光と影
剣を打ち合う音が響き渡っている。多くの若者たちが二人一組となって、汗を流しながら剣を交えていた。誰も私語を交わす者などなく、練習とはいえ、まさに真剣勝負さながらに打ち合っている。
ここは王立の剣術道場。
元々優秀な軍人を育て上げる為に設立されたここは、金持ちの貴族の息子達が集められていた道場であったが、現在の師範であるマルクスの代になってからは、身分を問わず誰でもその門を叩く事が出来るようになっていた。そんな事が許されたのは昨今の世界情勢が大きく影響していた。
それは数年前の二つの小国同士のほんの些細な小競り合いに始まったのだが、それが次々に周辺国へと飛び火しており、各地で小規模な戦争が繰り返されていた。そしてそれはこのシルヴァラントにも少なからず暗い影を落とし始めており、国王としても優秀な兵士となるものが一人でも多く欲しかったのである。
マルクスも元軍人であった。温厚で実直な人物で、そんな人柄故に部下からの信頼も厚かった。何より人の長所を伸ばす事に長けており、道場の師範となってからは数々の兵士を輩出してきた。そんなマルクスを慕ってこの道場の門を叩く若者も多い。
そんなマルクスの教えの元、修行に励む若者達の中にクラトスの姿があった。
クラトスは今十歳。まだまだ子供であったが、体力的にも他の若者達に遅れはとってはいない。それどころか若者達が音を上げるような厳しい練習を難なくこなしていたのだった。まだ入門して一年しか経ってはいなかったが、剣の上達には目を瞠るものがあり、今ではこの道場のトップクラスまで上り詰めている。
マルクスは実力さえあれば、それが例え身分の低い者であろうが、はたまたクラトスのように子供であろうが全く拘るような人間ではなかった。マルクスもクラトスの天才的な才能は認めており、実際、クラトスを師範代に据えようと考えた事もあった。だが、今のクラトスには徹底的に欠けているものがあったのである。
クラトスは相手に対して容赦というものを全くしなかった。相手が強かろうが弱かろうがとにかく徹底的に叩きのめすのである。相手が参ったと手を挙げたとて構わず打ち続け、例え気絶しても手を緩めない。彼の所為で死の一歩手前までいった者もいる。
何度も彼に注意をした。その度に彼は決まってこう言うのだった。
「ここが戦場だったらどうします?気を許せば逆にこちらがやられてしまいます。あの程度の実力しかないのなら、そもそも剣を握る資格なんてないと思います。僕はそれを分からせてやろうとしただけです。それのどこがいけないのですか?」
多くの兵士を輩出しているとはいえ、マルクスはこの道場を単なる軍人養成所にするつもりなどない。剣術とは己の心身を鍛えるものであり、決して人を殺す為だけに存在しているのではないと彼は考えているのだ。だから彼は才能の有無にかかわらず、心から己を鍛えたいと思っている者なら誰でも受け入れるようにしている。当然道場には体の弱い者もいれば、いくら修行しても全く上達する気配のない者も混じってくる。それでも彼等は剣が好きで、少しでも強くなりたいと思い頑張って毎日通ってきているのだ。またそういった色々な立場の人間同士が触れ合う事で相手への気遣いも自然に生まれてくる。
そう、ここはあくまで人間を育てる場であり、決して人殺しの道具を作り出している場所ではないのだ。こんな戦にまみれた世の中であるからこそ、マルクスは情のある人間を育てたいと願っていたのである。
それなのに、この少年は人を傷つける事を全く厭わない。力が強い者こそが正しいのだと思い込んでいる。
それにあの目だ。全ての感情を失ったような冷たく冷めきった目。周りの者は皆敵だと言わんばかりに殺気を帯びた目で睨み返してくる。まだ十歳の子供だというのにだ。
周りの者は皆、彼などいなくなればいいとさえ思っているようだ。だが、彼の強さを知っているが故にそれを面と向かって言うものはなく、今では彼はこの道場内で完全に孤立してしまっていた。
それでもマルクスはクラトスを破門にしようとはしなかった。
実はマルクスは、クラトスの父ブレイヴとは戦友同士だった。
あの男の事はよく知っている。あれほどに仲間思いで情に厚く、勇気ある男は他にいないだろう。マルクスはブレイヴという男が大好きだった。だからこそ、その遺児であるクラトスをこのまま放りだす事など出来なかったのだ。
あの父親の血を引いているだけあって、剣の腕は天才的なものをもっている。それに心の強さが備われば、クラトスはこれからもっと強くなっていくだろう。そしてマルクスはクラトスが変わる事に未だ希望を捨ててはいなかった。
クラトスは全てを憎んでいる…いや、マルクスの目には彼が全てを恐れているかのように見えていた。恐ろしいから憎む。憎む事で湧き上がる恐怖感を消し去ろうとしているように思えたのだ。彼が何を恐れているのかは分からない。だがそれを取り除いてやる事さえできれば、必ず変わっていけるはずだ。
それからもう一人、マルクスが気になっている男がいた。クラトスの従者だというブレイズという男である。
この男に関してはどのような男なのか未だ掴めずにいる。剣を佩いているからには剣術も出来るのだろうが、道場に来ても隅に立って見ているだけで決して練習に加わろうとはしない。いつものらりくらりとしているが、実は相当の腕の持ち主だと見抜いたマルクスは何度となく一緒にやってみないかと誘ったものだった。だが、彼は決まって笑みを浮かべると
「いや、俺はクラトス様の従者に過ぎませんので。」
と言って断ってくる。
彼はクラトスから目を離した事がない。ちょっと見にはのんびりと突っ立っているようにしか見えないが、気を付けてよく見てみれば、彼が常にクラトスの周囲にアンテナを張り巡らせているのが分かる。
「まるで影のような男だな…。」
決して目立つことなくクラトスの傍に添い続けるブレイズを見て、マルクスは呟いた。
もしかしたら、彼の存在こそがクラトスを変える鍵となるかもしれない。
マルクスはそんな事を考えながら、相変わらずぼんやりと立っている様子のブレイズを眺めたのだった。
道場から帰ってくると、クラトスはまずアマンダの部屋へと行く。
彼は、三年前にアマンダと交わした『毎日顔を見せる』という約束を忘れた事はなかった。一時途絶えた時期はあったが、今でもきちんと守り続けている。
とは言え、最近の彼は以前のようにアマンダに色々な事を話して聞かせたり笑顔を見せる事はなかった。アマンダの問いかけに二言三言淡々と答えるだけで、まるで、これで今日の課せられた義務は果たしたとでも言うよう直ぐに退出して行ってしまう。
それでもアマンダは、クラトスが毎日来てくれるというだけで十分に嬉しかった。その代りに、その日のクラトスの様子等は、共にここに訪れるようになったブレイズに尋ねる事にしている。最初はブレイズに対して警戒していた彼女も、今ではすっかりその警戒心を解いていた。それどころか、彼はいまや、今のアマンダとクラトスの心を繋いでいる唯一の懸け橋となっていたのである。
「今日の道場でのクラトスは、どんな様子でしたか?」
「今日のと言われましてもね…」
ブレイズは肩を竦めてみせた。
「いつもと同じですよ。そんなに毎日コロコロ変わっていたらそれこそ気味が悪いでしょう?」
いつも通りの素っ気ない態度に、アマンダはクスリと笑った。こんな態度をとりながらも、彼が誰よりもクラトスの事に気を配っている事はアマンダも承知していたのである。彼が三年前に怒りを露わにファルスに喧嘩を売った事はアマンダの耳にも届いていた。あの後、ファルスがブレイズを首にするようにアマンダに言ってきたのだが、彼女はそれをはっきりと拒絶したのだ。初めて見せた彼女のそんな態度に、ファルスもそれ以上言う事は出来ずに諦めたのだった。いつもは彼に逆らう事はしない彼女であったが、クラトスを守り抜く為にも、これだけは絶対に譲る事は出来なかったのである。
「本当なら俺はあんな道場にクラトスを通わせたくはないんですけどね。あそこにいる全員がクラトスに敵意を持っている。」
「でも皆にそんな気持ちを抱かせてしまった原因はクラトス自身にあるのでしょう?」
「まあ、そりゃそうなんですけどね…」
「私はマルクス様の人柄はよく存じ上げています。あの方になら安心してクラトスを任せられる。そしてマルクス様との出会いは、今後のクラトスに大きな影響を及ぼす筈です。」
「確かにあのおっさんは他の奴等とは違うようだが、結局クラトスの事を何も分かっていない事に変わりないでしょう?」
「ですから、今度マルクス様をここに連れて来て欲しいのです。ファルスはもちろん、クラトスにも内緒で。」
「……あんたも随分と無茶な要求をしてくるね。ここはファルスの旦那の屋敷なんだぜ。その主人に気付かれぬように連れ込むなんて無理な話でしょうが。」
「無茶は承知です。ですが、どうしてもあの方に全てを話しておく必要があるのです。ハンナに協力させますから、どうか…」
「分かりましたよ。でもさ、あんたのこの姿を見たら、あの人どう思うかね。逃げ出しちゃうんじゃないの?」
「……それでも全てを知ってもらわなければ意味がないでしょう。私とてこんな姿を他人に見せたくはありません。でも、これはクラトスの為なんです。大丈夫。私はマルクス様を信じています。全てを知ったとしても、あの方ならきっと逃げ出す事なくクラトスを支えて行ってくれるはずです。」
「まったく、あんたときたら、いつだって二言目には“クラトスの為”なんだから……。俺がその言葉に弱いのを分かって言ってるんだろう?はいはい、言い付け通りに致しましょう。明日にでもお連れすればいいんでしょ。」
「どうかよろしくお願い致します…」
アマンダは目を伏せた。
今の私は生きているようで、実は死んでいるも同じなのだ。この場から動く事も出来ないこの状態で、私がクラトスにしてやれる事と言ったら、彼の支えになってくれる人間を一人でも多く彼の周りに置いてやる事しかないではないか。
そう、私はクラトスの為ならなんだってする。
結果、それがファルスを裏切る事になろうとも…。
その翌日、ブレイズは道場へと向かっていた。そこにクラトスの姿はない。
今朝突然にファルスがクラトスを郊外に建てられた新しい研究所へ連れて行くと言いだしたのだった。そしてファルスは、それにブレイズが同行する事を断固として拒絶した。ファルスにしてみれば常日頃から快く思っていないブレイズを遠ざけようと思っての事だったのかもしれないが、どのようにしてマルクスを連れてこようかとさんざん悩んでいたブレイズにとって、それは逆に好都合な事だった。誰にも怪しまれる事なく一人で行動出来るばかりか、ファルスもクラトスも不在であるならばマルクスを屋敷に連れてくる事は容易くなる。この降って湧いたようなチャンスを逃す手はない。クラトスを一人にするのは心配だが、研究所の場所は分かっているのでその後すぐに向かえばいい。その為にも、少しでも早くマルクスを連れて来る事だ。彼を連れて来さえすればあとはアマンダがうまくやってくれるだろう。
そう考えたブレイズは、足を速めて道場へと急いだのだった。
ブレイズが道場に着いた時、すでに稽古は始まっていた。
一人道場に現れたブレイズを見て、マルクスは不思議そうな表情を浮かべたのだが、事情を聞くや否や、稽古を師範代にまかせてすぐにファルス邸へ向かった。
実は、マルクスは以前から、クラトスの保護者であるファルスに面談を申し込んでいた。クラトスの事でじっくりと話をする必要があると考えての事だったのだが、その度に断られ続けていたのだった。そんな時に今回先方からの申し出があった為、取るものも取りあえず駆け付けてきたわけだったのだが…。
屋敷に着くとすぐにブレイズは何処かへ行ってしまい、今マルクスは出迎えに現れた年老いた女中の案内で屋敷の廊下を進んでいた。屋敷に一歩踏み入れるや否や、まず感じたのは辺りを覆い尽くしている重苦しい空気であった。しかもかなりの広さの屋敷に関わらず、この女中以外の人間の姿が見えない。
「こちらでございます。」
案内されたのはこの屋敷でも最奥に位置する部屋の前だった。女中は軽く扉をノックする。
「どうぞ、お入り下さい。」
中から女性の声がすると同時に、女中は逃げるように立ち去ってしまった。
マルクスは首を傾げながら仕方なく自分で扉を開いた。
「!!?」
そのまま入ろうとしたマルクスであったが、中の光景を目にした途端、その場から動けなくなってしまった。
部屋の真ん中に平たい箱形の機械が置かれている。そこには小さな輝く石が浮いており、それを半円形の特殊ガラスが覆っている。その機械を囲むように四本の大きな柱が立てられ、その上部から石に向かって電撃のような光が始終発せられていた。
マルクスを何より驚かせたのは、その機械の上に映し出されている女性の姿だった。
「……アマンダ?」
「お久し振りです、マルクス様。申し訳ありませんが、まず扉を閉めて中へ入って下さいますか?」
その言葉で未だ戸口に立ったままだった事に気付いたマルクスは、慌てて扉を閉めるとアマンダの前に進み出た。
「アマンダ…これは一体…」
「さぞ驚かれた事でしょう。ですが、私は別の場所にいる訳ではありません。この映像こそが今現在の私自身なのです。」
「!!」
「三年前に、この家で使用人のハーフエルフ達による暴動があったのです。本当ならその時、私の命は終わっていた筈でした。しかし、直後に帰宅したファルスによって意識のみをこの石へと移される事で命だけは取り留める事が出来たのです。体を失いこんな映像だけの姿になっても生きているのだと言えればの話ですが。」
意識だけ移す?そんな事が可能なのか?
いや、あの天才といわれたファルスならやってのけるかもしれん。
「この姿は、私の意識を機械が読み取りそれを映像化したものです。今の私はこの機械によって生かされているようなものなのです。動く事も叶わず、従って今の私ではクラトスを守ってやる事は出来ません。」
「クラトスを……だからあなたは私を?」
アマンダは目を伏せた。
「ええ、そうです……クラトスの事をお話ししておきたいと思ったからです。この家の事、ファルスの事、そしてあの子の現在置かれている状況を、あなたにぜひ知って欲しかったのです。勝手な事とお思いでしょうね。これはあなたを我が家のゴタゴタに巻き込む事にもなるのですもの。ですから無理にとは申しません。私の事を口外しないと誓って下さるのならこのまま帰って頂いても構いません。」
マルクスは、笑みを浮かべると静かに頭を振った。
「あなたは頭のいい方だ。私がこのまま、はいそうですか、と帰ってしまえる人間でない事を十分承知の上で仰っておられる。私はあなたの計略にまんまとはまってしまったという訳だ。」
「マルクス様……」
「いいんですよ。クラトスが何故ああも周りのもの全てに憎しみを抱くのか私も知りたいと思っていました。一人の人間の心を歪めてしまう原因となった程の事が軽いものである筈はない。それを知るという事は同時に彼の人生をも背負う事になる。私はクラトスの事を知りたいと思ったその時点で、もうすでにその覚悟を決めておりました。」
マルクスは真っ直ぐとアマンダを見上げて来た。その目には迷いはなかった。
「さあ、話して下さい。それがどんな事であろうと、私は亡きブレイヴに代わって必ず受け止めてみせますから。」
「マルクス様……有難うございます。長くなりますがよろしいですか?」
「ええ、構いませんとも。」
アマンダは感謝の思いをこめてマルクス頭を下げると、静かに語り始めたのだった。
一方、ファルスと共に研究所へやってきたクラトスは、そこで一人の男を紹介されていた。
「お前に紹介しておこうと思ってな。彼はプロット。私の研究を手伝ってもらっている。プロットは王立大学を首席で卒業した優秀な男でな。今後、研究を進める上で大きな力となってくれるに違いない。」
ファルスの紹介に、男はすっと立ち上がり馬鹿丁寧なお辞儀をしてきた。
「プロットと申します。どうかお見知り置きを。」
男の髪から覗いている特徴のある尖った耳を目にしたクラトスは、一瞬ではあったが驚きの表情を浮かべた。
「驚いたようだな。そう、彼はハーフエルフだ。私はこれからはマナを研究に取り込んで行くつもりでいるのだ。その為にもハーフエルフである彼の存在は貴重なものとなる。何と言ってもハーフエルフはマナをその目に見る事ができるし知識も深い。」
「…しかし、この研究は…」
「ハーフエルフを実験台にしているのでしょう?ちゃんと聞いておりますよ。」
戸惑うクラトスにプロットは笑ってみせた。
「ですが、それが何だと?この研究では、マナを見る事も感じる事も出来ない人間よりも、それができるハーフエルフの方が成功の確率が高まるのです。同じするなら成功する確率の高い方を選ぶのは当然でしょう。それが同類だろうが関係ありません。研究者にとって、研究が進む事こそが何よりも優先されるのですから。」
「そう言う事だ。彼が来てくれたおかげで研究も大分進む事ができたのだ。あれを見るがいい。」
ファルスがガラス越しに指差した方を見ると、一人のハーフエルフの男が手術台の上に横たわっている。
「今までは動物の体を使って作り上げていた石を、今回プロットの提案で人体に埋め込む方法に変えたのだ。あの石は寄生したものの命を吸い取り成長して行く。石というよりは、もはや生き物だな。今までは動物を使っていたから、完成した石もその動物程度のものしか出来なかったが、今回それを人の体に変えた事で、より高度な石を作り出す事が出来る。」
「理論上ではそのはずですが、被験者の体が石が出来上がるまで持たないのが課題になってましてね。」
「持たない?……じゃあ、あの人は…」
「ええ、死んでいます。寄生された者は石に命を吸い取られ死ぬ事になる。」
クラトスは目を見開いた。
「結局、あの男も完成まで持ちませんでしたね。」
「だが、未完成ではあるが、石の力も昔に比べてどんどん上がってきている。これはお前の理論の正しさを裏付けているのではないかな。要はいかに石の成長に耐えられる体を見つけ出すかという事だ。それさえ見付ける事ができればエクスフィアは完成する。」
「エクスフィア……?」
「この石の名前だよ。いい名前だろう?……そこでクラトス、お前にはこれからハーフエルフ狩りをやっていってもらう。我々が目を付けたハーフエルフをここに連れてくるのがお前の仕事だ。抵抗にあう場合もあるだろうが、剣術を身につけたお前なら、それも大丈夫だろう?この為にお前が剣を習う事を許したのだからな。分かっているな?」
「……はい。」
「よろしい。では、今日の所はもう帰ってもいいぞ。追って指示するからそれまで待っていろ。」
研究所を後にしたクラトスは、何か思いつめた表情で歩いていた。
するとそんなクラトスに背後から声を掛けて来た者がいる。
「何を考えているんだ、クラトス?」
振り返ったクラトスの前に、あの鳶色の髪の青年が現れた。
この青年に会うのは久しぶりだった。だが、何故か昔に比べて大分纏っている雰囲気が変わった気がする。いや、変わったのは自分の方かもしれない。
「当ててあげようか?今お前は、全てから逃げ出したいと思っている。」
「……」
「フフフ…。図星、か。だから言っただろう?ここに居てもお前は不幸になるだけだって。今からでも遅くはないさ。私と一緒に行こう。こんな世界とはおさらばすればいい。」
差し出された青年の手を、クラトスは震える手で握り返そうとした。だが、すんでの所で思いとどまる。
「…駄目だ…僕は行けない。」
「なんでだい?ここに残って何がある?お前はファルスに利用されているだけなんだよ。道場の者達だって皆、お前なんていなくなればいいと思っている…」
「止めろ!!」
クラトスは耳を塞いで蹲った。青年は構わず話を続ける。
「アマンダの為?彼女だって同じだよ。だって彼女はお前の所為であんな姿になってしまったんだ。さぞやお前の事を憎んでいる事だろうよ。あの日大勢のハーフエルフ達を殺したお前の事を気味が悪いとさえ思っているかもしれない。」
「黙れ!そんな事聞きたくない!」
「誰もお前を必要とはしていないんだよ。お前は一人ぼっちなんだ。」
「…止めて…お願いだから…」
震え出したクラトスを見て青年は笑みを浮かべた。
「だが、私は違う。私にはお前が必要なんだ。私だけがお前を大切に思っている。だから、一緒に行こう。いい子だから、ね?」
そう言いながら青年は、蹲るクラトスを無理矢理に連れ去ろうとした。
が、その時、
「!!!」
いきなり青年めがけて無数の光が飛んできたのだった。間一髪でそれを避けた青年は、クラトスとの間に割り込んできたその人物を睨みつけた。
「今のは魔術だな?しかも光の術だ…貴様、何者だ!」
その人物 ブレイズは不敵な笑みを浮かべた。
「てめえに名乗る名前なんて持ち合わせていねえよ。」
「……まさか、お前は…」
「消えな!クラトスはお前に渡さねえ。」
「私に敵うとでも思っているのか?」
「やってみなけりゃ分からねえ。だが、俺はやるとなったら本気でやるぜ。あんたの世界ではあんたは最強かもしれねえが、こっちでは果たしてどうかな?あんたは持っている力の半分も出せないだろうよ。」
そのまましばらく睨み合っていた二人であったが、先に引いたのは青年の方だった。青年は小さく舌打ちすると、その姿を消したのだった。
ブレイズは大きく息をつくと、蹲っているクラトスに近付いた。
「分かってる、分かっているんだ。」
「クラトス?」
「父上が僕を単なる道具としてしか見ていない事も、道場の皆が僕がいなくなればいいと思っている事も…。それでも僕はここに残っていなくてはならないんだ。アマンダを元の姿に戻すまでは僕はここを離れる訳にはいかないんだ。それが僕に出来るアマンダへの償いだから。僕の所為であんな姿になってしまったアマンダへの…。例えアマンダが僕を憎んでいるとしても、僕はここに居続けなければならない。」
「クラトス、それは違うぜ。アマンダさんはお前を憎んでなんていない。」
だが、そのブレイズの声はクラトスには聞こえていないようだった。クラトスは呟き続けている。
「あの日僕は怖くて震えているだけで、アマンダを助けてやる事ができなかった。僕が弱かったから。なんの力もなかったから。だから僕は強くなりたい。もっともっと強くなって、今度は絶対にアマンダを助けるってそう誓ったんだ。その為に、僕は感情を捨てた。そんな僕を疎んで皆が僕から離れて行ってもいい、憎まれたって平気だ。そう思っていた。その筈だったのに、何故だろう?時々とても苦しくなるんだ。一人ぼっちでいる事がとても恐ろしくなる…。」
「……」
ブレイズは黙ってクラトスの体を抱き起こすと、その顔を自分の方へと向けさせた。
「当たり前だろう?全く感情をなくす事なんてできっこない。お前は人間なんだ。人形じゃないんだから。」
目を逸らそうとするクラトスの顔を無理矢理戻し、ブレイズは続けた。
「しっかりと俺を見ろ!目を逸らすんじゃねえ!俺は今どこにいる?お前の目の前にちゃんといるだろうが。俺はお前の傍を離れたりしない。世界中がお前の敵になろうが、俺だけは常にお前の味方だ。お前が嫌がったって付き纏い続けてやる。」
「……」
「どうしてって顔をしてんな。俺はお前と同じだからだよ。」
「同じ…?」
「お前は光で俺は影…。光がなけりゃ影はできない。逆に影があるから光は輝く事が出来る。俺はお前で、お前は俺なんだ。俺とお前は二人で一つなんだよ。離れる事なんて出来っこない。」
「光と…影…」
「そうとも。」
ブレイズを見上げるクラトスの目が潤んでくる。慌ててそれを拭き取ろうとするクラトスの手をブレイズが抑えた。
「これからお前は感情を殺して行く事を強いられるだろう。だが、忘れるな。お前は人間なんだ。いかに感情を殺そうが完全になくす事なんて出来ない。揺れ動く時だってある。怒りに震えたり、泣きたくなる時だってあるだろう。それを恥じる事なんて全然ないんだよ。」
ブレイズは優しく微笑んだ。
「俺と二人だけの時は泣いたって構わない。お前の怒りも悲しみも全て、俺がちゃんと受け止めてやるから。」
クラトスは目を見開いてブレイズを見詰めていたが、やがてその胸にしがみ付くと大声で泣き始めた。
「うわあああああああ!!!!」
今まで抑えに抑えていた感情を爆発させるかのように泣き続けるクラトスを、ブレイズは優しく抱きしめた。
それはクラトスがブレイズに見せた初めての涙だった。
そしてそのあふれる涙は、機械のように冷めきった目をしたこの少年が未だ人としての感情を残している事を、何より証明していたのである。
−光と影 終−