決意 前編


 ここは城内にある兵士の訓練場。兵士達は毎日ここで技術訓練を受けている。それは剣術であったり体術であったりと様々で、戦闘に役立つあらゆる技術をここで会得できるようになっている。
 マルクスは今、ここで剣術部門の指導教官を務めている。その職に就く事は、ずっと以前から王から乞われていたのだが、その度に彼はずっと断り続けてきた。そんな彼が三年前に突然その誘いを受け、自分の道場を弟子に任せてここへやって来たのであった。国王はようやくこの頑固者の古武士が自分の願いを聞き入れてくれた事にえらく喜んで、マルクスに王国軍全体の顧問役の地位を与えたのであった。それは軍の最高位である将軍に匹敵する程の地位で、最高の名誉を手にした事になる。
 当時、心ない者達は、このマルクスの突然の心変わりは地位目当てのものに違いないと噂したものであったが、マルクスの真意は別にあった。彼はアマンダとの約束を実行したのである。クラトスを支える事…。彼女との約束を果たす為に、マルクスは、自分の夢の結晶であった道場を続ける事より、この年に騎士団に入隊したクラトスの後を追って、自らも軍に身を置く道を選んだのだった。
 今年、クラトスは十八歳になった。表情には未だ幼さを残しているとはいえ、その体つきは逞しい大人の剣士のものとなっていた。変わったのは外見だけではない。精神的にも大きく成長したようで、それは彼の剣捌きに如実に現われていた。以前のような殺気のこもった刺々しさはなくなり、鋭い中にも柔軟さを併せ持つようになっていた。動きの一つ一つに無駄がなくなり、彼の剣には華麗な舞いのような洗練された美しささえ感じられた。
 クラトスが騎士団に入隊して三年。元々天才的な才能を持っていた剣術には更に磨きがかかり、その上頭も切れた彼は、最年少ながらもめきめき頭角を現し始めていた。もちろん、考えている事をあまり表に出す事がなく冷たい印象を受けるのは以前のままであったし、時折暗い表情を浮かべるのも変わっていない。しかし、ここ数年の彼の内面的変化に、マルクスは微かな希望を見ていたのであった。
 ところが、この三日間、クラトスは訓練場に姿を現していなかった。同じ隊の者に尋ねてみると、彼はずっと休んでいると言う。言いようのない不安が頭をもたげてくるのを覚えながらイライラとした様子で窓の外へ目をやったマルクスは、裏庭に寝転んでいるブレイズの姿を見付けた。
 ブレイズも、クラトスと同じく三年前に騎士団に入隊してきた。
 しかしながら彼の場合、クラトスと反対にすこぶる評判がよろしくない。隊での演習ではやる気があるのかないのか分からないような態度であったし、隙を見てはさぼっていると、以前隊長がこぼしているのを聞いた事がある。もちろんこの訓練場にも姿を現した事がない。
 ブレイズにとって軍の事などどうでもよかったのである。彼の目的はクラトスの傍にいる事、ただそれだけだった。マルクスにはそれが分かっていたのだが、ファルス家の事情に通じていない隊長にそれが分かる筈もない。余りのいい加減さに、除隊させると喚き散らした事もあった。さすがにその時はマルクスも、少しは態度を改めた方がいいと忠告はしたが、彼はいつものように軽く肩をすくめただけで一向に態度を改める様子はなかったのである。それでも依然ブレイズの首が繋がっているのは、偏にファルスのお陰であった。国王お気に入りであるファルスに逆らう者はこの軍隊にさえ一人としていなくなっていたのである。現在ではそれ程にファルスの権力は強大なものとなっていた。
 あの様子だと、ブレイズは今日も一日さぼる気でいるようだ。マルクスは溜息をつくと裏庭に向かった。
「最近クラトスが休んでいるようなのだがどうしたのだ?」
 ブレイズは寝転んだままで、閉じていた目だけを開けるとマルクスを見上げ、
「…ああ、あんたか…クラトスがどうしたって?」
 と、欠伸を噛み殺すような声で言うと、大きく伸びをしながら起き上った。
 これが全てお芝居である事は分かっていた。自分を見上げてくるブレイズの目は、今さっきまで眠っていた男のそれではない。
 相変わらず油断のならない男だと思いながら、マルクスは再度尋ねた。
「クラトスが休んでいる。お前なら理由を知っているだろう?」
「理由ね。理由は体調が悪いから…なんて言った所で、あんたは納得しないだろうね。」
「当然だ。」
「でも体調が悪いのは本当だぜ。あいつは魔導注入を受けたんだ。」
「魔導…注入?」
「アイオニトスっていう鉱石を飲む事で人間でも魔術を使えるようになるんだそうだ。それをファルスの奴が、どこかのエルフから手に入れてきて、クラトスの体で実験しやがった。信じられるか?石だぜ?あいつ鉱石なんかを飲まされたんだ。飲んでから直ぐに苦しみ出して…。後からプロットの野郎が、この石は人間には毒なんだって言いやがった。そういう事は先に言えってんだよな?それであいつは今寝込んでる。今週一杯は起き上がれないんじゃないかな。」
「……クラトスを実験台に?お前はそれを…」
「黙って見ていたのかってか?…断わっておくけどな、俺は今まで、ファルスから離れるようにと散々クラトスを説得したんだぜ。このままだとお前はいつか殺されちまうってな。だがあいつは聞いちゃあくれなかった。かと言って、俺の力じゃあ、ファルスを諌める事なんて出来ない。一応やってはみたが、案の定、一使用人である俺の言う事なんて簡単に退けられちまったよ。これ以上俺に何が出来る?」
 ブレイズは立ち上がると、マルクスを見詰め、話を続けた。
「クラトスは、忠告する俺にはっきりとこう言ったんだ。“全ては自分の意思でやっている。これは自分自身のハーフエルフへの復讐なんだ”ってな。」
「……復讐?」
「俺はその言葉を聞いた時、もう俺の力じゃこいつの意思を変える事は不可能だと思った。あいつのハーフエルフへの憎しみは俺が思っている以上に深かったんだ。もう俺の力じゃあいつを止める事は出来ない。だから俺はあいつが望む通りにさせてやろうと思った。あいつが地獄に堕ちて行く事を承知で復讐を望むのなら、俺も一緒に堕ちて行くだけだって決心したんだ。」
「……本当に復讐心だけなのだろうか?」
 考え込むように呟いたマルクスの言葉に、ブレイズは目を丸くした。
「えっ!?だって、あいつ自身がそう言ったんだぜ。」
「私はアマンダに会ったあの日から、ずっと陰ながらクラトスを見守ってきた。クラトスは変わったよ。人としての優しさを取り戻してきたように見える。今のクラトスの太刀筋には邪念はない。未だ復讐心に囚われている者が、あれ程無心に剣を振るえるものだろうか?」
「……だったら一体…?」
 マルクスは、目を見開き自分を見つめるブレイズを優しい目で見詰めた。
「お前が焦りを覚える気持ちも分からんではない。なにしろお前は常にクラトスの傍におり、いわば彼に一番近い存在だからな。だが、私には、お前が彼の近くにいるが故に何か大切な事を忘れているように思える。」
「大切な事?」
「それが何なのかは、お前自身がよく分かっている筈だよ。もう一度じっくりと考えてみるのだな。それともう一つ…お前まで地獄に堕ちてしまったら一体どうやってクラトスを助けてやるのだ?同じどん底にいる者が相手をすくい上げてやる事など出来はせんぞ。お前はクラトスを守る為にいるのではなかったのかな?」
 マルクスはそれだけ言うと、踵を返しゆっくりと訓練場へと戻って行く。
 ブレイズは、立ち去って行くその背を呆然とした様子で見送りながら、一人その場に立ち尽くしていた。



 その頃、クラトスは自室のベッドの中にいた。アイオニトスの副作用は彼が考えていたよりもはるかに強いものだった。飲んで直ぐに全身が焼けるような苦しみに襲われ意識を失った。それからは高熱が続き、周期的に激しい眩暈と吐き気、激痛に苦しめられた。それも徐々に軽いものへと治まってきており、今ではベッド上で体を起こせるまでに回復していたが、それでも未だベッドから出る事は叶わない状態が続いている。
 後で聞いた事だが、この副作用に耐えられた者は今まで一人としていなかったと言う。クラトスが耐える事が出来たのは、幼い頃から受けてきた過酷な訓練によって精神と肉体を鍛えられていたからであろう。
 クラトスは微熱によってぼんやりとしている目をサイドテーブルへと移した。その上には小さなガラスの箱が乗っており、中には輝く石が収められている。
 それは先程プロットがやって来て置いていったものだった。彼の話によると、どうやらこれは新種のエクスフィアのようだ。従来の物より数段上の物で、これさえ装備出来れば装備者の能力は何倍にもなると言う。しかし石の力が強すぎて、耐えられる装備者がいないそうなのだ。
 クラトスはだるい体を起こすと、その箱を手に取り、中の石を見詰めた。
 プロットが何故これを自分の所へ持って来たのかは分かっている。彼は暗にクラトスにこの石を装備するよう勧めにきたのだろう。今回のアイオニトスでの実験でクラトスの体が使われたのも、彼が陰で糸を引いている事も承知していた。プロットが何を企んでいるのかは分からない。だがクラトスは、プロットが自分に対して抱いている悪意のようなものを敏感に感じ取っていた。
 あの男は信用できない。このエクスフィアの事にしても何か裏があるに違いない。
 プロットは直ぐにでもクラトスにこの石を装備して欲しい様子であったのだが、クラトスは先に上げた理由から、装備する事をはっきりと拒絶したのであった。
 力が欲しいのは事実であった。もっと強くなりたいと心の底から願っている。
 だがエクスフィアは未だ未完成の状態だった。装備者の能力を最大限に引き上げてくれると同時に、その者の命さえも削ってしまうのだという。安全に装備できる方法が見つからない限り使用は困難とされていた。
 今ではクラトスにも、幼い頃から課せられてきたあの過酷な訓練は偏にこの石の為だけであった事は十分に分かっていた。しかし、そんな自分でもこの石の力に耐えられるかは疑問であった。今死ぬわけにはいかない。ずっと昔から抱いてきた唯一つの目的を果たすまでは、自分は死ぬわけにはいかないのだ。
 だからこの時、クラトスにはこの石を装備する気など全くなかったのだった。
 そんな事をぼんやりと考えている時だった。急に廊下の方が騒がしくなったと思ったら、勢いよく扉が開かれ、一人の少年が寝室の中へ駆け込んできた。クラトスは咄嗟に持っている箱を引出しの中へしまうと、ベッドの傍らに立て掛けてある剣に手をかけながら油断なく少年へと目をやった。今の自分は剣を振るえる状態ではなかったが、それでもいざとなったら自分の身は自分で守るしかない。自然クラトスの面に緊張が走った。
 だが少年は、そんなクラトスの内心を知ってか知らずか、彼の姿を認めると同時に嬉しそうに顔を輝かせて叫んだのだった。
「やっと見付けた!この屋敷広いのな。見付けるのに苦労したぜ。兄ちゃん、クラトスさんだよな?」
 少年のあまりに邪気のない開けっ広げな笑顔に、クラトスは目を丸くした。
「…そうだが…お前は?」
 そこへ、息を切らしたハンナが駆け込んできた。
「も、申し訳ありません、坊ちゃま。止めたのですが強引に中に入ってきてしまって…」
 ハンナは頭をペコペコ下げながらそう言うと、少年の腕を掴んで連れ出そうとした。
「離せよ!おいらは兄ちゃんに話があるんだよ!!」
「クラトス坊ちゃまは御病気なんです。話なら私が代わりに聞いておくと言ったでしょう。」
「婆ちゃんじゃ話にならないよ!!」
 ジタバタと暴れる少年を無理矢理戸口へと引きずって行くハンナ。
 するとクラトスが、
「ハンナ。いいから離してやれ。」
「え?…しかし…」
「私なら今は気分も良いから大丈夫だ。」
 安心させるように微笑んでみせるクラトス。少年はハンナの手を振り解くとクラトスの元に駆け寄った。
「……見た所、お前はハーフエルフだな。話とは何だ?ハーフエルフ狩りを行っていた私への恨みごとか?」
「違うよ!!忘れちゃったのかな?…ほら、おいらだよ。五年前に竜に襲われている所を助けてもらった…」
「!!……あの時の子供か!?」
 五年前に竜に襲われたハーフエルフの親子を助けた事があった。その時の事を失念していたわけではないのだが、五年という歳月が、あの時の幼子の風貌をすっかり変えてしまっていたのだった。当時泣き叫ぶしか出来なかった幼子は、今では大人びた表情を浮かべるまでに成長し、その目にはしっかりとした強い意思の光が宿っている。その姿には逞しささえ感じられ、クラトスはまじまじと少年を見詰めた。自分を思い出してくれた様子のクラトスに、子供は満足気にニッコリと笑いかけた。
「何故こんな所へ?親父さんはどうしたのだ?」
「父ちゃんは死んじゃったよ。」
 僅かに顔色を変えたクラトスを見て、少年は慌てて後を続けた。
「あの時の怪我が原因じゃないよ。五年前に竜に襲われた時、父ちゃんはすでに病気だったんだ。あの時父ちゃんは、もう先がない命だと悟って、おいらを親戚の所へ連れて行こうとしていたんだよ。」
 よく見ると少年は首から白い布に包まれたものをぶら下げていた。恐らくそれは父親の骨壺なのだろう。
「親戚の家に着いてから二年ぐらいで父ちゃんは死んじまった。おいらはその家に引き取られたんだけど、そこは人間だった母ちゃんの親戚だったから、みんな人間なんだ。お陰でエルフの血を引くおいら達親子は全くの邪魔者扱いさ。父ちゃんが死んでも墓さえ作ってくれなかった。だから三年我慢して家出して来たんだ。父ちゃんは生きている頃、助けてもらったクラトス兄ちゃんにいつか恩返しをするんだって言い続けていた。だから兄ちゃんのトコへ来たんだ。なあ、おいらを兄ちゃんのトコで働かせてくれよ。親戚の所でこき使われていたから、一通りの事は出来るよ。おいら、父ちゃんの遺言を守りたいんだ。」
「……駄目だ。私の所で働いてもらう訳にはいかない。」
「どうしてさ!おいらもノイシュも行く所がないんだよ。」
「ノイシュ?」
「ほら、あの時犬みたいなのが一緒にいただろう?あれがノイシュだよ。」
「あのプロトゾーンも連れて来たのか!?…だったら尚更無理な話だ。この家にハーフエルフやプロトゾーンを置いてやる訳にはいかない。」
「でも……」
 困ったように俯く少年を、クラトスはしばらく見詰めていたが、やがて小さく溜息をつくとハンナを見た。
「ハンナ…この子を祖父母の家に連れて行って貰えないだろうか?」
 その祖父母とは、クラトスの実父ブレイヴとアマンダ兄妹の両親であった。彼等は街から離れた小さな村に住んでおり、実父もアマンダもそこで育った。クラトスも幼い頃にアマンダに連れられて何度か訪れた事がある。ハンナは現在、週の半分はその村へ行って、祖父母の世話をしているのだった。
「おいらにそこに行けって言うの?おいらは兄ちゃんの傍がいいんだ。」
 クラトスは少年の肩に手を置くと静かな声で説得するような口調で言った。
「お前、名前は?」
「スティル……」
「スティル、この家はハーフエルフのお前が住むにはあまりにも危険な所なのだ。だが祖父母の村ではハーフエルフに対する差別意識もない。お前もそこなら安心して暮らす事が出来るだろう。」
「父ちゃんはハーフエルフだったけど、おいらはハーフエルフじゃない。クォーターってやつ?」
「同じ事だ。エルフと人間の血が混ざっている以上、研究材料としか見てもらえない。」
「……」
「祖父母の家の傍には私の実父の墓がある。遺体が見付かっていないので骨は入っていないがな…。その横にでも、お前の父親の墓を作ってもらえばいい。そこなら毎日でも墓参りが出来るだろう。だがプロトゾーンはまずいな。今プロトゾーンは街の外にいるのか?」
「プロトなんとか…じゃなくてノイシュだよ!」
「同じ事だろう?私の祖父母が住んでいるその村も街から離れているとはいえ王国領内には違いない。プロトゾーンは目立つからな。義父にその存在を知られる可能性も高い。…そうだな…私が安全な場所を知っている。プロトゾーンは折を見て私がそこに連れて行こう。あそこなら村から近いしお前も度々会う事が出来る。それならば寂しくないだろう。」
 スティルは不満なのか、ふくれっ面をしている。
「ハンナ。次に祖父達の所に行くのは来週になるか?」
「今週は戻ってきたばかりですのでその予定でおりましたが、事情が事情ですし、また直ぐに発つ事もできます。」
「いや、予定通りで構わない。祖父には後で私が手紙を認めておくから、次に行く時にそれを持ってスティルを村まで連れて行ってくれないか?祖父母には十年以上ご無沙汰している上に突然の頼み事で申し訳ないと思っている。本当なら私が直接行くべきなのだろうが、今私はここを離れる事は出来ないのだ。」
「大丈夫ですよ。お二人はクラトス坊ちゃまのお願い事なら喜んで引き受けて下さるでしょう。お任せ下さい。私が責任をもってお連れ致しますから。」
「すまない…」
「その間、旦那様と顔を合わせてしまう事もあるかもしれませんね。その時は私の遠縁の子供とでも言っておきましょう。それでよろしいですか?」
「何から何まですまないな。プロトゾーンは私の馬小屋に移動させておこう。あそこなら私とブレイズ以外は誰も来ないから、しばらくは見付かる事もないだろう。」
「では後で私が移動させておきましょう。」
「頼む……」
 クラトスは依然ふくれっ面で立っているスティルに目をやった。
「分かってくれ、スティル。これはお前の為なんだ。」
「……兄ちゃんは…結局兄ちゃんもおいらの事が邪魔なんだ。そうなんだろっ!!」
 スティルは、涙を浮かべた目でクラトスを睨み付けると、走り出て行ってしまった。
「スティル!!…くっ…」
 すぐに後を追おうとしたクラトスであったが、体が思うように動かず、ベッドを出た途端その場に蹲ってしまう。
 ハンナはそんなクラトスの体を抱え起こして再びベッドへと寝かすと安心させるように微笑んだ。
「私が話して参ります。…大丈夫ですよ。あの子は賢そうな子ですから、きっと坊ちゃまの気持ちが分かってくれます。」
 ハンナが出て行き一人部屋に残されたクラトスは、天井をぼんやりと見詰めながら呟いたのだった。
「…すまないスティル。だが、お前は私の傍にいない方がいいんだ。例えハーフエルだとばれなかったとしても、ここにいれば必ず父に利用される事になるだろう。それだけは避けたい。こんな思いをするのはもう私だけで沢山だから…。」



 数日後、クラトスは騎士団の勤務に戻っていた。体の方は依然本調子ではなかったが、そういつまでも休んでいる訳にもいかず、週が変わった時点で再び登城する事にしたのであった。それでも何日か過ごしている内に徐々に体も慣れてきたのか、通常の勤務ならこなせる程には回復してきていた。
 ところがその日のクラトスは、妙に体が重たく感じられ調子が芳しくなかった。このままでは勤務に支障をきたすと感じたクラトスは、通常の訓練を終えると早退する事にしたのだった。後から考えるとこれは、これから起きる事への虫の知らせと言えるべき事だったのかもしれない。
 そのような訳で、今クラトスは家路についていた。その後ろには相も変わらずブレイズが従って来ている。
「…お前まで早退する必要はないと思うのだが。今ではお前も騎士団の一員なんだ。私の従者ではないのだから。」
「いいえ。俺的には今でもクラトス様の従者だと思ってますよ。どっちにせよ騎士団にとっちゃ、俺なんておまけみたいなものでしょう。その証拠に俺も早退すると言ったら、隊長の奴、すげえ嬉しそうな顔してたでしょうが。」
「それは普段のお前の態度が悪いからだろう?」
 ブレイズは決して役に立たない男などではない。それどころか彼の判断力の速さや的確さには目を瞠るものがあるし、剣の腕にしても相当なものを持っている。真剣にやればクラトス以上かもしれない。だが、どうにもこの男にはその真剣さが欠けているのだった。いつものらりくらりとしており掴みどころがない。十年以上一緒にいるクラトスでさえ、時々この男が分からなくなる事がある。
 実のところクラトスは、ブレイズが隊長や騎士団の者達から誤解されているのが面白くなかった。ブレイズ本人がこんな調子であるから誤解を受けるのも仕方がないのかもしれないが、彼等がブレイズを馬鹿にしているのを目にする度に、クラトスは何故か妙に腹が立ってくるのだった。

 ブレイズも、もうすこし真面目にやってくれさえすれば…。

 そんな事を考えながら歩いていると、程なくして屋敷に到着した。
 馬を厩に戻しそのまま中へ入ろうと扉に手をかけたクラトスは、尋常ではない空気を感じその手を止めた。
「ブレイズ…何か変だ…」
 二人は顔を見合わせると、油断なく剣の柄に手をかけ扉を勢いよく開いた。
「ハンナ!?」
 玄関にハンナが倒れており、その体を抱くようにしたスティルがいた。
「兄ちゃん!変な奴等が押し入ってきて、止めようとした婆ちゃんを殴ったんだ。頭を打って血が止まらない。おいらの回復魔法じゃ全然効かないんだよ。」
「押し入ってきた奴等は?」
「奥に入って行ったよ。あいつらハーフエルフだよ。ベンさんが駆け付けて来てくれて、今後を追っている。」

 奥?この奥には……アマンダがいる!
 アマンダが危ない!!

「ブレイズ、ハンナの回復を頼む!」
 クラトスはブレイズに指示を下すと剣を抜いて奥に向かった。
 長い廊下を進んで行くと、大勢の男達と揉み合っているベンの姿が見えてきた。一人に多勢では敵う訳もなく相当痛めつけられている。それでもベンはこれ以上中へ行かせぬようにと体を張って防いでいた。
「ベン!!」
「ク…クラトス様。申し訳ありません。数人駆け抜けて行ってしまいました。早く奥へ!アマンダ様が危ない。」
 ところが、男達はクラトスに気付いたのか、今度はクラトスに向かって一斉に飛び掛かってきたのだった。
「くっそぉ!邪魔だ、どけっ!!」
 クラトスは怒鳴りながらそれらを切り捨てて行くが、体が本調子でない上に相手の人数が多すぎた。斬っても斬っても次々に壁となって現れ、なかなか前に進めない。

 このままではアマンダが…

 クラトスの脳裏に、あの時の惨劇が蘇って来た。
「アマンダ     っ!!!」
 たまらずに悲痛な叫び声を上げるクラトス。すると、それと同時にクラトスの体が蒼い光に包まれ、次の瞬間、周りのハーフエルフ達は全員吹き飛ばされていた。クラトスは、倒れているハーフエルフ達には目もくれず、そのまま邪魔者がいなくなった廊下を走りぬけて行く。その姿はまさに鬼神であった。
「…クラトス様、あなたは一体…」
 残されたベンはクラトスの潜在能力を目の当たりにし、驚愕の表情を浮かべると思わずそう呟いたのだった。


−決意 後編へつづく−