスさえも破滅へと巻き込んでしまうだろう。何の確証があるわけでもない。これは言ってみれば長年生きてきた彼の直感のようなものだった。だが、そんな事を話した所で今のクラトスには到底理解する事などできないだろう。
「…とにかく気を付ける事だ。いいな、クラトス。」
 今のオリジンにはそう忠告するしか出来なかった。
「う、うん…」
 クラトスは少し不満気ではあったが素直に頷いたのだった。
「……ところで、今日はお前に見せたいものがあってやってきたのだ。」
「見せたいもの?それはなあに?」
「この大地の命…全ての源となるもの。」
「?」
「あの輝きを、今の内にお前に見せておきたいと思ったのだ。」
 嵐がすぐそこまで近付いてきていた。それがこの子から何もかも奪い取ってしまう前に見せておきたい。この澄んだ瞳の輝きと素直な心をこの子が失ってしまう前に…。
「一緒に来てくれるか?」
「うん、僕、見てみたい!」
 クラトスが頷くと同時に二人の体は光に包まれ、何処かへと消えて行ったのであった。

 気が付くと、クラトスは大きな木の前に立っていた。その木は今までクラトスが見てきたどの木とも違っていた。様々な色の小さな光が丘の真ん中に立っているその木を取り巻くように漂っており、それらが織りなす幻想的な光景に、クラトスは思わず夢の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。
「綺麗…すごく綺麗だ。」
「これがマナの木だ。」
「マナの木?」
「そう。この木がこの大地にマナという命を吹きこんでいる。お前が目にする全てのものはこの木があるから存在出来ているのだよ。」
「この木が世界を作ってるの?一人で?一人じゃ大変じゃないの?だからかな?すごく辛そうに感じるんだけど…」
 オリジンはクラトスの言葉に目を細めた。

(やはりこの子は…)

「……そうだ。この木は今苦しんでいる。枯れ始めているのだ。」
「えっ!?」
「この世界の者達がマナを大量に使い続けた結果なのだ。」
「そんな…それじゃあ、この木が枯れてしまったらみんなはどうなってしまうの?」
「大地は荒果て、ここに生きる全ての生物は死んでしまうだろう。」
 クラトスは目を見開いた。
「どうして……どうして僕にそんな事を?そんな事言われたって僕には何もできないよ。あなたは一体誰なの?」
 その言葉と同時にオリジンは光に包まれ、その姿を精霊のそれへと変えたのだった。クラトスはあまりの事に驚き尻もちをついてしまう。
「私は精霊王オリジン。はるか昔よりこの世界を見守って来た者…」
「せ、せ、精霊王!?」
「何故私がお前にこんな事を話したのか、自分がこれからどうすればいいのかは、今は分からなくてもいい。このマナの木も今すぐに枯れてしまうわけではない。今はただ、このマナの輝きをその心にしっかりと刻みつけておいて欲しい。そして今日感じた事を忘れないでいて欲しいのだ。」
「……」
 クラトスは再びマナの木へと視線を向けた。そして、まるでこの光景をその目に焼き付けるかのように真剣な瞳で見つめ始めたのだった。
 まだ早かったのかもしれない。だが、この先お前は嫌でもこの現実と向き合わねばならなくなる日がきっと来る。それがお前の運命なのだ。
 長い間探し続けた。そしてようやくお前を見付けだす事ができたのだ。
 このマナの木に…この大地に選ばれし救世主たるお前を!



 ちょうどその頃、一人の青年がアマンダを訪ねてファルス邸へとやってきていた。
 青年は深い黒みがかった緑色の髪を肩まで流し、それと同じ色の瞳は鋭く強い光を宿していた。旅をしてきたのか、大きな皮の袋を担いでおり、腰には一本の剣をさしている。派手な飾りつけはないものの、それはかなり名の通った名剣のようであった。
 青年はしばらくの間、門前に立ち屋敷を見上げていたが、やがて不敵な笑みを浮かべると中へと入っていったのだった。

「紹介?サラお義姉様の?」
 アマンダの元へと通された青年は、馬鹿丁寧なお辞儀をすると持っていた紹介状を彼女に差し出した。
「ブレイズと申します。サラ様よりクラトス坊ちゃまのお傍にお仕えするよう仰せつかりまして、まかり越しました。」
 アマンダは紹介状を受け取りそれを確認すると改めて青年を眺めた。
 この人をお義姉様が?
 何故?という思いがアマンダの頭を過った。確かにこの男、物腰は丁寧ではある。だが、それが上辺だけのものである事をアマンダは見抜いていた。この男が“クラトス”と口にした時に一瞬浮かべた表情…あれは嫌悪感だ。それもただの嫌悪ではない。思わず背筋が寒くなるような殺気がこめられているように思えた。あの義姉がこんな男をクラトスの元へ寄こす筈がない。だが、ここにある紹介状は確かに義姉の字であった。
「……お話は分かりました。ですが、あなたをクラトスの世話人として雇い入れるかは私の一存では決められないのです。一度夫に相談して見ない事には。その夫はただいま出張で家を空けております。一週間ほどで戻る予定ですので、申し訳ありませんがその頃に再びお越し願えませんでしょうか?」
 ブレイズはニヤリと笑った。アマンダは心の中を見透かされたような気分になり一瞬身を強張らせるが、必死に平静を保った。
「そうですか。では、一週間後にまたお伺い致します。それまで私は宿屋に滞在しておりますので、何かありましたらそちらにご連絡下さい。」
 ブレイズは、深々とお辞儀をすると帰って行った。
 男が放っていた圧迫感のようなものから解放され、アマンダはぐったりと椅子の背に寄り掛かると大きく息をついた。
 この紹介状が本物である事に間違いはない。では、あの男はこれを誰かから奪い取ったのか?もし義姉が本当にあの男を寄こしたのだとすると、何故あんな男を?分からない、どうしても分からない。果たしてあの男を信用していいものなのかどうか。とにかくファルスが帰ってきたら相談してみよう。
 アマンダはそう決心したのであった。

 そしてその日、アマンダは帰宅したファルスに早速相談を持ちかけようとしたのだった。だが、当のファルスの様子がどことなくおかしい。
「あなた、どうかしまして?」
「ん?いや、なんでもない。ただ、これからまた城へと行かねばならなくなった。」
「これから?」
「クラトスはもう寝たのか?」
「ええ。さっきまで起きていたのですが、もう遅いですし早く寝るように部屋へ帰しましたわ。でもなんだかあの子、今日は妙に興奮していてなかなか寝れない様子でしたから、寝付くまでハンナに付き添ってもらってます。」
 ハンナはアマンダの乳母だった者で、今はクラトスの面倒を見てもらっている。
「興奮?それはまたどうして?」
「どなたかに何かを見せてもらったようなんですけど詳しくは話してくれないんですの。前はなんでも話してくれたのに最近はこういう事が多くて…」
 渋面をつくるアマンダを見て、ファルスは笑った。
「男の子というものはそういうものだ。毎日何かを発見しては自分だけの宝物としてとっておきたいものなのだよ。あの子も成長しているという証じゃないか。」
 それからファルスは時計を見ると、慌てて再び鞄を取り玄関へと向かった。その途中で、見送りに追ってきたアマンダの方へと振り返ると、
「戻るつもりでいるが、たぶん遅くなるだろう。お前も先に寝ていなさい。」
「ええ……でも一体何事なんですの?今日のあなたはどことなく変ですわ。」
 アマンダの問いかけに、ファルスは目を伏せしばし迷っているようだったが、
「……実は、陛下が今私がしている研究について詳しく聞きたいとおっしゃられてな。」
「今の研究って…でも何故あれを?」
「大臣たちが陛下に何かを吹き込んだようなのだ。陛下はあれを人体に使いたいと考えられてるようだ。」
「人に!?でもあれは…」
 アマンダは戸惑ったよう表情を浮かべた。
「そう、あれは人に使うべきものではない。もし使ったりしたらどんな影響が出るか全く想像が出来んのだ。だがいくらそう説明しても陛下は納得して下さらない。」

 二人が玄関先でそんな事を話している所に、偶然今日からこの屋敷で働き始めたランスが通りかかった。ランスは自分の部屋へ戻ろうとやってきたのだが、聞こえてきた二人の会話の内容の重大さに思わず物陰に身をひそめた。二階の自分の部屋に行くには二人のそばを通らねばならない。なんだか聞いてはいけない内容の話に、彼はこのままではお叱りを受けるような気がしたのだった。そうとは知らず二人の会話は続いていた。

「どうしても軍隊に使用したいとおっしゃって聞かないのだ。その為に人体実験をするようにとまで言ってこられた。」
「そんな事!!でも、一体どうやって…だって、そんな実験台になりたいなんて人いないでしょうに。」
「いや、いるにはいるんだ。まさにうってつけの者達がな…」
 そしてファルスとアマンダは、ランスには気付かずに、そのまま玄関の方へと行ってしまったのだった。

 後に残されたランスは驚愕の表情を浮かべ立ち尽くしていた。
「人体実験?……うってつけの者達?」
 ランスの頭にはそれが自分達の事としてしか浮かんでこなかった。
 あの夫婦はこの為に自分達を雇い入れたのか。善人の振りをしてあの夫婦も結局自分達を単なる道具としてとしか見ていなかったのだ。私達は騙された!?
 ランスの瞳に狂気の光が宿った。
「このままでは私達は殺されてしまう。」
 ランスは急いで二階へと駆け上がって行ったのだった。この事実を仲間へと知らせる為に。

 もちろんこれはランスの全くの勘違いであった。玄関へと向かいながら二人の会話はまだ続いていたのである。ファルスの言ううってつけの者とは軍人の事だったのだ。今回の陛下の希望に軍から何人かの志願者が現れていたのである。軍人の鍛えられた体なら、あるいは副作用にも耐えられるかもしれない。そういう意味でファルスはうってつけの者と言ったのだった。ファルスはランス達ハーフエルフを実験台にする気など毛頭なかったのである。
 このひとつの誤解がこれから起こる悲劇の引き金となってしまったのだった。
 それはファルスが出かけて数時間後に起きた。

 その夜、クラトスはオリジンにマナの木を見せられた事で、興奮が未だ冷めやらずいつまでたっても眠れずにいた。ハンナが自分の部屋へと戻ってしまった後も一人何度となく寝返りをうっていたのだが、その内、喉に渇きを覚えてきた。台所で水を飲み部屋へと戻ろうとしたクラトスは、その現場に出くわしてしまったのであった。
 薄暗い廊下を棍棒のような物を手に持った何人もの人達がファルスとアマンダの寝室へとなだれ込んで行ったのだった。すぐさま部屋の明かりがつき、同時にアマンダの悲鳴が聞こえてきた。クラトスはハッとして駆け込んで行く。
 部屋の中にいたのは、この屋敷で働いているハーフエルフ達だった。それぞれに棍棒を構え「悪魔ファルスはどこだ!」と叫びながら、アマンダを取り囲んでいる。
 実はランスは二人の会話の最初の部分を聞いていなかった。従って、彼等はこの時間なら当然ファルスも城から戻り部屋にいるものと思っていたのだが、そこにはアマンダしかいなかった。その事が彼等の興奮を余計に煽ってしまったようだった。
「こいつも悪魔の仲間だ!まずはこいつから血祭りにあげよう!!」
 ランスの叫びに他の者達も「うおー!!」との叫び声をあげる。彼等がまさに飛びかかろうとしたその時、アマンダの前にクラトスが立ち塞がった。
「止めろ!!アマンダに何かしたら僕が許さないぞ!!」
「クラトス!危ない、逃げて!!」
 アマンダはクラトスを突き飛ばし、クラトスに向かって振り下ろされた棍棒を代わってその身に受けた。倒れ込んだアマンダを代わる代わる殴りつける暴徒達。
「止めろ   !!」
 クラトスは何度も突き飛ばされながらも必死にアマンダの元へと近づこうとしていた。アマンダはすでにぐったりとして動かなくなっていた。にも関わらず、執拗に殴り続けるハーフエルフ達。彼等の眼は血走っており、どの目も狂気を帯びていた。

 止めて…このままじゃアマンダが死んじゃうよ。
 お願いだから止めて!!

 自分も殴られながら、クラトスは必死に心の中で叫んでいた。その目が床を流れている赤いものの上にとまる。
 アマンダが流した血…クラトスの顔に驚愕の表情が浮かんだ。

「アマンダ ―――― ッ!!!」

 その瞬間、クラトスの中で何かが弾けた。そしてそのまま意識は闇へと沈んで行ったのだった。





 気が付くと、クラトスは自室のベッドの上にいた。ハンナが心配そうに覗きこんでいるのが見える。一瞬何が起きたのか思い出せなかったのだが、すぐに脳裏にあの惨劇が蘇って来た。クラトスは飛び起きるとハンナの手を握った。
「アマンダは!?アマンダは助かったの!?」
 ハンナは辛そうに目を伏せ答えようとしない。
「アマンダー!!」
 クラトスは居ても立ってもいられず、すぐにアマンダの部屋へ向かおうとしたが、その場に倒れてしまう。
「坊ちゃまっ!!まだ起き上がるのは無理です。坊ちゃまも酷い怪我をなさっているのですよ。」
「離せ!アマンダー!アマンダ!!」
「奥さまは生きてます。ですから…」
 ハンナが暴れるクラトスを抑えようと躍起になっているその時、部屋の扉が乱暴に開かれファルスが入って来た。クラトスはハンナの手を振りほどくとファルスに駆け寄った。
「アマンダは?アマンダは…」
 だが、ファルスの顔を仰ぎ見た途端、クラトスは言葉を飲み込んだ。ファルスは今まで見た事がないような無表情な冷たい目でクラトスを見下ろしていたのだ。
「…何故お前は生きているのだ…」
「…え?」
 ファルスは呆然としているクラトスをいきなり張り倒した。
「旦那さまっ!?お止め下さい!!」
 クラトスを庇おうとするハンナを突き飛ばすと、ファルスは床に倒れたクラトスの上にまたがり更に殴りつけた。
「何故だ!?何故お前が助かりアマンダがあんな姿にならねばならなかったのだ!お前がいなければアマンダは逃げられたのだ。お前が、お前がいたからアマンダは……。この厄病神めがっ!!」
 クラトスは目を見開いた。
「お前が死ねばよかったのだ。お前が…お前が…」
 ファルスは何度も、何度もクラトスを殴り続けた。その目から涙を流しながら…。
 クラトスは黙ってそれに耐えていたのだった。



 その数日後、ハンナはアマンダの部屋へと呼ばれた。
「クラトスはどうしていますか?怪我の具合は?」
「はい、お怪我の方は、もう動いても何の支障もない程に回復なさっておられます。ですが、あの日以来すっかり別人のようになってしまわれて……前はあんなにも明るく素直なお子であられたのに。」
「そうですか……。」
 あの夜の惨劇は、このファルス家だけの秘密となっていた。国王も、そして町の者さえもあんな事件があった事は知らない。どうしてそんな事ができたのかは謎であったが、ファルスが情報の流出をおさえた事は確かだった。そしてあの事件を起こしたハーフエルフ達の姿も、事件の日以来、何処かへ消えてしまっていた。
 それでもあの事件は現実に起こったもので、それはファルス家の者達の人生を一変させてしまっていた。クラトスだけでなく、ファルスもすっかり人が変わってしまい、毎日、何かに取り憑かれたかのように研究に没頭しており、たまにアマンダの元へ訪れるものの、その顔に以前の穏やかな微笑みが浮かぶ事はなかった。そしてアマンダ自身も…。
 あの惨劇は、この幸せだったファルス家を崩壊させてしまったのである。

 このままではいけない。このまま放っておけばいつか大変な事になる。

「…ハンナ。宿屋にブレイズという人が泊まっているはずです。行ってここに呼んで来て欲しいのです。」
「は!?ここに、ですか?しかし奥様の部屋には部外者を入れてはならないと旦那様が…。」
「事は一刻を争うのです。取り返しのつかない事になる前に手を打たなければならない。このファルス家の為…いえ、何よりもクラトスの為に。」
「坊ちゃまの?……分かりました。すぐに呼んで参ります。」
 ハンナは急いで部屋を飛び出して行った。それを見送るとアマンダは目を伏せた。

 今でもあの男の事は信用できない。でも、私がこんな姿になってしまった以上、私に代わってクラトスを守り導いて行く者がどうしても必要なのだ。そうでなければあの子は今に駄目になってしまうだろう。
 クラトスと実際に会った時、あの男がどう出るか…それであの子の運命も決まってしまうだろう。そう、これは賭けなのだ。一歩間違えば全てが終わってしまう程の危険をはらんだ賭け。
 でも、今は信じるしかない。クラトスの持って生まれた運の強さを…そして義姉が選んだあの男を。

 数分後に、ハンナがブレイズを連れて戻って来た。ハンナはアマンダと一言二言言葉を交わすと退出して行った。
 ブレイズは相変わらず不敵な笑みを浮かべていたが、部屋に入ってきてアマンダの姿を目にした途端、一瞬、その笑みが凍りついた。
「驚きましたか?…そうですよね。私自身未だ受け入れる事が出来ずにいるのですから。図らずもこんな姿になってしまいました。こんな訳ですから、失礼とは思いますがこのまま話をさせて下さい。」
「……」
「今日あなたをお呼び立てしたのは他でもありません。あなたをクラトスに引き合わせたいと思ったからです。」
「旦那さんの許しが出たのかい?ていうか、俺にはあんた自身が俺を嫌っているように思っていたんだがね。」
 アマンダはブレイズの言葉に一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げると決意のこもった目で真っ直ぐに見つめ返してきた。
「…正直にいいます。あなたがおっしゃる通り、初めてお会いした時、私にはあなたを信じる事ができませんでした。追い返そうとも思いました。しかし、見ての通り、私にはもうあの子を守ってやる事が出来なくなってしまった。ですから、義姉が信じたあなたを、私も信じてみようと思ったのです。」
「フン、藁にもすがるってやつかい。」
「勝手な事を言っているのは重々承知しています。ですが今のクラトスには支えとなる存在がどうしても必要なのです。」
「勝手な事だろうが別に構わないさ。これで俺の希望が叶う訳だからな。」
 ブレイズはそう言ってニヤリと笑いアマンダを見たのだが、彼女が注いでくるあまりに真剣な眼差しに耐え切れず、思わず目を逸らしてしまう。そんなブレイズに、アマンダは静かにこう言ったのだった。
「私は、あなたを信じています。」
 静かだが強い意志のこもったその声に、ブレイズは返す言葉を失った。

 この俺を気後れさせちまうとは、なんて女なんだ。だが、俺は考えを変えるつもりはねえ。これは俺の復讐なのだから。
 まあ見ていなって。今に俺があんたらの大切なクラトスを破滅させてやるからよ。そうなって初めてあんたらは自分の考えの甘さに気付くって訳だ。だがその時にはもう遅い。俺は、泣きながら悔やむあんたらを嘲笑ってやるのさ。

 するとその時、部屋のドアが開き再びハンナが入って来た。
「奥さま、クラトス坊ちゃまをお連れしました。」
 その言葉にキラリと目を光らせ、続いて入って来た獲物−クラトスへと視線を向けるブレイズ。だが、当のクラトスを目にした途端、その顔は驚きの表情へと変わって行った。

 こいつがクラトス!?

「お呼びですか。アマンダ様。」
 驚き固まっているブレイズを余所に、クラトスはアマンダの前に進み出ると一礼した。
 その声には抑揚がなく、面は全くの無表情。目からはすっかり輝きが失われてしまっている。まだ子供だと言うのに、彼は世の中の全てに絶望してしまっているようだった。
 こんな姿を目にしたら、恐らく誰もが口を揃えてこう言うに違いない。

「この少年はもう死んでしまっているのと同じだ」と…。

 だが、ブレイズの目にははっきりと映っていた。少年が纏っている青く美しいマナの輝きが。その眩しい程の力強い光はこの少年がまだ死んではいない事を如実に表していた。

 俺は…一体何をしようとしていたんだ。
 俺なんかがこいつを傷つける事など出来ようはずがない。
 こいつはまさに神の子…この大地を、自然を、救うべく生を受けた『選ばれしもの』なのだから。

「クラトス、この方は…」
 アマンダが紹介をしようと口を開きかけたその時、ブレイズは自分でも気付かぬ内にクラトスの前に進み出ていた。そして恭しく跪き礼をすると真剣な声音で、こう言ったのだった。

「初めまして。私は本日よりクラトス様のお世話をさせて頂く事になりましたブレイズと申します。この命に代えましてもクラトス様をお守りして行く所存でありますので、どうかよろしくお願い致します。」

 相変わらず無表情にブレイズを見下ろすクラトス。
 そのクラトスを力強い目で見返すブレイズ。その目からは以前感じられた狂気は完全に消え去っていた。
 アマンダはそんな二人をただ静かに見守っていたのだった。

 ブレイズは、その言葉の通りに、その後長きに渡りクラトスを陰から支えて行く事になる。そしてそれはクラトスが自分の進むべき道を見出し独り立ちするまで続けられたのだった。

 これがクラトスとブレイズの、運命とも呼べる出会いであった。


−誤解が生んだ悲劇 終−