疑念 後編


 翌早朝、人気のない村の中に剣を打ち合う音が響いていた。
 音の主はグランとクラトスである。
 昨日の事があってまんじりともせずに夜を明かしたクラトスは、このままベッドの中にいても眠れないと思い散歩に出たのだが、そこをグランにつかまり裏庭で剣の稽古をしないかと誘われたのだった。
 元々何か目的があって出てきたわけではなく、クラトスに断る理由はなかった。それにグランの腕は旅の間ずっと見てきたので分かっている。前からグランとは一度手合わせをしてみたいと思っていたのだ。
 ところがいざ蓋を開けてみると、勝負はグランの一方的なものとなってしまっていた。僅か数分で一本取られてしまい、その後もやられっぱなしで、クラトスはまだ一本も取る事ができていない。毎回最初はクラトスの方が押しているのだが、それが気が付けばいつの間にかひっくり返ってしまっているのだ。
 こんなはずではなかった。
 もちろんグランをみくびっていたわけではない。寧ろ剣においても、また人間的にも彼の方が自分より数段上にいると認めていたし、この稽古にも胸を借りるつもりで臨んでいたのだ。
 だがその一方で全く歯が立たない相手だとも思っていなかった。戦い方によっては互角に持ち込む事も十分可能だと考えていたのである。

 それがこんなにも力の差があったとは…。

 今使っているのは刃がつぶしてある練習用の剣で真剣ではない。とは言えそれなりのダメージを受ける事に変わりはなく、クラトスの動きはだんだん鈍くなってきていた。
 それでもこのまま終わらせたくはなかった。なんとか一本だけでも取りたい。そう思って荒くなった息を整え剣を構え直したのだが…。
「この辺にしておこうか。」
「!!大丈夫です。まだできます。」
「いや、私が疲れたんだ。」
 微笑みながら剣を収めるグラン。
 そう言われては、それ以上無理に続ける事もできず、クラトスは仕方なくグランに倣い剣を収めた。
 そんな彼を見てグランは僅かに目を細めると、
「不満そうだな。もっと続けていれば一本取れていたのに、か?……だが、たとえ続けたとしても結果は変わらなかっただろう。」
「え?」
「いや、誤解しないでもらいたい。別に私の方が優れているからと言っているわけではないよ。出会ったあの日から剣の腕は君の方が上だった。ただ、今の君は全く集中できていないし、太刀筋も乱れてしまっている。それでは私はおろかそこいらの雑魚モンスターも倒す事などできんだろうな。」
「……」
「剣というのは不思議なものでね。振るう者の心を鏡のように映し出してしまう。だから戦いの時は無心にならねばならない。どれだけ無心になれるかで勝負は決まってしまうんだ。まあマルクスに師事していた君なら、そんな事は今更言われなくても分かっているだろうが…やはり昨日の件が尾を引いていたのかな?」
 その言葉にクラトスはピクリと反応した。顔を上げると黙ってグランを見詰めていたが、
「……やはりそうでしたか。」
「ん?」
「あなたが私に声をかけてくる時はいつも何か目的があっての事だった。そして今回剣の稽古に誘ってきたのも昨日の事を詳しく聞きたかったから…そういう事でしょう?」
「フ…、まあ、聞きたくないと言えば嘘になるかな。私にだって人並みに好奇心ってものがあるからね。なにしろお互いがまるで分身のような関係だった二人が大喧嘩しているところに出くわしたんだ。理由を知りたいと思うのは当然だろう?しかし、だからと言って、話したくないものを無理に聞き出そうとは思わんよ。ただ、君が昔の知人にあまりにも似ているものだからね。このままいけば同じ轍を踏んでしまうのではないかとちょっと心配になってしまったんだよ。」
「似ている?」
「ああ。そいつも君のように他人など全く信じない男だったのだが、ある出会いをきっかけに徐々に変わって行ったんだ。似ているだろう?君とブレイズ君の関係に。」
「……」
「そうだ、いい機会だ。一つ昔話でも聞いていかんかね?その私の知人 ―― 愚かな男の話なんだが。」
「それは…私もその男と同じ愚か者だという意味ですか?」
 キッとして睨みつけてきたクラトスを見て、グランはフッと笑うと、
「まあまあ、そう喧嘩腰になるものじゃない。そうではないよ。これは私の知人の話。昔話なんだから。人生の教訓として聞いておくのも悪くはないと思ってね。」
 もちろんそう言ったところでクラトスが表情を改める事などなかったが、それでも立ち去る様子はなく、グランはそれを了承と取ると話し始めたのだった。
「これはもう30年近く前の話だ。その出会いがあったのは、男が軍学校にいた時の事だった。男は成績はトップクラスだったのだがね。さっきも言ったように少々偏屈で人付き合いが苦手だったものだから、友人は全くできず、いつも一人だった。まあそれでも彼は別に淋しいとは思っていなかっただろう。寧ろ一人の方が気が楽だと思っていたんじゃないかな。
 ところがそんな男に、しつこいぐらいに話しかけてくる者が一人だけいたんだ。そいつは男とは違って明朗快活な性格でクラスの人気者だったから、無理して男になど話しかけなくても、話し相手には事欠かない筈だった。それなのに何故かしきりに構ってくる。たとえ男が無反応だろうが平気の平左。そのしつこさたるやクラスの者も首を傾げる程だったよ。
 当の男も最初は煩いと思って追い払っていたようだ。だが次第に心を開いて行き、少しずつ話をするようになっていった。そして気が付けば二人は、いつの間にやら、つうかあの仲になっていたんだ。男にとってそいつは、生まれて初めてできた親友となったってわけだ。
 卒業後も二人は同じ隊に配属され、いくつもの戦場を共に駆け回った。そんな二人だったから、どの戦いでも息はピッタリで数々の戦功を上げていたよ。まさに向かうところ敵なし。軍内最強のコンビと言われたものさ。だが今から考えると、もうこの頃から歯車は狂い始めていたのかもしれん。実は二人の間には決して越える事ができない壁があったんだよ。身分制度という高い壁がな。」
「身分制度…。」
「知っての通り、この国には王を頂点としたピラミッド型の身分制度が存在する。今でこそだいぶ緩和されてきてはいるが、当時のそれは絶対だった。そして男の身分はその最下層に当たる平民で、友人は王族の次に位置する高級貴族。本来なら友人は、男がおいそれと近付く事などできない雲の上の存在だったんだ。
 もちろん二人にもそんな事は初めから分かっていたよ。だがそれを無視して付き合いを続けていた。その頃の二人は英雄として扱われていたからね。自分達なら何をやっても許されると思っていたのか……いや、もしかしたら、今の自分達なら身分制度によって生まれた確執を解いていけるのではないか、なんて自惚れていたのかもしれないな。
 しかし社会の仕組みってやつは、そんなに甘いものじゃない。それから数年後、そんな二人を嘲笑うかのように、ある事件が起きたんだよ。君も軍に所属しているのならフィルド事件を聞いた事があるだろう?」
 クラトスは僅かに驚きの表情を浮かべながら頷いた。まさかこんなところでその名を聞くとは思ってもいなかったのだ。

 フィルド事件とは、町中で平民の兵士フィルドが貴族の兵士に斬りかかり、逆に殺されてしまったという事件だ。
 普通ならただの喧嘩で片付けられるような事件である。しかし国王はこれを重く見た。平民が貴族に刃を向けた事が問題視されたのである。王国の長い歴史の中でも、こんな事は初めてであった。当時、平民は貴族に絶対服従が鉄則。口答えさえ許されないというのに、斬りかかるなど以ての外な行為なのだ。このまま放置しておけば第二のフィルドが現れかねず、延いては身分制度の崩壊へとつながってしまうだろう。今後の為にも断固たる処置を講ずる必要があったのだった。
 その結果フィルドは反逆犯とされ、遺体はただちに刑場へと運ばれ斬首刑にされた。一族郎党も残らず逮捕、終身刑に科せられたと言う。
 この事件の事は王国軍史上最大の汚点として軍学校の教科書に載せられていた。当時に比べ緩和されてきているとは言え、まだ身分制度は存在する。もし叛意を持てば必ずフィルドのように厳しく処罰されるのだと、学生の内にしっかりと叩き込んでおく為であった。だから軍学校を出た者なら誰もが知っている事件なのである。

「マルクスから聞いたんだが、フィルドは随分と極悪人のように伝えられているようだな。ま、国としちゃぁその方が何かと都合がいいんだろうけどな。」
 苦笑を浮かべるグラン。
「しかし、事実なのだから仕方がないでしょう?極悪人かどうかは別として、町中で剣を振り回すなど許されない事ですから。」
「振り回しちゃいねえよ。」
「え?」
「……それは貴族の兵士が自分を守る為に吐いた嘘だった。実際はそうではなく、フィルドはその貴族の兵士が町娘に乱暴しようとしたのを止めようとしただけだったんだ。その事は、当時フィルドと一緒にいた平民兵士や当事者の町娘が何度も叫んでいたのだが、その証言は取り上げられず…。結局貴族兵士はお咎めなし。フィルドは処刑って事になってしまった。まあ、たとえ取り上げられていたとしても、結果は変わらなかっただろうがね。国家にとっちゃ、いざこざの原因なんて関係ないんだ。必要なのは平民が貴族に、はむかったという事実だけ。言わばフィルドの遺体は、他の平民達への見せしめの為に斬首されたようなもんなんだ。」
「……」
「理不尽だと思うだろう?だが当時はこんな事がまかり通っていた。平民は貴族のどんな無法もただ耐えるしかなかったんだよ。……しかし、この事件はこのままでは終わらなかった。それまでも貴族の兵士と平民の兵士の間に軋轢はあったのだが、フィルドが殺された事でそれが決定的なものになってしまった。そして平民の兵士達は、今まで抑えに抑えていた怒りを爆発させ反乱を計画したんだ。」
「反乱?……しかしそんな記録は…」
「残っているわけがない。密告した者がいてね。頓挫したんだよ。」
「え…密告?」
「ああ。その結果、リーダーの青年は逮捕され、やはり見せしめに処刑された。」
 グランはその処刑の様子を思い出したのか、クラトスから視線を外すと悲しげに顔を歪めた。だがすぐに表情を改めると、
「……さて、長い前置きだったが、ここからが本題だ。リーダーがいなくなった事で計画は自然消滅し、平民兵士達はまた元の生活に戻っていった。だが決して事件の事を忘れたわけではなかった。当然だろう?フィルドもリーダーの青年も、平民兵士達にとっては大切な仲間だったんだ。毎年命日には皆集まって追悼していたよ。そんな時、決まって話題になったのは『誰が密告したのか?』だった。平民兵士達の中にいるとは誰も考えていなかった。同じく辛酸をなめてきた同士、裏切る者などいるわけがない。指したのなら貴族兵士の奴らに違いない……というのが大方の意見だったな。そして真っ先に疑われたのが、男の友人だったんだ。
 反乱の計画は平民兵士全員で立てたもので、当然男も名を連ねていた。もちろん男は友人には話さなかったんだがね。勘のいい友人は男のいつもと違う様子にそれとなく気付いてしまったのだろう、何度もやって来ては思い止まるよう説得していたんだ。だから平民兵士達にとって男の友人は、計画を知っている唯一人の貴族。疑うのも無理はなかったのかもしれない。しかも、間が悪いと言うか、事件直後に友人に昇進の辞令が下りてね。余計に疑われてしまった。
 しかし、男は友人がそんな事をする人間ではないとよく分かっていたから必死になって庇ったよ。ところが、そんなところへ目撃者が出てきてしまったんだ。」
「目撃者?」
「ああ。そいつは平民兵士の一人だったんだが、男の友人が憲兵と密かに会っている現場を見たと言うんだ。話の内容までは聞こえなかったようだが、リーダーが逮捕されたのがその二日後だった事から、かなり信憑性のある証言だと思われた。こうなったらもう男には庇いきれなくなった。と言うより、男の中にも疑念が湧いてきてしまったんだな。もしかしたら友人は貴族側のスパイだったのではないか、最初から情報を得る為だけに自分に近付いてきたのではないか、とね。そう思ったら今までの友情も全て嘘に見えてきてしまった。悲しみと同時に騙されていた事への怒りが湧いてきて、それから男は友人との交流を断ってしまったんだ。」
「……それで、その友人は本当に男を裏切っていたのですか?」
「そこなんだがね。全くの誤解だった事が、ずっと後になって分かったんだよ。その目撃証言っていうのが嘘だったんだ。証言をした奴はもう戦死しちまったんだがね。そいつが死ぬ間際に、たまたま同じ戦場にいた男に全てを告白していったんだ。実は反乱計画を憲兵に指したのもそいつだった。母親が病気でね。金欲しさにやってしまったそうなんだ。」
「……」
「真相を知った男は、それはそれは悔やんだよ。でも、もう遅い。今更謝ったところで、急に手のひらを返したように冷たく接するようになった自分を、友人は許してくれないだろう。もしフィルド事件なんてものがなかったなら…。もしこの国に身分制度なんてものがなかったなら…。もし自分が平民でなかったなら…。そんなどうしようもない事ばかりが頭に浮かんできた。なんで今頃になってそんな事を言うんだと、告白して死んでいった兵士を恨んだりもした。
 男は何かの所為にしたかったんだ。そうしなければ自分を保っていられなかったのだろう。
 だがな、本当に悪いのは男自身なんだ。もしあの時男が友人に直接問い質してさえいれば、こんな事にはならなかった。結局男は、友人を信じていなかったんだよ。
 もしかしたら友人は自分の抱いている疑念を肯定するかもしれない。そんな理由でもなければお前なんかに近付くわけがないだろうと、笑いながら言われるかもしれない……そう思うと怖くて聞く事ができなかったんだな。
 その為に男は生涯の友を失った。その先ずっと後悔の念に苛まれながら生きて行く事になってしまったんだ。まあ、本当に大切なものは失ってみて初めて分かるとよく言うが、この男はそのいい例だろう?失って気付いたって遅いんだよ。どんなに悔やんでも失ってしまったものはもう戻らない。」
 グランはクラトスを意味ありげに見詰めた。
「と、まあ、これで昔話は終わりなんだがね。この話を通じて私が言いたかったのは、つまり…」
「つまり、その男のようになりたくなければ、ブレイズを信じろと…そういう事ですよね。結局最後にはそこへ話がつながるのだろうと、端から想像できていました。」
「ほう…。」
「ですが私にはそれはできません。」
「何故?」
「その男と私は違うからです!……男の友人は男に嘘は吐かなかった。そうでしょう?でも私は違う。幼い頃からずっと信じてきた事が全部嘘だったんだ。」

 あのような姿でもアマンダはずっと生きていてくれるのだと信じていた事も。
 母がこの世界のどこかで生きており、いつか迎えに来てくれるのだと信じていた事も。
 その上戦死した筈の父が実は生きていると言われ…。

「…私以外の者は皆、それが事実でないと知っていた。知っていながらずっと私を騙し続けていたんです。それなのに何を信じろと言うのです?」
「……本当に騙していたのだろうか?」
「え?」
「それは騙したのではなく、真実を言わなかっただけなのではないか?」
「!!そんなの、同じ事でしょう!」
「いや違うよ。騙すのと真実を言わないのとでは全く違う。きっとその人達は時を待っていたのだろう。君が真実を冷静に受け止められるようになるまでね。だが運悪く、その時が来る前にどうしても告げねばならない状況になってしまった。結果、こうして君を逆に苦しめる事になってしまったのだが、でもね、本当に苦しかったのは、言いたいのに言えず、ずっと心の奥底に真実を隠し続けていた周りの人達の方なのではないかな?」
 グランの言葉に俯いてしまうクラトス。
 本当はもう何年も前からアマンダが何か隠している事に気付いていたのだ。いつも笑顔を絶やさない彼女が、たまに悲しげな目で遠くを見ている時があったから。
 そう…。気付いていながら尋ねなかったのは自分。だから彼女を責めるのは筋違いなのだと分かっている。でも…。
 するとそんなクラトスにグランが突然こんな事を言い出したのだった。
「君は、強い信頼関係に結ばれた者達を引き離す方法を知っているかね?」
「え?」
「なあに、そんな難しい事じゃない。その輪の中にほんの小さな火種をポンと放り込んでやれば、それだけでお互い疑心暗鬼になり自滅してくれる。戦争でもよく使われる手だ。汚い手ではあるがね、まあ戦争なんてものは所詮殺し合いだ。きれいごと言っていたんじゃできないさ。だろう?」
「……」
 クラトスとて軍人である。出征した事もあり、無論そんな事は承知している。
 武器で戦うだけが戦争ではない。敵に偽の情報を流してかく乱し、こちらに有利になるよう仕向けたりもするのだ。いわゆる心理戦というやつである。現にそれで、難攻不落と言われていた城が僅か数日で落ちてしまったという例もあるぐらいなのだ。
「いいかね?このように人と人との信頼関係を壊すのに大層な仕掛けなんて必要ない。心の中に生じたほんの小さな疑念…それだけで十分なんだ。その針の先っちょのような小さなやつが、何年もかけて積み上げて来た大切なものを瞬く間に崩してしまう。壊すのは他人じゃない。自分自身なんだよ。
 まあ、だからと言って何でもかんでも簡単に信じてしまうのもいただけないがね。だが君とブレイズ君の場合は昨日今日の間柄ではないだろう?何年もかけて築いてきた絆だ。今のままだとその絆が断たれてしまうんだよ。君は昔話の男のように大切なものを失ってしまってもいいのかね?……それでも尚ブレイズ君を信じられないと言うのなら、まずは自分を信じてみなさい。彼を信頼に値する人物だと判断した自分の目を信じるんだ。」
「自分を信じる…。」
「そう。自分も信じられない者が他人なんて信じられるわけないからね。ブレイズ君との間に何があったのかは知らない。だが君はそれまでずっと彼の事を信じていた。他人に対して全く心を開こうとしない君が、だ。そうなるには何か余程の理由があったのだろう。それを思い出すんだ。そうすれば自ずと真実が見えてくる。確かに嘘と真実とを見分けるのは難しい事だ。でも君にならできる筈だよ。」
「……」
 考え込んでしまったクラトスを見てグランは微笑みを浮かべると、ポンと膝を叩いて腰を下ろしていた岩から立ち上がった。
「さてと。そろそろ朝食の用意ができた頃だろう。戻ろうか。」
「…いえ、私はもう少し外の風に当たってから戻ります。」
「そうか。では先に行っているよ。」
 ところが、そう言ってグランが家へと歩き出したその時だった。その横を黒い影が物凄い早さで走り抜けたと思ったら、それは奥にいるクラトスに襲い掛かったのだった。
 振り下ろされてきた武器を咄嗟に剣を抜き受け止めたクラトスは、その襲撃者の正体が分かるや目を見開いた。
「ユアン!?」
 そう、それはまさしくユアンであった。
 ユアンはバックステップで距離をとると、武器は構えたままでクラトスを睨み付け叫んだ。
「覚悟しろ、この裏切り者が!!」
「裏切る?…何の事だ?」
「惚ける気か!お前の裏切りの所為で、マーテルがまた捕まってしまったんだぞ!!」
「なんだって!?マーテルが捕まった?」
 驚きの表情を浮かべるクラトス。
「何故だ!?どうして!?」
 その顔からは全く嘘は感じられず、今度はユアンが首を傾げる番だった。
「お前…本当に知らんのか?」
 するとそこへ、今度はスティルが走り込んできた。息を切らせながらユアンを睨みつけると、
「ああ、やっぱりここにいた!」
「おい…なんだかこいつ、何も知らないみたいだぞ。」
「だからさっきからそう言っているだろう。それなのにあんたったら全然聞こうとせずに、飛び出して行っちゃったんじゃないか。」
「そうだったっけか?」
「そうなんだよ!!」
 言い争いを始める二人。

 どうも話が見えない。大体、このハーフエルフ達は今頃国境へと向かっている筈なのだ。それなのに何故こんなところに現れるのか?

 すぐにでも事情を聞きたいものの、二人の言い争いは収まる様子はなく、それどころか今にも掴み合いの喧嘩に発展しそうな様子である。
 わけが分からずだんだんと苛つきを覚えてきたクラトスは、ついに間に割って入った。
「止めんか、二人とも!!」
 揉み合っている二人を引き離すと、スティルを見る。
「スティル、一体全体どうなっているんだ?夜明けのまだ暗い内に彼らを国境まで送る段取りだっただろう。」
「もちろんそのつもりでしたよ。でも迎えに行ったら、ミトス君がいなくなっちゃってたんだ。」
「いなくなった?」
「うん。なんだか夜中に一人でこっそり出て行ったみたいで…。それでマーテルさんは危険だから小屋に残ってもらい、このユアンとおいらとで探しに行ったんだ。でも見付からなくて…。で、一度小屋に戻ったんだけど、そうしたらそこへ突然兵士達がやってきてマーテルさんを連れて行ってしまったんだ。」
「うむ。私もマーテルを守る為に華麗な太刀捌きで応戦したのだが、なにしろ多勢に無勢。無念であった。」
「この際、お前の太刀捌きが華麗であろうがなかろうがどうでもいい。問題は何故兵士があの小屋の存在を嗅ぎ付けたか、だ。」
「私はてっきりお前が指したものと思っていたんだがな。だってあの小屋の事は、お前の他僅かな者しか知らないのだろう?」
 そう。ユアンの言う通りだった。あの小屋は昔クラトスの大叔父が開業していた医院で、交流のなかったファルスはその存在すら知らない。もちろんプロットもである。だとしたら知っている誰かが彼らに教えた事になるのだが…。
 まず自分でない事は確かである。アマンダも言うわけがなく、スティルでもハンナでもない。後は…誰が知っていただろう?

 と、その時だった。

「お〜い、何の騒ぎだ?」

 外が騒がしいので、家の中にいた者が皆出てきてしまったのだ。
 声の主はブレイズで、クラトスはその声を聞いた途端ビクンと身を震わせた。
「まさか…」
「ん?何がまさかなんだ?」
 クラトスの呟きをユアンが聞き咎める。
「え?……いや、何でもない。」
「?……まあ、とにかくだ、誰が指したにせよ、もうマーテルは連れて行かれちまったわけだから、今は犯人探しよりも彼女を助ける事の方が先決だと思うんだよ。で、物は相談なんだが、またあの研究所の中に忍び込ませてくれないかな?私だけではどうにもならんのだ。」
 だがクラトスはぼんやりと地面を見詰めており、返事をする様子はない。
「おい、クラトス?」
 首を傾げるユアン。
 やがてクラトスは俯いたまま、小さな声で言った。
「無駄だよ。」
「え?」
「再び彼女が捕まってしまった事で、止まっていたものがまた動き出してしまった。もう誰にも止められない。」
「ふむ、そうか……って、何を言っているんだ、お前は!!お前なら止められる筈だろう?お前はファルスの息子なんだ。親が間違った事をしていたら、それを正すのが息子の役目なんじゃないか!」
「確かに息子ならそうするべきだろうな。だが残念ながら私にはできそうもない。」
「はあ?なんだそりゃ。」
 だがクラトスはそれ以上は何も言わず踵を返すと、あんぐりと口を開けているユアンや他の者達をそのままに村の方へ出て行ってしまったのだった。途中、ブレイズとグランの物問いたげな視線に気付いたがそちらを見ようともしなかった。
「チッ、なんなんだ、あいつは!!『私にはできそうもない。』だと!?ふざけるなっつうの。人が下手にでてりゃいい気になりやがって。もういい!父親が怖くて何もできないような腰抜けに誰が頼むか!」
 完全に無視された状態となり、一人エキサイトするユアン。
 すると、
「違う!兄ちゃんは腰抜けなんかじゃない!!」
 口を挟んできたのはスティルであった。
「あん?だって事実だろうが。」
「そうじゃない!…違う…違うんだよ。兄ちゃんは…」
 こぶしを握り唇をかむスティル。
 言ってしまっていいものか分からなかった。だがこのままユアンに好き放題言わせておくのも嫌だった。
 そこでスティルは顔を上げると、後で怒られるのも覚悟で続く言葉を口にしたのだった。



 一方、村へ出てきたクラトスは、大きな木に背を預け物想いに沈んでいた。
 あの小屋の存在を知っている人物がもう一人いた。ブレイズだ。
 もし本当に誰かがファルスに教えたのだとすれば、それはもうブレイズとしか考えられなかった。

“君は昔話の男のように大切なものを失ってしまってもいいのかね?”

 分かっている。信じてやらなければいけない。だがそう思えば思う程、次々に新たな疑問が湧いてきてしまう。このやり場のない苛立ちを一体どうすればいいのか…。

 溜め息をつき、空を仰ぐクラトス。
 しばらくして、誰かが近付いてくる足音が聞こえてきた。目をやってみると、なんとそれはユアンであった。今の彼に先程のような殺気は見られない。
 ユアンはクラトスの傍までやってくると、なんとなくばつが悪そうにもじもじしていたのだが、やがてごくりと唾を飲み込むと言った。
「その…悪かったな。」
「え?」
「スティルに聞いたんだよ。ファルスはお前の実の父親じゃなかったんだってな。そんな事情も知らず偉そうな事を言ってしまって…。本当にすまなかった。」
「……」
「なんだ、その奇妙な物でも見るような目は。」
「いや、お前の口から謝罪の言葉を聞くとは思わなかったから。」
「何を言っている。私だって自分が悪いと思えば謝る。当然だろう。ああ、これですっきりした。」
「当然…。」
 暗い声でぽつりと呟くクラトス。
 ユアンはそれには気付かなかったようで、笑顔を浮かべると話を続けた。
「…で、事情が分かった以上は、お前に無理をさせる気はないよ。だが私はどうしてもマーテルを助けたい。それでちょっとだけ力を貸して欲しいんだよ。奥まで連れて行ってくれとか、一緒に中に入ってくれとか言わない。ただ私が研究所の中に入る間、警備員の目を逸らしておいてくれればいいんだ。な?頼むよ。」
「……何故…」
「へ?」
「何故私に頼む?」
「何故って、こんな事お前ぐらいにしか頼めないだろう。」
「そうではなくて……私がお前を兵士に売るとは考えないのか?」
「だって、お前はそんな事はしないと信じているから。」
「なんでそんな簡単に信じられるんだ!!」
 思わず大声を出すクラトス。
「現に今さっきまで私を裏切り者呼ばわりしていたではないか!」
「だからそれは謝っただろう?……そりゃあ、私も最初から信じていたわけじゃないさ。なにしろお前ときたら、する事なす事ちぐはぐで何を考えているのか分からなかったからな。その理由を知るまでは信用できないと思っていたんだ。だがさっきの話を聞いて、少しだけ理解できたような気がした。もちろんこれでお前の全てが分かったなんて思っちゃいないが、こいつは信用はできると直感した。私は自分の勘を信じているからな。それがGoサインを出したなら、それに従うまでだ。」
「自分の勘を…信じている?」
 クラトスは目を見開いた。

 このハーフエルフは、私にできない事を当然のようにやってのけている。
 悪いと思ったら素直に謝り、自分自身を信じており、そして敵方に身を置く私を信用すると言う…。
 私なんかよりずっと過酷な状況の中を生きてきたであろうに、どうしてそんな事ができるのか?
 何故私にはそれができない?

 クラトスは、自分の中に何かどす黒い感情がじわじわと湧いてくるのを感じていた。ユアンを見る目に剣呑さが宿ってくる。そしてそれと同時に、グランの懸命な忠告が頭から全て消え去ってしまったのである。
 と、その時だった。

「クラトス様!!」

 声を掛けてきたのは、研究所の兵士であった。
 兵士はクラトスの所までやって来ると、安堵の息をつきながら言った。
「よかった、ここにいらっしゃって。プロット様が仰った通りだった。」
「プロット?彼が私がここにいると言ったのか?」
「はい。ファルス様からクラトス様を呼んでくるよう申し付かったのですが、居場所が分からなくて途方に暮れていたんです。そうしたらプロット様がここにいるのではないかと仰って。」
「そうか…。」

 何故プロットが知っているのか?
 彼は私がここにいる事はおろか、旧ファルス邸で療養していた事も知らない筈だ。それなのに…。

 だがもうそんな事はどうでもよかった。
 ファルスが呼んでいる ―― それは全ての準備が整った事を意味していた。いよいよアマンダが復活するのだ。
 そう…何も悩む必要なんてなかったのだ。
 ブレイズが裏切っていようが、両親がどうあろうが関係ない。アマンダさえいればそれでいい。
 元々私にはアマンダしかいなかったのだから。

「村の入口に馬車を待たせてあります。色々お支度があるでしょうから、私は先に行っておりますので。」
「いや、支度など何もない。すぐに発てる。」
 ユアンをちらりと見て答えるクラトス。
「そうですか?では参りましょうか。」
 こうして歩き出した二人を見て、慌てたのはユアンである。
「おい待て。一体どうなっているんだ?私の頼みはどうなった。」
 その声に歩みを止め、振り返るクラトス。
「……お前はさっき、私を信じると言ったな。」
「ああ、言った。」
「ならば一つ、いい事を教えてやろう。私はな、マーテルがまた捕まったと聞いた時、心底喜んだんだよ。これでようやく長年の夢が叶うんだとね。」
「!!」
「……これがお前の頼みに対する私の答えだ。」
 クラトスは最後に立ち尽くしているユアンを冷たく睨み付けると、再び歩き出した。

 どうだ、ユアン。これでもまだお前は、私を信じるなんて戯言を言えるのか?
 これでいい。簡単に人を信じたあいつが馬鹿なのだ。
 なんだか胸のつかえがおりたようなすっきりとした気分だった。

 だがクラトスは気付いていなかったのだ。
 ユアンに対して突如として湧いてきた、どす黒い感情…それが嫉妬である事に。
 そのユアンを打ち負かす事ができたという満足感で一時的に気分が晴れたのだという事に。

 つまるところ、彼の本心はユアンのようになりたいと思っていたのだ。それを憎しみと履き違えてしまったが為に、彼は全てを崩壊させる道を選び取ってしまったのである。


−疑念 終−