疑念 中編
クラトスとブレイズの間にそんな険悪な空気が流れ始めたちょうどその頃、村の入り口に立つ者達がいた。グランにマルクス、ハンナの三人である。
何故この珍しい組み合わせの三人が、連れ立って今日この日にこの村へやって来たのか。その発端となったのは、研究所を脱出した後にグランがマルクスを訪ねたことだった。
実は彼とマルクスとは顔見知りであった。それもただの顔見知りではなく、軍学校の同期であり、卒業後も同じ隊にて数々の戦場で活躍した戦友同士だったのだ。
だが入隊から五年ぐらい経った頃だろうか、ある事件が起き、二人の間に決定的な亀裂が生じてしまった。それ以来グランの方からマルクスを避けるようになり、結局その溝は埋まらぬままグランは国を離れたのだった。
そんな過去の経緯から、グランも最初は訪問の意思は全くなかったのである。ただでさえあれから20年以上もの歳月が流れてしまっている。もうマルクスは自分のことなど忘れているだろうし、今更会いに行っても仕方がないと思っていたのだ。
そんな彼の心を変えたのは今回の事件だった。
今回標的となったミトス達はなんとか脱出に成功し事なきを得たが、これで終わったわけではない。これからもファルスは、目的を達するまで同じことを繰り返すだろう。なにしろ彼は、あれら行為が人道にもとるものだと承知でやっているのだから始末が悪い。そんな人間には、いくら正義を説いてみても通じないからだ。
それでも知ってしまったからには、このまま放っておくことなど出来なかった。これ以上犠牲者を出さない為には、どうしてもファルスに研究を断念させなければならず、そしてその鍵はクラトスにあるとグランは考えたのだった。
クラトスはファルス家の人間であり、研究所でも幹部クラスに位置している。当然例の実験に関しても計画の段階から現在の進捗状況に至るまで全て把握しているだろうし、彼ならファルスの暴走を止めることも十分可能なのである。
ただ彼はアマンダへの思い入れが強く、あと一歩というところでどうしても迷いが生じてしまい、今後の状況如何ではどちらに転ぶか分からない危うさがあった。
そんな彼のアマンダへの思い。それが純粋な、親子や男女間での愛情だけならまだよかったのかもしれない。それならグランにも理解出来るし、難しいことには違いないが、心の重荷を取り除く手助けも出来ただろう。
しかし実際はそうではなかった。クラトスの心の奥底には罪の意識があり、それがあのいささか過剰とも思えるような愛情となって表れてきているのだ。
それが十五年前の事件に起因していることまではグランにも想像がついた。しかし当時、彼はまだ七歳の子供だったはず。事件に大きく関わるとは考えにくく、それなのに何故アマンダに対し、あれほどまでに罪の意識をもつまでに至ってしまったのか…。それがグランには理解できなかった。
もちろん惨劇のことは、研究所でアマンダから一応聞いている。しかし時間がなかったのもあって彼女は全てを語ってくれたわけではなく、今グランが分かっているのはアマンダがあのような姿になってしまった理由のみで、クラトスについての情報は皆無と言ってもよいほどだったのである。
人を説得するには、まず相手のことをよく知らなくてはならない。グランはクラトスについて、そしてファルス家について、もっと詳しい情報を得る必要があった。
とは言え、研究所の最奥にいるアマンダに再び話を聞きに行くことは不可能だった。もう一人事情に通じている人物としてはブレイズが挙げられるのだが、如何せん彼はクラトスに近すぎる。その為クラトス中心の思考をする嫌いがあり、結果、時折誤った判断を下してしまう。彼もまた渦中の人間なのである。
グランが求めているのは、そんな偏りなどない冷静な目で見た者の情報だった。それにはファルス家のしがらみにとらわれることのない第三者であり、尚且つファルス家やクラトスについてよく知る人物でなければならない。そう考えた時、浮かんできたのがマルクスなのだった。
マルクスは剣の師として、クラトスを幼少の頃からずっと見守ってきた。またアマンダからの信頼も厚く、彼女もマルクスにだけは全てを話し協力を仰いだと言っていた。彼なら全ての条件を満たしている。
唯一つ難があるとすればグランにとってマルクスは出来れば避けたい相手であるということ。グランの中で様々な不安が過ったのも事実であり、全く躊躇しなかったわけではない。だが、ミトス達に逃げられ追い詰められているファルスが次にどのような挙に出るか分からない今、そんなことに拘っている場合ではなく…そこでグランは当初の予定を急きょ変更し、追い返されるのも覚悟でマルクスに会いに行く決意をしたのだった。
ところが実際に行ってみると、そんなグランの悶々とした気持ちもどうやら杞憂にすぎなかったようで、マルクスは最初こそ驚いたもののすぐに笑顔になり快く迎え入れてくれたのである。
それから二人は一晩じっくりと語り合い、翌日クラトス本人と話をする為に会いに出掛けたのだった。
さて、残るもう一人の人物ハンナだが、丁度その頃、旧ファルス邸にて途方にくれていた。
実は彼女は、一週間おきにクラトスの祖父母の村まで家と墓の掃除をやりに通っており、明日がその日に当たっていたのだ。
これはクラトスの祖父の遺言によるものだった。
彼は息子が生きていると最期まで信じていた。それも無理はない。国からもらったのは戦死を知らせる紙切れだけで遺品も遺体もないのだ。それで死んだと言われても、親としては信じられなくて当然であろう。現に戦死とされていた者がひょっこりと帰って来た例はいくつもあった。
無事に戻って来た暁には、クラトスと二人この家で暮らすのもよし、売り払って別の地へ行くのもよし。以前息子夫婦が暮らしていた家はもう無く、だから少なくても生死がはっきりするまでは帰って来る場所として残しておきたいと考えていたのだった。
ハンナもそんな気持ちを十分理解していたので、今までずっと遺言を忠実に守ってきた。
しかし、年々モンスターの数が増えている現状、もう高齢にさしかかっている彼女が以前のように一人で行き来するのは難しくなってきており、そこで最近はスティルに同行してもらうようにしていたのだが、今回そのスティルは不在。しかも療養の為帰って来ているクラトスが研究所へ行ったきりいつまでたっても戻って来ない。一人で辻馬車で行こうと思うも、そうするとクラトスが戻って来た時、彼の世話をする者が誰もいなくなってしまう。それで今回は延期するべきかを悩んでいたのだった。
そんなところへ現れたのが、グランにマルクス、ベンの三人である。グラン達は、丁度クラトスの様子を見に旧ファルス邸へと向かっていたベンに出くわし、一緒にやって来たのだった。
それから三人は困った様子のハンナから事情を聞き、このまま待っていてもクラトスは戻って来そうもなかったし、それならばと、グランとマルクスがスティルの代わりに護衛役を買って出たのだった。そして一応クラトスが戻って来た時の為に、屋敷にはベンが残ることとなったのである。
つまり、ミトス達と出会わなければ、グランはマルクスに会いに行こうなどとは思わなかっただろうし、グランとマルクスの二人が旧ファルス邸を訪れなければ、ハンナは今回の外出を断念していただろう。それぞれの行動が偶然に一本の線となって繋がり、グラン、マルクス、ハンナの三人を村へ向かわせたと言えるのかもしれない。
こうして何かに導かれるかのようにこの村へとやって来た三人。
マルクスとハンナはともかく、20年ぶりに祖国の土を踏んだグランにとって、この村の荒廃ぶりは驚き以外の何物でもなかった。
「これはまた……まるで廃墟だ。」
以前の賑やかだった村を思い出しながら悲しげに呟くグランを見て、マルクスとハンナも溜め息をつきながら言った。
「今の国王は王都の周りを固めることしか頭にない。ここは王都からかなり離れているから捨て置かれてしまったのだろう。その結果、村の者は皆、便利さを求めて都会へと流れて行ってしまった。本当に国を守りたければ、このような国境に近い村々こそ整備するべきなのだがな…。」
「ええ、本当に…。亡くなった大旦那様も今のこの村の姿を見たら、きっと悲しむことでしょう。」
「……。」
それ切り三人は口をつぐみ歩き続けていたのだが、やがてアウリオン家の前に着くと、その重苦しさを取りなすかのようにハンナが務めて明るい口調で言った。
「今日は送って下さり有難うございます。もう遅いですし、お二人とも泊まっていかれるでしょう?ぜひそうして下さいな。部屋なら空いておりますし、その方が大旦那様もお喜びになると思いますから。」
実を言えば、グラン達はハンナを送り届けたらすぐに帰ろうと思っていた。
しかしそう言われてしまっては無下にも出来ず、また、久し振りにこの家を見たことで若い頃の懐かしい思い出が蘇って来て、アウリオン老人の墓参りもしたくなってしまった。なによりこんな寂しいところにハンナ一人を置いて行くのもどうかと思ったので、有難く彼女の好意を受け取ることにしたのだった。
「では…お言葉に甘えさせていただこうか。」
「ええ、ええ。ぜひそうして下さいな。さあ、どうぞ。今お部屋の用意をいたしますから。」
ところが、こうしてハンナの案内でグラン達が家へ入ろうとしたその時だった。
「お前は何者だ?何故私の所へ来たのだ?」
「?」
突然裏庭の方から聞こえてきた声に、顔を見合わせる三人。
「あの声はクラトス様?……クラトス様がここに?」
急いで裏へと回ってみると、そこにはハンナが思った通りクラトスがいた。だがそれは尋常な状況ではなく、何とクラトスがブレイズに剣を突き付けていたのだ。
その一触即発とも言える様子に驚愕するハンナ。
「坊ちゃま!!何を…」
当然彼女は慌てて飛び出して行こうとしたのだが、それをグランが引き止める。
「何故止めるのです!あのままでは…」
グランはいきり立つハンナに向かって首を振ってみせると、
「大丈夫。心配しなくても彼にブレイズ君は斬れないよ。ずっと二人を見てきたあなたなら分かる筈だ。しばらく様子を見よう。」
「……。」
確かにグランの言う通りであった。二人は本当の兄弟のようにお互い助け合いながら育って来た。その兄の如き存在であるブレイズをクラトスが簡単に斬れるわけがない。
そうは思うものの、やはり一抹の不安は残る。
だが、ここはあの二人の絆を信じてグランの言葉に従うことにしたのだった。
一方クラトスとブレイズは、グラン達が来たことに全く気付いていなかった。じっと睨みあったまま動かない。
その沈黙を最初に破ったのはブレイズであった。
彼は軽く肩をすくめると、
「まったく何を言い出すかと思ったら…。俺が誰で何の為に来たかなんて、お前にはもう分かっているだろう。」
「そうだな。お前は母の紹介状を持って私の世話をする為にやって来た。私もずっとそう信じてきたさ。……だが、私はアマンダから全て聞いたと言った筈だ。彼女はこう言っていたよ。母は異世界の人間であり、だから私に会いに来たくても来れなかったのだと。」
ブレイズの顔が僅かに強張るのをクラトスは見逃さなかった。
「…どうやら私の言わんとしていることが分かったようだな。そう。確かにこの話が本当だとすれば、母の件は説明が付くかもしれない。だが今度はお前の話がおかしくなってくる。だって、そうだろう?母が異世界にいるのだとすると、何故お前はその母のことを知っている?どうやって彼女から紹介状を貰うことが出来たのだ?それにお前は、同じく異世界から来たというあの男のことも知っているようだったし、異世界の術についても詳しかった。それは何故だ?考えられる理由は一つしかないではないか。」
「……。」
「…………どうか答えてくれ。お前も異世界の人間なのか?そして……そしてあの男の仲間で、私を殺す為に私の前に現れたのか?」
そう言ってブレイズをじっと見詰め、返事を待つクラトス。
だが、ブレイズに答える様子はなく…。
どうして何も言ってくれない?
私はお前に…。
クラトスは目を伏せると呟くように言った。
「……何も言わないのは、これが本当だからなのか?そうなのか?」
これはある意味最終勧告だった。祈るような思いで告げた勧告…。
だがそれでも何も言おうとはしないブレイズを見て、クラトスは自分の中で何かが崩れていくのを感じた。
「分かった……もういい。お前を信じた私が馬鹿だった。そういうことだな?」
剣を引き鞘に収めるクラトス。
その口元に自嘲的な笑みが浮かんでくる。
「フッ、本当に馬鹿みたいだな。まるでピエロだ。孤独な子供を手玉に取るのは簡単だったか?何も知らずに心を許していく私を見て、さぞや面白かったことだろうな。……今までお前が私にかけてくれた言葉は皆、私を手なずける為の嘘だったということか?親切顔で手を差し伸べる振りをして、その実腹の中では愚かなガキだと嘲笑っていたのか!」
この吐き捨てるような言葉は確実にブレイズの胸を衝いた。何か言わなければと口を開きかけるが言葉が出て来ない。暗然とした表情で立ち尽くしてしまう。
そんな彼にはもう目をくれることなく踵を返すクラトス。だが、そこで初めて建物の陰から心配そうにこちらを見ているハンナの姿に気付き、ぎくりとして足を止めた。
「ハンナ!?どうして…」
『ここへ?』と言いかけて、すぐにその言葉を飲み込む。彼女が一週間おきに掃除に通っていたことを思い出したのだ。
よりによって今日がその日だったとは…。
よく見れば後ろにはグランとマルクスもおり、その表情から今のことを見ていたのは明らかだった。クラトスはなんとなくきまり悪さを感じ、向けられてくる好奇の目から逃れるようにこの場から立ち去ろうとしたのだが、その前にハンナが立ち塞がる。
「坊ちゃま!これは一体どういうわけです?」
「…別に何でもない。」
「何でもないことはないでしょう!ブレイズさんに剣を突き付けるなんて…」
がみがみと言ってくるハンナを前に、こっそりと溜め息をつくクラトス。
ハンナの呼び方が『クラトス様』から『坊ちゃま』に変わっている。これは彼女が非常に興奮している証拠だった。こうなったら最後、きちんとした回答を得られるまで彼女は自分を解放してくれないだろう。
ハンナは15年前の事件以後、ずっと動けないアマンダの代わりにクラトスの養育係を務めてきた。その為クラトスのことなら誰よりも熟知しており、彼がどんなに心の内を隠そうとしてもほんの僅かな表情の変化からたちどころに読み取ってしまう。その上大変お節介な性格で、何かある度にすぐに飛んで来ては、こちらの都合などお構いなしであれこれと世話を焼きたがるのだ。そのしつこさたるや相当なもので、彼女の相手をするぐらいならモンスターと戦っていた方がまだましだと思ってしまうぐらいだった。
しかしそれが彼女の深い愛情からきていることが分かっているが故にクラトスとしてもそうそう断ることも出来ず、そこでいつもはなるべく彼女を避けるようにしていたのだが、今日に限って運悪く出くわしてしまった。しかも最悪の場面を目撃されてしまっている。
もはや彼女を誤魔化すことは不可能だった。そうかと言ってこのような事態になった理由を一から説明する気にもなれない。ならば方法は一つだけ…。
クラトスは、更に詰め寄ろうと近付いて来るハンナを素早くかわすと、グラン達への挨拶もそこそこに走るように逃げ出したのだった。
もちろんそれをハンナが見逃す筈もなく…。
「ちょっと坊ちゃま!お待ちなさい!!」
大声で叫びながら目の前を走り抜けて行くハンナを、呆気にとられた表情で見送るグランとマルクス。
可哀相だが、クラトスが捕まるのは時間の問題だろう。
確実に逃げきろうとするならば村の外へ出るのが一番である。しかしあのような物凄い勢いで追いかけてこられたのでは小屋から馬を出している余裕などないだろうし、と言って、日も落ち暗くなってきたこんな時間に一人だけで徒歩で出るのは危険だ。夜行性モンスターの凶暴性をよく知っているクラトスが、ただハンナから逃れるだけの為にそのような愚を犯す筈もなく、残るは袋の鼠になるのを覚悟で家の中へと逃げ込むしかない。
だが、グラン達からすればその方が都合がよかった。クラトスには悪いが、取り敢えず居場所が分かっていれば安心出来る。
そこで二人は取り敢えずクラトスのことはハンナに任せることにし、自分達はもう一人の当事者であるブレイズから話を聞くことにしたのだった。
そのブレイズも事の顛末を話したくなかったのはクラトスと同じだった。今の騒ぎでグラン達がこの場に来ていたことにも気づいており、当然二人が近付いてくるのに気付くや逃走しようとする。だが如何せん行動を起こすのが遅すぎた。その時にはもうグラン達はすぐそこまで来てしまっており、退路を塞がれてしまった彼はあっさりと捉まってしまったのだった。
天を仰ぐブレイズ。
そんな彼にまず噛みついてきたのはマルクスだった。
「一体何があったんだ?あの男とか異世界の人間だとかわけの分からんことを言っていたし…。」
「別に。ただの喧嘩だよ。」
「とてもそうには見えなかったが?」
「見えようが見えまいがそうなんだからしょうがないだろう。」
素っ気ない返事をすることで、なんとかマルクスの追及をかわそうとするブレイズ。詳しいことを語れない以上、とにかくここはただの喧嘩で押し通すしかない。そうすればじきに諦めてくれるだろう…そう思っていた。
するとそこへ今度はグランが静かな声でこう問うてきたのだった。
「ならば質問を変えようか。……どうして何も言わなかったのかね?」
「えっ?」
正直これは全く想定していなかった話題の転換だった。咄嗟には質問の意味が分からず、首を傾げてしまったのだが、少ししてからようやくこれが『クラトスの問いに対して何故何も答えなかったのか?』という意味だと気付く。
表情を僅かに驚きのそれに変え、グランを見詰めるブレイズ。
もしクラトスとの言い争いを初めから聞いていたのだとしたら、まずマルクスのような反応を見せるのが普通である。『異世界』なんて突飛な単語を耳にすれば、誰だって不思議に思う筈だ。そしてその意味を知ろうとするだろう。
ところが彼はその件については更に追及することをせず、そこを飛び越し、いきなり最後の方の会話に疑問を投げかけてきた。
それは聞く必要がなかったから?
もう彼は知っている?
思えば、初めて会った時から不思議で仕方がなかったのだ。
そもそも彼は今回の件に全く関係がない。運悪くミトス達と出会ってしまった為に巻き込まれただけのこと。離れようと思うならその機会は何度もあったのだ。それなのに何故彼はそうしようとはせず、深入りする道を選んだのか?
アマンダのことも知っているようだったし、とにかく不気味な男であった。
だが、不気味と言えば自分だって同じなわけで…。
「フッ、そっか。そうだよな…。」
やにわに笑いを漏らしたブレイズを怪訝そうに見るグラン。
「あ…いやすまねえ。別にあんたのことを笑ったんじゃねえんだ。なんて言うか、自分で自分のことが可笑しくなっちまってさ。だってそうだろう?考えてみりゃ、俺ほど怪しい奴はいないわな。ある日突然目の前に現れた氏素性も分からない男…。クラトスが疑ったって無理はないんだ。」
「……彼は君を疑ってあんなことを言ったのではないと思うがね。むしろその逆で、君を信じようと思ったからなのではないだろうか。」
「……。」
「きっと彼は自分の中に湧いてきた疑念を打ち消したかったのだろう。その為にはどうしても君の口から否定の言葉を聞く必要があった。だから…。」
「分かってるよ……。そんなこと、あんたに言われるまでもなく気付いていたさ。俺はあいつがガキの頃からずっと傍にいたんだぜ。あいつの考えていることぐらい目を見りゃ分かる。」
「だったら何故すぐに否定しなかったのだね。」
「……俺だって出来ることなら否定してやりたかったよ。でもそれは無理な注文だった。どういうわけか俺は、昔からあいつにだけは嘘を吐けなくてさ。だからいつも、あいつが知らない方がいいと思うことは言わないようにしていたし、そんな話題になりそうな時はさりげなく注意を他へと逸らすようにしていた。でも今回ばかりはそれが出来なかった。俺は口をつぐむしかなかったんだ。」
「?…ちょっと待て。」
ブレイズの言葉を聞き咎めるマルクス。
「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?それではクラトスの話を認めたことになってしまうのだぞ。」
「……そうだよ。俺は認めているんだ。あいつの言ったことはあながち間違いではなかった。何故なら俺はあいつを…」
ブレイズはそこで言葉を切ると辛そうに顔を歪め目を逸らした。
そして長い沈黙の後、震える小さな声でこう付け足したのだった。
「……俺がファルス家に来たのは、あいつを殺す為だったんだよ。」
「!!」
驚いて顔を見合わせるグラン達。
すぐに問い質そうとするが、ブレイズはそれにはっきりとした拒絶の意を示すと二人の間をすり抜け逃げるように走って行ってしまったのだった。
マルクスはあんぐりと口を開けた状態で隣のグランを見た。
「い…今、あいつ何て言った?あいつはクラトスの命を狙っていたのか!?」
「そのようだな。」
「馬鹿な!そんなことあり得ない!!」
「確かに。旅の間も彼は命を賭けてクラトスを守ろうとしていたし、もちろん敵意を持っているようにも見えなかった。」
「そうだろう?あいつの考えていることと言ったらクラトスの身の安全のみで、いつも影のように寄り添いながらずっと守って来たんだ。そんなあいつがクラトスに殺意を持つ筈はない。それなのに何故あんな嘘を吐くのだ。」
「…彼にとってはそのどちらも嘘ではないのかもしれない。」
「えっ?」
「彼は『だった』と言ったんだ。それは、最初は殺そうと思っていたが今は違うということではないのか?つまり殺す為に来たというのも真実なら、クラトスを必死に守ろうとしている今の彼の姿もまた真実なんだ。何が彼の心にそのような変化をもたらしたのかは分からない。だが、今の彼は間違いなくクラトスの味方であると私は確信しているよ。」
「…それならそうとクラトスにもちゃんと説明すればよかったのだ。そうすればこんなにこじれることはなかっただろうに。過去はどうあれ今は違うのだからそんなに気に病むことはないだろう?」
「そう簡単には割り切れないのが人の心なのではないか?傍目には大したことではなさそうに見えても本人にとってはとても重いことである場合もある。後ろめたさを感じているのなら尚更だ。」
「……。」
「誰でもやましいことがあればそれを隠そうとする。それを知ったら相手が離れて行ってしまうのではないかと怖くて…。だが時にそれは、逆に相手に疑念を抱かせてしまうこともある。そうなったらもう真実を話したくても話せなくなり、心の奥底に封印しずっと抱えていくしかなくなってしまうのだ。もし最初から何もかも正直に話していたのならそんな羽目に陥ることはないだろう。だがそいつは言わずもがなだな。それが出来れば誰も苦労はしない。そうする勇気がないから隠してしまうのだから…。」
きっと、ブレイズやクラトス、アマンダの三人もそうだったに違いない。
ブレイズとアマンダはクラトスに対して秘密を持ち続けることに胸を痛めずっと苦しんできた。クラトスはクラトスでそんな二人の苦しみに薄々気付いていたものの、なんだか触れてはいけないことのような気がしてどうしてもその理由を問うことが出来ずにいた。そんな抑え込まれた思いが今回爆発してしまったのだ。
ブレイズとアマンダがクラトスに真実を隠したのも、クラトスが自分の気持ちを押し殺したのも、皆、相手の気持ちを思うが故のことだったのだ。
だがそれは裏を返せば、相手を信じていないことになる。
もし彼らが自分達の絆の強さを信じ、本音で話すことが出来ていたならば、恐らくこのような事態にはならなかったのではないだろうか。
「いささか遅すぎたのかもしれんな。こんなにこじれてしまっていては、私にはもうどうすることも出来ない…。」
そう言って悲しげに笑いを浮かべるグランを、マルクスはしばらくの間黙って見詰めていたが、やがて静かに口を開いた。
「そうだろうか?私はまだ諦めるのは早いと思うがな。何故なら私は、そうやって勇気を振り絞り、20年以上もの間絶縁状態だった友人との絆を取り戻した男を知っているからな。20年だぞ。決意するまでどれだけ悩んだことか。それに比べたらクラトス達なんて楽なものではないか。」
驚いてマルクスを見るグラン。
彼が自分達のことを言っているのは明らかだった。
「どんなことにも遅すぎるなんてことはないんだよ。今がどんなに最悪の状況であろうとも、本人達がほんの少し勇気を出すことでいくらでも変えることが出来るんだ。それが出来ないと言うのなら、勇気が出せるよう私達が力を貸してやればいい。そうだろう?」
マルクスはそこで笑みを浮かべるとグランの背中をポンと叩いた。
「ほれ!何をしけたツラしているんだ。お前らしくもない。これからあいつらの尻を叩いていかねばならんのだからな、そんなしょげている暇などないぞ。さあ、部屋で作戦会議だ。愚痴ならその時にじっくりと聞いてやるから元気を出せ。こちらからも聞きたいことが山ほどあるしな。」
「え?」
「とぼけたって無駄だ。お前はクラトスが言っていた『あの男』のことも、『異世界の人間』という言葉の意味も知っている。なのにそれを私に隠していたではないか。私の目は節穴ではないぞ。全くお前ときたら散々私から情報を引き出したくせに、私には自分の持っている情報をこれっぽっちも話そうとしないのだから。こんな不公平なことはないではないか。」
「私は別に隠していたわけでは…」
「だったら教えてもらっても構わないよな?ではこれからじっくりと聞かせてもらおうか。酒でも飲みながらな。」
「酒?おいおい、昨夜あれだけ飲んだばかりだろうが。また飲む気なのか。」
「フン。あんなもんじゃまだまだ。昔の私のあだ名、覚えているだろう?」
「確か…うわばみのマルクスだったかな。」
「そう!その通り!!ほれ、行くぞ。そろそろ部屋の支度も出来た頃だろうしな。」
「ああ、分かったよ。」
グランは苦笑を浮かべると、豪快に笑いながら先を行くマルクスを追って歩き出したのだが、ふと足を止めると空を見上げた。
空にはもうちらほらと星が輝き始めており、彼はその中でも一際輝いている星を見付けるとそれに向かってそっとこう呟いたのだった。
「遅すぎたわけではない。まだ間に合う…。ならば私は全力で支えよう。どうか力を貸してくれ。お前の愛する者の為に…。」
−後編へつづく−