心の中の真実


 ここは山頂にある山小屋。ミトスとユアンがテーブルを挟んで座っていた。マーテルは今、別室でクラトスの為に薬類のチェックとベッドの用意をしている。
 二人の間に会話はなく、聞こえるものと言ったら、暖炉にくべた薪がはじける音と外を吹き抜ける風の音だけであった。
 やがてこの沈黙に耐えられなくなったのか、ユアンがガタンと音を立てながら席を立つとカップを取り出しコーヒーを入れ始めた。
 その後姿をぼんやりと眺めながらミトスが、ポツリと呟く。
「…ユアンは今でもクラトスさんの事を疑っているの?」
 二つのカップを手に戻ってきたユアンは、その内一つをミトスの前に置くと、自らも一口飲みながら言った。
「人間は信用出来ん。」
「クラトスさんも?」
「……飲まんのか?山の上は冷える。体が温まるぞ。」
 促され、ようやくカップに口を付けたミトスを見て、ユアンは小さく溜息をつくと目を伏せる。
「…正直、あいつがお前を助けるとは意外だった。てっきり見捨てるものと思っていたからな。あのモンスターは完全に術を放った当人であるお前一人を狙っていた。自分だけ助かろうと思えば、やつだけ逃げる事も出来たんだ。それなのにあいつはそれをしなかった。」
 窓の外へ目を移すと、小さな声で話し続けるユアン。
「だが、だからと言って奴を信じるかと聞かれれば、答えはNOだ。奴が人間だからではないぞ。あいつは、心に中に何かを秘めている。それが何か分からぬ内はどうしても信用出来んのだ。」
 あくまでもクラトスを否定しているユアンであったが、そんな中にも何か戸惑いのようなものがあるのをミトスは感じていた。
 そう、ユアンは戸惑っているのだ。今まで出会った人間は、例え最初は親切にしてくれたとしても、自分達がハーフエルフだと分るや否や、掌を返すように冷たい態度を取り始める者ばかりだった。
 しかし、グランやクラトスは違った。グランは今でも出会った当初と変わらずに接してくれているし、クラトスもハーフエルフ嫌いを公言しながらも決して自分達を差別するような事はなかった。そのような人間がこの世界にいたという事が、ユアンにとっては天地がひっくり返るぐらいの出来事だったのである。
 ユアンはあの二人に好意を持ち始めているのだ。その証拠に喧嘩腰ではあるが、彼等とは言葉を交わしている。普段の彼なら人間とは口を利く事さえ拒んでいるはずだ。
 そんな心の変化に、ユアン当人がついて行けずに戸惑いを覚えてしまっているのだろう。
「でも僕はクラトスさんの事、好きだよ。」
 ミトスはカップで両手を温めながら言った。
「最初はなんて嫌な人なんだろうって思った。嫌みたらしくて尊大で…。でも、一緒にいる内に、それはただ不器用なだけなんだって分かって来た。あの人は本当は誰よりも繊細で、心の優しい人なんだよ。」
「お前は元々、みんなで仲良くという博愛主義の優等生だからな。凡人の私には、そこまで人を信じる事なんて出来んのだよ。」
「僕は優等生なんかじゃない!」
 ミトスのあまりに強い語調に、振り返ると驚いたようにミトスを見詰めるユアン。
「…僕は優等生なんかじゃないんだ。口では立派な理想を掲げているけれど、心の底から人間を信じているわけじゃない。迫害されても笑顔を浮かべていられるのだって、そうでもしなくちゃ自分がどうかなってしまいそうで怖くて仕方がないからなんだ。いつか僕は怒りのあまり暴走してしまうかもしれない。そうなったらきっと姉様もユアンも僕から離れて行ってしまう。一人ぼっちは嫌だから、そうならない為に、僕は優等生を演じ続けるしかないんだよ!」
「……」
「クラトスさんの事だってそうさ。僕があの人が好きなのは本当だよ。でも、あの人はいつも素っ気なくて、僕の事を避けているみたいで…。それがあの人の性格なんだって頭では分かっていても、心の中ではちっとも理解なんて出来ていなかった。僕はあの人に認めてもらいたかった。僕の方を見て欲しかったんだ。だからあの時も、あの人にいいところを見せようと、特大の呪文を準備した。結果、その事ばかりに気を取られて、僕はモンスターがバリアーを張った事に全く気付く事が出来なかったんだ。僕がちゃんと注意さえしていればクラトスさんが犠牲になる事はなかった。クラトスさんがああなったのは僕の所為なんだ。僕がクラトスさんを…!!」
「それは違う!」
 ユアンはミトスに近付くとその震えている体を優しく抱きしめてやる。
「それは違うぞ、ミトス。お前の所為ではない。モンスターの動きに気付かなかったのは皆も同じだ。これは私達全員の油断が招いてしまった事なのだ。お前一人が責任を感じる事はない。それにだ。例えお前が優等生でなくても、マーテルも私もお前を見捨てたりはしないぞ。お前は大切な仲間なんだ。当たり前だろう。」
「仲間…」
「そうとも。だから自分を飾る必要なんてないんだ。在るがままのお前でいればいい。それは、あのグラン殿やクラトス達だって同じ思いの筈だ。」
「…クラトスさん、生きているよね。」
「あの崖が麓まで続いているものだったら恐らく生きてはいないだろう。だが幸いあの下には棚があった。それでも高さがある事には違いないが、うまくいけば命までは落とさずに済むかもしれない。今はあいつの強運を信じるしかないだろう。」
「……うん。」
「大体、あいつがそう簡単に死ぬわけがないだろう。あいつは例え殺されたって直ぐに生き返っちまうような、しぶとい野郎なんだから。」
 ユアンの言葉に、ようやく弱々しい笑みを浮かべるミトス。
「そうだよね。きっと無事だよね。僕、クラトスさんに謝りたいんだ。だから…」
「私だってそうだ。あいつには、まだまだ文句を言い足りんからな。大丈夫。きっとまたあの無愛想な顔で戻ってくるさ。」
 だがそんな言葉とは裏腹に、二人は窓の外へ心配げな視線を向けたのだった。




 クラトスが意識を取り戻した時、彼はどこかに仰向けに寝かされていた。頭の中は霧がかかったようにぼんやりとしており、夢の中にいるかのようであった。
 すぐ傍に人の気配を感じる。だが、それが誰なのかを確認しようとしても、まるで重しでも乗っているかのように瞼が重く目を開く事が出来ない。また全身の感覚もなく手足を動かす事も出来なかった。
 そこでクラトスは相手が危害を加える様子がなかった事もあり、しばらくの間、そのまま横たわっている事にしたのだった。
 その内に次第に意識もはっきりとしてくる。同時に感覚が蘇ってきたのか、激しい痛みが全身を襲ってきて、クラトスは思わず呻き声をあげた。
 するとそんなクラトスの様子に気付いたのか、その者が声をかけて来たのだった。
「意識が戻ったか。」
 低い男の声。ブレイズではない。だが、その声には聞き覚えがあった。
 クラトスは重い瞼をこじ開けるようにして開くと、そちらへと目をやった。
「あなたは…」
 驚きの表情を浮かべるクラトス。
 それは、以前何度となく自分の前に現れ共に行こうと誘いをかけて来た、あの鳶色の髪の男だったのである。
「…あなたが私を?」
「そうだ。落ちてくるお前を受け止め、ここへ運んだ。」
「モンスターは…」
「見事に急所を貫かれ、すでに絶命していたよ。さすがだな。」
 起き上がろうとするクラトスを、手をあげ制する男。
「まだ動かない方がいい…と言うより、動くのは無理だろう。死なない程度に軽く回復魔法をかけただけだからな。悪く思うなよ。完全に回復してしまっては、またお前は私から逃げてしまうだろう?」
「……」
「無償で助けたのではなかった事がショックだったか?だが、人は自分にとって利益となる事でしか動かぬものだ。善意の裏には常に計算がある。無償の愛なんてものはこの世には存在しないのだよ。」
「…あなたの望みは何だ。」
「聞かずとも分かっているだろう?私の望みは一つだけ。お前を連れて故郷へ帰る。それだけだ。」
「その事なら前に断った筈だ。私はあなたと共に行く事は出来ない。」
「何故そんなにもこの地にこだわるのだ。アマンダの為か?それともあのハーフエルフ達に感化されたからか?」
「え?」
「おや、気付いていないのか。いや、気付いていながら目を背けているだけか。」
「何を言っているのか分からない。」
 男は堪え切れなくなったかのように笑い出した。
「なるほど…道理で…。折角私があのモンスターを操り、お前の悩みの種を排除してやろうとしたのにうまくいかない筈だ。」
「!?…モンスターを操った?」
 目を見開くクラトス。
「まさかあのモンスターは…」
「そうだ。私がお前達の元へ送り込んだのだ。」
「!!!」
 クラトスの脳裏に、あの時ブレイズが言った言葉が蘇ってきた。

 “攻撃魔法を反射させるバリアーを張る魔法だよ。だが、この世界にそんなもの存在していたっけな?”

 この世界にはない魔法を使うモンスター。それをこの男が送り込んだと言う。
 ならばこの男は別世界の……?
 まさか…そんな事が…。

「驚かせてしまったようだな。そうだ。お前が考えているように、私はこの世界の人間ではない。」
「な、何故そんな人が私を欲するのだ。」
「お前が必要だからだ。」
「…必要?」
「だからといって勘違いはしないで貰いたい。私はお前に害を加えるつもりはない。ただ私の傍にいて私を支えて欲しいと思っているだけなのだ。」

 この男は一体、何を言っているんだ?
 分からない…何を言っているのか分からない!

 あまりの事に、クラトスは混乱してしまっていた。体が痛むのも構わず、男に背を向けると、両耳を塞ぎ震え出す。
 男はそんなクラトスの傍に膝をつくと優しい声音で話しを続けた。
「私はお前を愛している。だからこそ苦しんでいるお前を救いたいと思った。あのハーフエルフ達が現れた所為で、お前は彼等とアマンダとの間で板挟みになってしまっている。違うか?」
「板挟み?」
 顔を上げ不思議そうに男を見るクラトス。
「その様子では本当に自分の気持ちに気付いていないようだな。ならば私が教えてあげよう。お前は彼等と行動を共にしている内に、だんだんと彼等に対して好意を抱き始めたのだ。」
「好意?……馬鹿な!!私はハーフエルフを憎んでいるのだ。その私が彼等に好意を持つわけがないじゃないか!」
「いいや、お前は彼等に心を動かされている。その証拠に、お前は少年の危機を前に思わずその身を投げ出してしまったではないか。」
「あれはただ、あの場で死なれたら研究所に連れて行けなくなると思っただけだ。」
「違うな。研究所が欲しているハーフエルフは彼等の中の一人だけだ。あの少年一人死んだところでなんのデメリットもない筈だ。」
「!!」
「フ…何も驚く事はない。私はお前の事ならなんでも知っている。お前が研究所から受けた指令は一人のハーフエルフを連れてくる事。あとの二人はおまけにすぎない。まあ、研究所にしてみれば研究材料が多いに越した事はないだろうが、それでもお前が命がけで守らねばならないほどのものではないだろう?にも拘わらずお前はあの少年を助けた。お前はあの少年に死んで欲しくなかったのだよ。」
「違う!そんな筈はない!…私は…私は…」
「今、お前はどちらを選ぶ事も出来なくなっている。彼等とアマンダとの板挟みで苦しみもがいているのだ。」
「違う!違う!違う!」
 激しく頭を振りながら叫ぶクラトス。
「動揺するのは真実を言い当てられたからだ。真実と向き合うのが怖いから必死になって否定する。だがいくら目を背けようと、真実は常にそこにあるのだよ。いつまでも誤魔化しきれるものではない。」
「止めてくれ…もう、それ以上言わないでくれ…」
「苦しいだろう。辛いだろう。だからこそ私はあのハーフエルフ達を排除しようとしたのだ。彼等さえいなくなればお前が楽になれると思った。その試みは失敗してしまったが、その代り、お前を彼等から引き離す事は出来た。今、お前の傍に彼等はいない。お前は自由なのだ。」
「自由……」
「とはいえ、これは、かりそめの自由。彼等の元に戻れば、お前は再び苦しまねばならなくなる。だが、私と共に行けばそんな事はない。苦しみのない本当の自由を手に入れる事が出来るのだ。」
 そう言って、クラトスの前に手を差し出す男。
「もう、いいじゃないか。お前はもう十分に苦しみ、アマンダへの償いもして来た筈だ。これ以上苦しむ必要がどこにある?もういい加減、解放されてもいい頃だ。そうだろう?さあ、共に行こう、クラトス。」
 男の口にした『解放』という言葉が甘く心地よい響きとなって心の中に沁み入って来る。
 余りにも多くの事が立て続けに起きたが為にクラトスはパニック状態に陥っていた。もう彼には男の甘い誘いを撥ね退けるだけの力がなくなってしまっていたのである。

 オリジンは運命からは逃げられないと言った。確かにここにいる限りはそうかもしれない。
 だが、ここでなかったら?
 今の自分を捨て去り、自分の事など誰も知らない遠い地へ行く事が出来れば、あるいはそこで第二の人生が歩めるかもしれないではないか。
 この手を握れば、その瞬間私は自由になれる。こんな私でも幸せになる事が出来るのだ。

 差し出された男の手をじっと見詰めるクラトス。
 その手は今のクラトスの目には、自分を自由へと解き放ってくれる扉の如く映っていた。

 自由…かりそめではない、本当の…。

 クラトスは吸い寄せられるように手を伸ばすと、男の手を握り返した。
 と、その時だった。

「駄目だ、クラトス!騙されるんじゃない!!」

 突然聞こえて来た声に、反射的に手を引こうとしたクラトスであったが、男はその手を離そうとしなかった。声の方へと目をやると、そこにはブレイズが立っておりこちらを睨み付けていた。
「クラトスを離せ!」
「嫌だと言ったら?」
 剣に手をやるブレイズ。だが、それより一瞬早く男が魔力を放った。それはブレイズを狙ったものではなく、握られた手を通してクラトスの中へと流れ込んだのだった。
「うわああああ!」
 クラトスは悲鳴を上げながら体を大きく仰け反らせると、そのままぐったりとして動かなくなる。
「クラトス!?……てめえっ!クラトスに何をした。」
「心配するな。私とて、こいつに死なれては本も子もない。ちょっと気を失わせただけだ。お前の相手をするのに下手な動きをされては困るのでね。」
 ニヤニヤと笑いながら立ち上がる男。
「おや?もう一人、物好きが殺されに来たようだが、お仲間かね?」
 男の動きを警戒しながら背後に目をやったブレイズは、駆け付けて来たグランの姿を認めた。グランは立ち止まり、この場の光景に驚愕の表情を浮かべている。

 (チッ…あのおっさんも随分と間が悪い時に登場したもんだ。)

「あの人は関係ない。お前の相手はこの俺の筈だ。そうだろ。」
「フ…庇うのか?まあ仮にあの男がお前と無関係だったとしてもだ。この場を見られたからには生かして帰すわけにはいかんのだよ。運が悪かったのだと諦めるのだな。」
 グランに向かって男の手から魔力が放たれる。
 だが、さすが歴戦の戦士だけある。グランは難なく避けてみせた。
 目を細める男。
「ほう。ただの人間にしてはいい動きをする。では、こいつはどうかな?」
 男は、今度は二人に向かって魔力を放った。それは放たれた直後に幾筋にも分かれ、二人の頭上に雨のように降り注いで行く。だがそれも、二人はことごとくかわしてみせたのだった。
「フ…なかなかやるな。いつまで避け続けられるか見てみたい気もするが、それではちと物足りない気がするな。では、こうしてみようか。」
 男はニヤリとすると、空いている左手を足元に横たわっているクラトスへと向けた。
「!!…何をする気だ!」
「見れば分かるだろう。この左手からはいつでも魔力を放てるようになっている。そうさせたくなければ動かぬ事だ。お前達が動かなければこの手から魔力が放たれる事もない。」
「…お前にクラトスは殺せない筈だ。お前自身、さっき本も子もなくなると言っていたじゃねえか。」
「そうだよ。だが死なぬ程度に痛めつける事は出来る。もっとも今でもすでに弱っている体だ。いつまでもつか分からんが、お前達さえ動かなければその心配も必要ないだろう。」
 右手を再び二人に向ける男。
「もちろん避けてくれても構わんよ。他人を犠牲にしても生き延びたいと思うのは人として当然の心理だ。結果、クラトスが死んでしまったとしてもそれは仕方がない事なのかもしれん。ちょっと勿体ない気はするが、潔く諦めるさ。」
 そう言いながらも、男は二人がクラトスを見捨てる事など出来ないと踏んでいるのだった。
 悔しそうに唇を噛み、男を睨み付けるブレイズとグラン。
「フ…。覚悟を決めたようだな。それでは遠慮なく行かせてもらおうか。さて、どちらから始めようかな?お前か。それともあっちにするか。」
 男は舌舐めずりをしながら、構えた手を二人の間に行き来させた。
「よし、お前に決めた。」
 男が最初の獲物をブレイズに定め、彼へと手を向けたその時だった。
 突然、一天にわかにかき曇ったかと思うが否や、空に一筋の雷光が走り、それが男の体を貫いたのである。
「ぐわあああああっ!」
 悲鳴を上げよろめく男。
 不思議な事に雷光は男のみを狙っており、そのすぐ傍に横たわっているクラトスを傷つけた様子はない。
「くっ……あの精霊の仕業か?」
 傷口を押さえ憎々しげに上空を睨み付けた男をめがけて再び雷光が突き刺さって来る。それは間一髪で飛び退り避けたものの、その後も立て続けに何発もの雷光が降り注いできて、その度に男は後退を余儀なくされた。次第に男はクラトスから離れて行く。
「精霊だって?」
 男の叫びを耳にしたブレイズは呟いた。
 確かに姿は見えないものの、直ぐ近くにとてつもなく大きな力を感じる。
 以前クラトスが、幼い頃ある人物にマナの木を見せられたと話してくれた事があった。そして今回、彼の運命を予言したという人物の存在。それらが同一人物で、この地に住まう精霊だったのだとしたら…。
 全て合点が行く。あのクラトスの事をずっと見守っていた精霊がいたとしても、何もおかしい事はないのだ。むしろいない方がおかしいのかもしれない。

 (俺だけがあいつを守っているんじゃない。あいつは精霊に…いや、この大地に息づく全てのマナに守られているんだ。)

 兎に角、今はこの好機を逃す手はない。
 ブレイズは剣を抜くと叫んだ。
「グランさん。あんたはクラトスを頼む。」
「承知した。」
 同時に走り出す二人。グランはクラトスに駆け寄り、ブレイズは一足飛びに男へと近付き攻撃をしかける。
 男はこの不意打ちに一瞬怯んだものの、さすがと言おうか、直ぐに落ち着きを取り戻すと剣を抜いて自らも攻撃を開始したのだった。

「これは!」
 少し離れた場所でクラトスを守りながら二人の戦いを見ていたグランは、思わず驚きの声を上げてしまう。長い間剣士として数多くの戦いを見て来たグランであったが、これ程のものを目にするのは初めてであった。
 剣を交えている二人の周りには凄まじい程の強風が吹き荒れており、まるであの一角だけが切り離された別世界のようである。
 まさに力と力のぶつかり合い…あの嵐は二人によって引き起こされているのだ。その事からも、あの二人が持つ力の大きさが如何に強大なものであるのかを容易に想像する事が出来る。
 そんな激しい戦いを目にしながら、グランの頭に一つの疑問がよぎった。
 あの男がかなりの戦士である事は一目で見て取れた。いや、かなりどころではない。あの男の放つ術を実際受けたからこそ分かるのだが、あの力は人の域を完全に超えている。我々人間がどう足掻いてみたところで、到底太刀打ちできる相手ではない筈なのだ。
 そんな男と、ブレイズは互角に戦っている。

 何故そんな事が出来る?
 あいつは一体何者なのだ?

 だが、この際そんな事は関係がないのかもしれない。彼はクラトスを守ろうとしている。少なくともクラトスにとっては味方なのだ。

 今は彼に賭けるしかない。
 どうか勝ってくれ。クラトスの為にも…。

 ブレイズの助太刀をしたいのは山々だが、あの戦いにおいては自分が出て行った所で却って彼の足を引っ張ってしまうだろう。
 何も出来ない自分に歯痒さを感じながら、祈るような思いで二人の戦いを見詰めるグラン。
 だが、戦況は徐々にブレイズ不利へと傾き始めていた。
 戦闘が長引くにつれ、さすがのブレイズも疲れが出て来たのかだんだんと動きが鈍くなってきている。しかし対する男の方は、疲れるどころか逆にますます力が強くなってきているのだ。
「あいつは化け物か!」
 このままではブレイズが危ないと思ったグランが、無理を承知で彼の援護に行こうとしたその時だった。
 そんなグランの横を赤い光が通り過ぎて行ったのである。それは戦っている二人の方へ真っ直ぐに飛んで行き、ブレイズに向かって今まさに剣を振りおろそうとしていた男を直撃したのであった。
「あれは、ファイアボール!?」
 この場であの二人以外に術が使える者は一人しかいない。
 グランがハッとして振り返ると、果たしてそこには上半身を起こし男を見詰めているクラトスの姿があった。
 男の方でもそれに気付いたようで、怒りの表情でこちらへと向かってくる。ブレイズが後を追っているが追い付けそうもないと見て取ったグランは、力では敵わないまでもせめて盾になるべく、クラトスを庇うように立つと剣を構えた。
 だが、クラトスはすでに二発目の術を唱えていた。
「サンダーブレード!」
 それは僅かに逸れたものの、男の足を止めるに十分なものだった。そこへすかさずブレイズが飛び込んできて斬り付ける。
「ぐっ!」
 男は飛び退ってブレイズとの間に距離を取ると、斬られた肩を押さえながらクラトスを見た。
「何故だ。こいつらの元に戻れば、またお前は苦しむ事になるのだぞ。それなのに何故?」
 目を伏せるクラトス。
「分からない…ただ、ブレイズがやられるのを黙って見ているわけにはいかなかった。」
「なるほどな。お前は私よりこの男の方を選んだという事か。だがそのお陰でこの先お前は再び地獄を味わう事になる。その時になって初めて、私が言った言葉の重みが分かるだろうよ。こちらからすれば、むしろその方が好都合なのかもしれん。そうなればお前の気持ちも変わっているだろうからな。その時を楽しみに次の機会を待つ事にするよ。また会おう、クラトス。」
 男は最後に不気味な笑みを浮かべると姿を消した。
「き…消えた?」
 目を丸くするグラン。
「一体なんなのだ、あの男は。」
「蠅だよ、蠅。煩く付き纏う蠅野郎さ。」
 ブレイズは素っ気なく答えながらクラトスの傍に行くと、その顔を覗きこんだ。
「まったくお前は、後から後から俺に心配ばかりかけやがる。すぐにでも説教してやりてえところだが、まず怪我の治療をしないとな。俺の回復魔法はそれほど強力ではないが、それでも今よりは楽になるだろう。」
 ブレイズが手をあてがうと、クラトスの体は光に包まれた。
「…気持ちいいな。」
 目を閉じるクラトス。
「バーカ。当たり前だろうが。回復魔法をかけているんだぜ。気分が悪くなってどうする……って、おい、クラトス?」
 思わずグランの方を見やるブレイズ。
「何だ、どうしたんだ?」
「寝ちまった。」
「は?」
「寝ちまったんだよ。ったく、冗談じゃねえぜ。ガキじゃあるまいし、気持ちいいからって寝ちまう奴がいるか?」
 グランは笑い出した。
「まあいいじゃないか。あんな事があったんだ。仕方あるまい?だがクラトス君は、本当に君の事を信頼しているのだな。安心しきった寝顔だ。」
 その言葉に、ブレイズはただ肩を竦めてみせただけだった。
「さあて、それじゃあこの大きな赤ちゃんを小屋まで運ぶとしますか。」
 クラトスを抱き起こして背負おうとするブレイズ。
 すると、そんなブレイズにグランが声をかけてきたのだった。
「私が…」
「ん?」
「私に背負わせてくれないか。」
「…別にいいけど、重いぜ。」
「大丈夫だ。若い頃から戦場を駆け回ってきた。負傷した兵士を担いだ事も一度や二度ではない。」
「ふ〜ん…。それじゃ、お願いするかね。正直、こいつのお守にもうんざりしていたところなんだ。」
 ニヤリと笑って、グランが背負うのに手を貸すブレイズ。
 こうして二人は、クラトスを背負ったグランを先頭に小屋に向かって歩き出したのだった。
「あんた、子供はいるのかい?」
「いたよ。昔の話だがね。その子が生まれた時、私は戦場にいた。届いた知らせに小躍りして喜び、早く会いたいと思ったものだった。結局その顔を見る事はなかったが。」
「それは死んだって事か?」
「……」
「すまない。変な事を聞いちまったみたいだな。」
「別に構わんよ。だが、どうしてそんな事を聞く?」
「理由なんてないけどさ。ただ、こうして見ているとまるで親子みたいだなって思ったもんだから。」
「親子?私とクラトス君がかい?そりゃあ、いい!」
 笑い出すグラン。
「本当だぜ。本当にそう見えたんだ。」
「そうか…ならば、嬉しいな。自分の子供をこうして負んぶするのは私の夢でもあったから。クラトス君ではちょっと大きすぎるがね。」
 そう言って笑いながら、クラトスを起こさぬように揺すり上げるグラン。
「…そうだな。嬉しい事だ…こんなに嬉しい事はない…」
 後に言われた言葉は殆ど呟きに近いものであったが、それは何とも言えない切ない響きを持ってブレイズの耳に、はっきりと届いてきたのであった。




 小屋に着いてすぐに、クラトスはマーテルから回復魔法を受けた。そのままベッドへと運ばれたのだが、その間ずっと眠ったままで、ミトスなど彼が死んでしまったのではないかと心配になり大騒ぎしてしまったほどだった。
 結局クラトスが目を覚ましたのは夜になっての事だった。目を開けると傍らにはブレイズがおり、クラトスの顔を覗きこんでいた。
「…ブレイズ。ずっとそこに?」
「ああ、お前の寝顔を眺めていた。寝顔だけはガキの頃のまんまだな。」
 クラトスは顔を赤らめると、目を逸らした。
「さっきまであいつらもいたんだ。」
「あいつら?」
「ミトス達だよ。すげえ心配していたんだぜ。お前が目覚めるまでここにいるなんて言い出して。お前の寝息が落ち着いているのを見て安心したのか、ようやく自分の部屋に引き取って行ったんだ。」
「……」
「逃げたかったのか?」
「え?」
「お前は、あいつらを騙し続ける事やあいつらを死なせる為の旅を続ける事に耐えられなくなった。それであいつらから逃げ出したくて、だから、あの男の手を取ってしまったのだろう?」
「…あの男も同じような事を言っていた。」
「同じ事?」
 頷き目を伏せるクラトス。
「私が彼等に引かれ始めており、その為にアマンダと彼等のどちらか一方を選択できなくなっているのだと…。」
「……」
「言われた時は、何を馬鹿な事をと思った。だが、落ち着いて考えてみると確かにそうなのかもしれない。だから憎もうとしても憎めなかった。あの純粋さを目の当たりにして、私は、このまま彼等を騙し続けて行く事に苦痛を覚えてしまっていたんだ。」
「…それで?」
「え?」
 自分を見上げて来たクラトスを静かに見詰め返すブレイズ。
「それでお前はどうするつもりなんだ?彼等を連れて行くのを止めるのか?」
 一瞬息を飲むクラトス。
 だが、すぐに激しく頭を振ると叫ぶように否定した。
「そんな事、出来るわけがないだろう!」
「何故?どうして出来るわけがないんだ?」
「何故?…決まってるじゃないか。もしあの三人を逃がしてしまったらアマンダを助ける事が出来なくなってしまうんだ!だから私はっ!!」
「だから自分に嘘をついてでも彼等を研究所に連れて行くと?」
「そうだとも!だって、そうする以外方法がないじゃないか。アマンダの為にそうするしかないんだ!!」
 毛布を握りしめ苦しげに叫び続けるクラトスを、ブレイズは暫しの間黙って見詰めていたが、やがてはっきりとした声でこう言ったのだった。
「お前は間違っている。」
「…なん…だって?」
 信じられないといった表情でブレイズを見るクラトス。
 ブレイズは繰り返した。
「お前は間違っている。」
 目を見開くクラトス。

 これは先日クラトスが漏らした言葉への、ブレイズの答えだった。

 “私は、間違っているのだろうか。”

 あの時は答える事が出来なかった。
 だが、今なら出来る。
 いや、今だからこそ答えてやらなければならないのだ。
 お前にはきつい言葉に聞こえるかもしれない。だが、誰かが言ってやらなければ、お前はいつまでも迷いを振り切る事が出来ないだろう。

「今、お前はアマンダの為だと言ったな?これまでもお前はそうやってファルスに言われるままにその手を血で汚してきた。全てはアマンダの為。その石を着けた時もそうだ。アマンダの為に強くなりたかったのだとお前は言った。何をするにもアマンダの為、アマンダの為、アマンダの為……。」
「それのどこがいけないと言うのだ。私の所為でアマンダはあんな姿になってしまった。私は彼女に償わなくてはならない。だから私は…」
「違うな。お前がやっている事は償いなんかじゃねえ。自分がしてきた非道な行為の責任を彼女に押し付けているだけだ。結局お前は、アマンダの為だと思い込む事で罪の意識から逃れようとしているんだ。彼女の事を逃げ場として利用しているだけなんだよ。」
 ブレイズのストレートな言葉はそのままクラトスの胸に突き刺さってきた。
 愕然とするクラトス。
 だが、それでもクラトスは認めようとしなかった。いや、認めたくなかったのかもしれない。
「…そんな事はない…だって、私のしている事はアマンダの復活に必要な事なんだ。アマンダだって肉体が欲しいと思っているのに決まっているじゃないか。そしてそれは、幼い頃からずっと抱いて来た私自身の悲願でもあるんだ。その為にこの手を汚す事に、何故罪の意識など感じる必要がある?傷つく事だって平気だ。」
 俯きながらも尚も反論してきたクラトスに、ついにブレイズは怒鳴り声をあげたのだった。
「それが逆に彼女を苦しめてしまっている事が、まだ分からないのか!!」
 初めて聞くブレイズの怒号に、クラトスはびくんと体を震わすと驚きの表情を浮かべた。
「いいか、クラトス。彼女は体を得たいだなんて望んじゃいないんだ。彼女が望んでいる事は唯一つ。お前が幸せになる事だけなんだよ。だから、今のようにお前が傷つき苦しみながら彼女に第二の肉体を与えたとて、彼女を救った事にはならない。本当に彼女を救いたいのなら、お前が誰にも指図される事無く、自分自身の意志を持って歩き出す事だ。」
「自分の意志…」
「お前があのハーフエルフ達を本当に研究所へ連れて行きたいと思っているのなら、俺には何も言う事はない。だが、少しでも迷いがあるのなら、もう一度よく考えてみる事だ。それが本当にお前の意志なのかをな。」
 ブレイズは、俯き考え込んでしまったクラトスをただ黙って見詰めていた。
 部屋は静まり返り、コツコツと時計が時を刻む音だけが聞こえてくる。
 そんな中を、ブレイズはクラトスが自分自身で答えを出すのをただただじっと待ち続けた。
 長い沈黙の後、やがてゆっくりと顔を上げたクラトスは、真っ直ぐにブレイズを見詰め返してきた。その目からは以前見られたような迷いは全く見られない。
「決めたよ…明日、彼等に全てを話す。そしてここで別れる事にする。」
「そうか。」
「ブレイズ…これはアマンダを裏切った事にはならないんだよな?」
「お前が本当にそうしたいと思っているのならな。」
 ブレイズは微笑みを浮かべそう言うと、
「そうだ。忘れるところだった。お前に渡すもんがあったんだよ。」
「渡したい物?」
 ブレイズはポケットから大事そうに何かを取り出すと、それを放ってよこした。
 なんの気なしに受け取ったクラトスであったが、手にしたそれを見た途端に顔を強張らせたのだった。
 なんとそれは先日クラトスが湖に捨てた筈の、あの七色に輝く石だったのである。
「ブレイズ、これは!?」
「大事なもんなんだろ。捨てたりしたら駄目じゃないか。」
「拾ってきたのか?…こんなもの、もういらなかったのに…」
 クラトスにとってこの宝玉は、あの精霊王が言った運命というもののまさに象徴なのであった。

 自分にこれを残して姿を消した母。
 叔母夫婦に引き取られ、両親がいない事に寂しさを覚えながらも、それなりに幸せだった日々。
 そして全てを変えてしまったあの事件…。

 そんな激しい時の流れの中で、この石は常にクラトスと共にあった。この石はクラトスの全てを知っている。そしてこの先の事も全て見通しているかのように輝いているこの石が、クラトスには疎ましく思えて仕方がなかったのである。
 だからクラトスはこの宝玉を投げ捨てたのであった。

 自分を運命へと縛り付ける枷であるこの石から解き放たれる為に。
 いや、それよりなによりも、見る度に母を感じてしまうこの石を目の前から消し去りたかったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、手の中の宝玉を、思わず憎しみの目で見詰めてしまうクラトス。
 すると、そんなクラトスをじっと見ていたブレイズがこう言ったのだった。
「なあ、クラトス。お前はそんなに自分の運命が嫌いか?」
「え?」
「気持ちは分からないでもない。お前は小さい頃からずっと辛い思いをしてきた。それが運命だなんて言われりゃ、否定したくもなるよな。だがな、そういう辛い事も運命なら、お前がアマンダさんやマルクスのおっさん、そして俺に出会った事も運命なんだぜ。それともお前は俺達とも出会いたくはなかったか?」
 慌てたように頭を振るクラトス。
 ブレイズは笑みを浮かべた。
「だろ?俺もそうだ。俺はお前と出会えた事が最高の幸せだと思っている。だとしたらだ。運命ってやつも満更でもないって思わないか?……なあんて事を、俺も昔、お前のお袋さんに言われた事があるわけよ。」
 目を見開くクラトス。
「お前のお袋さんもまた、自分の運命に翻弄された一人なんだ。お袋さんは、捨てたくてお前を捨てたんじゃない。彼女には果たさなければならない使命があった。その為にお前を置いて行かざるを得なかったんだよ。」
「……使命…?」
「だからお袋さんは、傍にいてやる事が出来ない自分の代わりにせめてお前を守ってくれるようにとの願いを込めて、その宝玉を置いていったんだ。お袋さんはお前を心から愛している。今は分からなくても仕方がないかもしれない。だが、いつかきっと分かる日が来る。その日まで大切に持っているんだ。それはお前とお袋さんを繋ぐ唯一のものなんだから。」
 クラトスは手の中の石をぎゅっと握りしめた。
「お前のお袋さんは、立派な人だ。意志が強くて真っ直ぐで、優しい心を持っている。ちょっと頑固な所が玉にきずだけどな。」
 くすっと笑うブレイズ。
「…お前はあの人にそっくりだよ。」
 それを聞いた途端、クラトスの目から涙が溢れ出す。何故涙が出るのか分からない。だが、いくら抑えようとしても後から後から溢れて出て来て止まらないのだ。
 そのまま声を抑えて泣き続けるクラトスを、ブレイズは優しい微笑みを浮かべながらずっと見守っていた。

 そんな二人の様子を窓から窺い見る影が一つ。
 その影は小さな溜息を一つ付くと、そっと窓を離れ、夜の闇の中へと消えて行ったのだった。


−心の中の真実 終−