閉ざされた心
手術台の上に一人の男が横たわっている。その体に向けて上部から光が放射された。
途端に苦しみ出す男。
凄まじい悲鳴を上げ、手足を繋いでいる鎖を引き千切らんばかりに暴れていた男は、やがて大きくその身を仰け反らすと同時にピクリとも動かなくなった。
その様子をガラス越しに観察している二人の男がいた。ファルスと助手のベンであった。
「また失敗か…」
「何度やっても同じではありませんか?陛下の推挙する鍛えられた体を持つ軍人で試しても駄目だったのです。それ程のものが普通の肉体で耐え切れるはずはありません。やはりこの研究は断念すべきかと…」
「いや、何かある筈だ!耐えられる条件となるものが何か…」
「お気持ちは分かりますが、しかし、これ以上続けても犠牲者を増やすだけです。陛下も数人の軍人の犠牲者を出してからは何も仰って来なくなったではないですか。諦められたのですよ、陛下も。」
「私は諦めん!!」
ファルスはベンを睨みつけた。
「気持は分かるだと?お前に何が分かると言うのだ。私の気持ちが分かる者など誰もおらん。それに、今お前は犠牲者と言ったが、そんな大層なものではないだろう?実験に使っているのはハーフエルフのみ。あいつらが死のうが、ゴミが一つ減っただけの事だろうが。」
その言葉を聞いたベンは悲しげにファルスを見詰めた。
ファルス様は変わってしまわれた。以前はあれ程までにハーフエルフの立場向上の為に粉骨砕身してこられたと言うのに。今はどうだ?彼等の事をまるで道具としか見ていない。あの事件がこの方の心を壊してしまったのだろうか。
そんなベンの横で、ファルスは、息絶えてしまった手術台上のハーフエルフを憎々しげに睨みつけ吐き捨てるように言った。
「全く役に立たぬ連中だ。これからは被験者をもっと慎重に選ばねばならんな。ベン、下手な弱音を吐いている暇があったらあのゴミをさっさと片付けておけ。私は部屋に戻り今回のデータを吟味しなおすとしよう。」
荒々しく部屋を出て行くファルスを見送り、ベンは大きな溜息をついたのだった。
「クラトス、学校はどう?」
アマンダは、自分の部屋にやって来たクラトスに優しい笑顔を向け尋ねた。
あの事件の日以来、すっかり変わってしまったクラトスを心配したアマンダは、毎日一度は自分の所へ顔を出すように言い聞かせていた。
クラトスは今、町の学校へと通っている。今までは家庭教師を付け学校へは行かせていなかったのだが、多くの友達と触れ合う事が、なにより今のクラトスには必要であるとアマンダは考えたのだった。この考えは功を奏し、少しずつではあったが、クラトスの顔に笑顔が戻ってきていた。
「友達がたくさん出来たよ。今日もこれから遊びに行くんだ。」
「そう、それはよかったわね。」
クラトスの顔に微かに浮かんだ笑顔を見てアマンダは嬉しそうに微笑んだ。今はまだ、この笑顔を彼が見せるのはアマンダに対してだけだった。だが、あの日以来、アマンダにさえも無表情なままだった事を考えると、ほんの少しでも笑うようになったのは大きな進歩に違いなかった。
「ところで、ブレイズとはうまくやっているのですか?」
その名前が出た途端に、クラトスは笑顔を引っ込めてしまった。目を伏せて小さな声で答える。
「…関係ないよ。僕は世話役なんかいらない。一人がいいんだ。アマンダ様の命令だから我慢してるけど、正直煩く付きまとわれて迷惑なんだ。あんな奴、クビにしちゃってよ。」
「クラトス…私は命令なんてした事はないわよ。彼はあなたにとってきっと掛け替えのない存在になるはずです。だからこそあなたに付いてもらう事にしたの。今は分からないかもしれない。でも、いつか…」
「もういいよ!」
クラトスはアマンダの言葉を遮った。
「結局、命令なんでしょ。僕はあなた方に逆らう事は出来ないんだ。僕はあなた方に世話になっている身なんだから。」
「クラトス!」
アマンダの悲しげな目を見て、クラトスは目をそらした。
この子は完全に優しさを失ってしまった訳ではない。現に今も、自分が言ってしまった言葉で私を傷つけてしまったのではないかと悔やんでいる様子を見せている。まだ遅くはない…以前のクラトスに必ず戻す事が出来るはずだ…
アマンダは言葉を継ごうと口を開きかけた。するとその時、扉が静かに開いてハンナが入って来たのだった。ハンナは何故か困惑した表情を浮かべている。
「お話し中、申し訳ありません。旦那様がクラトス様をお呼びになっています。」
「ファルスが?でも、クラトスはこれからお友達と出かけるのでしょう?後では駄目なの?」
「…それが、とてもお急ぎのご様子で…」
うろたえ気味のハンナを見て、アマンダは眉を寄せた。
「いいんです。僕、行きますから。ファルス様は部屋に?」
「え、ええ。書斎にいらっしゃいます。」
「分かった。」
クラトスは、アマンダに会釈すると、急いで部屋を出て行った。
それを見送ると、アマンダはハンナへ視線を戻した。
「…ハンナ。何かあったのですね?一体何があったのです?」
ハンナは迷っているようであったが、なおも問い詰めるとやがて重たい口を開きポツリポツリと話し出したのだった。
「実は、旦那様が…」
クラトスは、ファルスの書斎の前にやってくると、ドアをノックした。
「ファルス様、クラトスです。」
「入れ。」
「何か御用でしょうか。」
ファルスはそんなクラトスを見て鼻で笑った。
「これから用事があるのに呼び付けやがって、というような顔をしているな。」
「…いえ、そんな事は…」
「心配するな。お前の用事はもうなくなったから。」
「え?」
「先程、ガキ共がお前を訪ねてきたが帰ってもらった。」
クラトスは目を見開いた。
「それは、まさか…」
ファルスはその問いには答えずに、クラトスにツカツカと歩み寄るといきなり殴りつけた。クラトスの小さな体は吹き飛ばされ、ドアに叩きつけられる。
「くっ…ファルス様?」
ファルスは、痛みを堪え体を起こしながら自分を見上げてくるクラトスの胸倉を掴むと、その顔を睨みつけた。
「何が学校だ!何が友達だ!…いいかよく聞け。誰も信じるな。他人に心を許してはいかん。信じてみた所で必ず裏切られる。足元をすくわれ泣く事になるのはお前自身なのだぞ。」
首を絞めあげられ、苦しみに顔を歪ませるクラトス。
「私はアマンダを必ず元の姿に戻してみせる。その為にお前も私に協力するのだ。お前にはその義務がある。そうだろう?何故ならアマンダをあんな姿にしてしまった原因はお前なのだから。」
ファルスはクラトスを突き放した。
クラトスは再び扉に叩きつけられ、両膝を折って蹲ると絞められていた喉に手をやり激しく咳き込んだ。
「学校へは退学届を出して来た。必要な知識は私が自ら教えていこう。そして、今日からお前には訓練を受けてもらう。」
「く、くんれん?」
「これからお前には私の右腕としてしっかりと働いて貰わねばならん。その為の体づくりだ。メニューは私が考えておいた。それに従い、徹底的にお前を鍛え上げる。」
ファルスは、未だ咳き込んでいるクラトスの髪の毛を掴み顔を上げさせた。
「お前とてアマンダを助けたいと思っているのだろう?」
クラトスは怯えた目で頷いた。
「ならば私達は今この時から目的を同じくする同志だ。これからお前には自分を捨て去ってもらう。何も考える必要はない。ただ私に言われた事のみを従順に行っていけばいいのだ。口答えは許さん。いいな?」
再び頷き返すクラトス。
「そう、それでいい。素直に従っていればいいのだ。もっとも、お前には私に逆える筈もないがな。親に捨てられたお前を今日まで育ててやった事を忘れるほど恩知らずではあるまい?」
「……捨て…られた?」
「おや、アマンダから聞いていなかったのか?お前の母親はお前を捨てて姿を消したのだよ。それを哀れに思った私達夫婦がお前を引き取り育ててやったのだ。今こそ、その恩を返して貰わねばな。」
「捨てられた?」
クラトスは目を見開き同じ言葉を繰り返した。
「嘘…だって母さまは遠くに仕事に行っているって…いつか帰って来て、そうしたら僕と一緒に暮らすんだって…」
「お前の母親は戻ってなどこない。甘い幻想は捨てる事だ。どちらにせよお前にはもう母親など必要なかろう?友達も必要ない。さっきも言ったように、お前はただ私の指示通りに動いていればいいのだから。分かったな?」
「……」
ファルスは、黙ったまま突っ立っているクラトスの頬を叩いた。
「分かったかと聞いているのだ!」
呆然とした表情で頷くクラトス。
「分かったら復唱しろ!今ここで私への忠誠を誓うのだ。」
「……ち、誓います…これからはファルス様の言う通りに致します。決して逆らいません。」
ファルスは笑顔を浮かべクラトスの頭をなでた。
「いい子だ…昔の両親の事、友人の事は忘れる事だ。代わりに私がお前の父となろう。今日からは私の事を父と呼ぶがいい。」
「…はい、父上。」
「よし、では第三研究室へ行くがいい。そこでベンが待っているはずだ。彼の指示のもと訓練を受けるのだ。」
クラトスは一礼すると部屋を出て行った。
一人になったファルスは、高らかに笑い声を上げた。
「そうとも。実験に耐えられる人材がいないのなら作ればいいのだ。クラトスはまだ七歳。この今までの実験で得たデータを元に理想の肉体へと作り変えて行く事も可能なはずだ。それまでに適合する人材を見つけられれば良し。見付けられなかったその時には…」
あの惨劇の夜の事を思い返すファルス。
血の海の中、瀕死の状態のアマンダと、その傍には同じく大怪我を負ったクラトスが倒れており、そして周りにはハーフエルフ達の死体が転がっていた。何が起きたのかは分からなかった。だが、あの状況から想像するにハーフエルフ達を殺したのはクラトス以外に考えられない。あんな子供がと誰もが思うだろう。だが、クラトスには何かがある。その何かが今回の実験を成功させる鍵となるかもしれないのだ。
「多くのハーフエルフ達を犠牲にし続ける私を、人は鬼と罵るだろう。だがそれでも構わない。私はアマンダを、元の幸せな家庭を取り戻したいのだ。その為なら私は鬼にでも悪魔にでもなってみせるとも。」
ファルスは瞳を怪しく輝かせながら、狂ったように笑い続けるのだった。
暗闇の中を無数の光弾が飛び交っている。
その中心にクラトスの姿。
暗闇に聞こえる音と言えば、光弾が飛んでくる音とそれを避け続けるクラトスの息遣いのみ。一つでも避け損なえば、それは容赦なくクラトスの体を打ちつけてくる。最初は何とかかわす事が出来ていたものの回を追うごとにその光弾のスピードは速くなっており、それらは、疲れから次第に動きの鈍くなったクラトスの体を滅多打ちにし始めていた。
「うわああああああ!」
ついにクラトスは悲鳴を上げてその場に倒れてしまった。
「何をしている。誰が休んでいいと言ったのだ!」
ファルスの怒鳴り声に、クラトスはやっとの事で起き上がり、再び光弾の嵐の洗礼を受け続ける。
訓練を受け始めて数日が経っていた。一日の訓練は、全身の筋肉を鍛える事から始まり、最後はこの反射神経の訓練で終わる。それは大の大人でさえ音を上げそうなぐらいの激しさであったが、クラトスは必死に耐えていた。しかも彼の身に着けているバトルスーツには重しが入っており、言ってみれば大人を一人背負ってやっているようなものだったのである。
そんな状態で、ファルスの情け容赦ない叱咤の中、毎日気を失うまで訓練は続けられていたのだった。
その厳しさを見かねて、助手のベンが口を挟んだ。
「ファルス様、クラトス様はまだ子供なんです。成長期の子供にこんな過酷な訓練を施し続ければ、今に体がボロボロになってしまいます。」
「どこまで可能かはちゃんと計算してある。クラトスが使い物にならなくなっては私としても困るからな。」
「しかし……」
「あいつに足りないのは気迫だ。未だ迷いが見える。訓練に集中させる為にもその迷いを断ち切ってもらう必要があるようだ。」
「ファルス様?…一体何を…」
「とにかくこれ以外に道はないのだと悟らせる事だ。そうすればクラトスは大きく飛躍できるだろう。これも子を思う親心なんだよ、ベン。フッフッフッフッフッ……」
含み笑いをするファルスを、ベンは気味悪げに見つめるのだった。
そんなファルスの思惑も知らず、今日も何とか訓練を終えたクラトスは、自室に戻るべく廊下を歩いていた。そんな彼の後をピッタリと付いてくる者がいる。疲れきった体を引きずるように歩いていたクラトスは、軽く舌打ちすると振り返った。
「なんで付いてくるんだ。付いてくるなと言っているだろう!?」
「だってさ、私はクラトス様のお世話役ですから。」
その人物――ブレイズは、ニヤリとすると大げさに肩を竦めて見せた。
「僕はそんなものいらないと言ったはずだ。はっきり言って迷惑なんだよ。」
「迷惑と言われましてもね、これが私の仕事ですから。それに私の雇い主はアマンダ様で、あなたではありません。アマンダ様との契約が続いている以上、あなた様が断ろうがそんなこたぁ私には関係ないんですよ。」
「アマンダ様には黙っていればいい。だからさっさと僕の前から消えろ!」
「それは無理な相談ですね。何しろ私は根っからの正直者なもので嘘がつけないと来ている……あ、気を付けて下さい。ほら、また転びそうになった。」
よろめいたクラトスの体を支えるブレイズ。
「疲れているんだから無理はしない事ですよ。いい子だから素直におんぶされなさいって。クラトス様を無事にお部屋までお連れする事…これもお世話役たる私の勤めでございますので。」
クラトスはブレイズを睨み付けるとその手を振り払った。
「僕に触るな!!これ以上僕を怒らせるな。さもなくば僕はお前に何をするか分からない。」
「!!?」
ブレイズは、クラトスの瞳に宿った光を見て息をのんだ。それは危険な光。殺気さえもそこに感じられたのだ。
(まだ子供だと言うのになんて目をしやがるんだ…)
「消えろ。僕は世話役なんていらない。」
「へいへい、消えますよ。だからそんな怖い顔しなさんなって。」
去っていくブレイズの後姿を見ながら、クラトスはもう一度呟いた。
「世話役なんていらない。僕は一人の方がいいんだ…」
クラトスの脳裏にあの日の惨劇が蘇ってくる。
僕が殺した……。
何が起きたのか分からない。
だが、アマンダのあの血を見た瞬間、凄まじい力が自身を突き抜けるのを感じた。
そしてその直後全身から放たれた光…それは周りにいるハーフエルフ達の体を次々と貫いて行った。
僕があのハーフエルフ達を皆殺しにしてしまったんだ。
その時ハーフエルフ達の口から放たれた悲痛な声、声、声…。
それを思い出したクラトスは、耳を塞いでその場に蹲ってしまった。
ファルス様に冷たくされても仕方がない。
だって、僕は人殺しで、その上アマンダを助ける事もできなかったんだから。
「クラトス様!?どうなさったのです!」
突然聞こえてきた声に、クラトスの意識は現実へと引き戻された。顔を上げると、ハンナが心配そうに覗きこんでいた。
「…何でもないよ。」
クラトスは立ち上がった。
「それならよろしいのですが…」
「それより何か用?」
「実は先程トリエル様がお見えになりました。手が離せない旨をお伝えすると、いつもの場所で待っているからと。」
「トリエルが!」
途端にクラトスの顔が輝く。
トリエルは学校に行っていた頃の一番の友達だった。実はクラトスは学校を辞めた後も、このトリエルにだけはこっそり会っていた。もちろんファルスはこの事を知らない。トリエルはハーフエルフであった。普通の友達を持つことさえ許さないファルスが、もしこの事を知ってしまったらただでは済まないであろう。その事が十分分かっていたアマンダが、彼に知られぬようハンナを通して連絡できるように取り計らってくれたのだった。
クラトスにとってこのトリエルは唯一心が許せる友であった。彼と会う事だけが、今のクラトスの救いとなっていたのである。
クラトスはこの嬉しい知らせに、一も二もなく約束の場所へと向かったのであった。
いつもの場所…それは街の外れにある小高い丘の上だった。ここで二人はいつも取り留めのない話をして笑い合っていた。
だが、喜び勇んで駆け付けたクラトスであったが、そこにトリエルの姿が見当たらない。
「トリエル?…僕だよ。クラトスだよ。どこにいるの?」
首を傾げるクラトス。
トリエルは約束を破った事はない。来ている筈なのに何故返事をしてくれないのか…。
「トリエル?どこなの?」
もう一度呼んでみたクラトスは、突然に背後に凄まじいまでの殺気を感じて振り返った。
「トリエル!?」
「…待っていたよ、クラトス。」
なんとそこに立っていたのはトリエルだった。しかもその手にはナイフが握られており、いつもと違って様子がおかしい。
するとトリエルは突然にそれを振り上げると、クラトスに斬りかかって来たのだった。
「何をするんだ!」
一撃を咄嗟に躱し驚いているクラトスを、二人の人影が飛び出してきて抑えつけた。
この二人は見た事がある。確かトリエルの二人の兄達だ。
「ごめんよ、クラトス。でも、僕は君を殺さなくちゃならないんだ。」
トリエルはナイフを構えたまま、両腕を掴まれ動けなくなったクラトスにジワリジワリと近付いてくる。
「…何を…言っているの?」
「君も知っているように僕達兄弟はハーフエルフだ。ハーフエルフは幸せになれない。ハーフエルフってだけで僕らの将来は決まったようなものさ。でも、僕達は幸せになりたいんだよ。君を殺せば兄はちゃんとした仕事に就く事ができる。そうすれば僕らでも真っ当な生活が出来、幸せになれるんだ。ごめんよ、クラトス。親友の君を裏切るのは辛いんだ。でも、僕らはもうこんな地獄のような暮らしから抜け出したいんだよ。」
トリエルはナイフを振り下ろした。それは両腕を掴まれながらも体を捻ったクラトスの左肩を切り裂いた。
「くっ……」
痛みに顔をしかめるクラトス。もし体を捻ってなければナイフは確実にクラトスの心臓に刺さっていただろう。
「トリエル、ちゃんと狙いを定めろ!」
兄達の言葉に頷き、ナイフを構えなおすトリエル。
(このままでは殺される!)
クラトスは目を見開いた。
どうして?信じていたのに…親友だと思っていたのに。
アマンダを傷つけた同じハーフエルフでも、君だけは違うと思っていたのに…
“他人を信じるな!信じたとて必ず裏切られる”
ああ、そうだ。ファリス様は正しかった…僕は、僕は…
「うわああああああああああ!!」
クラトスの口から放たれたその声は、怒りの声、そして絶望の叫びであった。それは深い悲しみを湛え小さな丘全体に響き渡ったのだった。
その少し後、ブレイズが駆け付けた時には丘はすっかりと静まり返っていた。その場の光景を目にしたブレイスは、思わず身震いしてしまう。
三人のハーフエルフ達が倒れていた。一目見ただけですでに息絶えている事が分かる。その真ん中に全身に三人の返り血を浴びた状態のクラトスが立っていた。手には血塗られた剣を持っている。それは大人用のかなり重い剣であったが、訓練用にとファルスがクラトスに常時持ち歩くように言い渡していたものだった。
大人でも扱いに苦労するような剣で三人もの人を切り捨てたというのか?
わずか七歳のこの少年が?
クラトスは全くの無表情であった。そして彼は驚きに立ち尽くしているブレイズの方を見てこう言ったのだった。
「僕は強くなる。アマンダの為、そして僕をどん底に陥れたハーフエルフ達に復讐してやる為に。もう誰も信じるものか。誰の助けもいらない。一人だけでも生き続けてみせる。」
これはこの少年が、全ての感情を自ら捨て去ってしまった瞬間であった。
その日の夕方、ファルスの書斎の扉が乱暴に開かれブレイズが飛びこんできた。もちろんノックなどしてはいない。
この不調法な訪問者に、ファルスは眉を顰める。
「…なんだね、いきなり。君は確かアマンダが呼び寄せたブレイズとかいうクラトスの世話係の者だったな。」
ブレイズはファルスを鋭い目で睨みつけた。さすがのファルスもこの目にはビクリと身を震わせた。
「使用人の分際で失礼ではないか!態度を改めたまえ!」
「うるせえんだよ、このクズが!」
ファルスはあまりの事に目を丸くして言葉を失った。
「ハーフエルフにクラトスを襲わせたのはお前だろう?今回の事は全てお前が仕組んだんだろう?」
「何かと思ったらその事か。そうだよ。私があのハーフエルフに甘い餌をぶら下げクラトスを襲うよう仕向けたのだ。だが、それが何だというのだ。結果、ゴミが減り、クラトスは目を覚ます事ができた。万々歳ではないのかね?」
「どうやらあんたは、クラトスを感情の無いロボットに仕立てようとしているようだな。だが、そううまく事が運ぶと思ったら大間違いだぜ。何故ならクラトスにはこの俺が付いている。俺がいる限りクラトスをあんたの好きにはさせやしない。」
「使用人の分際で私に盾つこうというのか!」
「俺はあんたの使用人じゃねえ。あんたがどんな手を使おうが俺はクラトスの傍から離れる気はねえからな。」
「それは私への宣戦布告と受け取っていいのかね。」
ブレイズはニヤリと笑った。
「そう取ってもらって構わねえよ。俺はあいつを守る為にここに来た。だからあいつを傷つけようとする奴には容赦はしねえ。例えそれがあんたでもだ。」
「好きにすればいい。だが、今更何をしても無駄だよ。一度閉じてしまった心はそう簡単に元には戻らん。後は私と共に闇に落ちて行くだけだ。」
「一つだけ言っておく。クラトスはあんたがどうこう出来る器の人間じゃない。いつかその事に気付く日がくるだろうよ。」
ブレイズは今一度ファルスを睨み付けると、書斎を後にした。
背後で響き渡るファルスの高笑いを聞きながら、ブレイズはクラトスの言葉を思い起こしていた。
“もう誰も信じるものか。誰の助けもいらない。一人だけでも生き続けてみせる。”
でもな、クラトス…人は一人では生きていけないんだぜ。
だが、その事にお前が気付くまでまだまだ時間がかかるだろうな。
だから俺がずっと傍にいてやるよ。お前をどこまでも支えていってやる。
お前が自分自身を取り戻し、力強く未来へとはばたいていくその日まで…
−閉ざされた心 終−