囚われし者達


 ファルス研究所…。
 設立当初は全くの個人経営による小さな研究室であったここも、軍事に参入する事により大きく飛躍を遂げ、今や国家直属の機関と呼べるほどの大規模な研究施設までになっていた。
 中はいくつもの部門に分かれており、研究員達にはそれぞれに個室を与えられている。そこで彼等は自分のテーマによる研究に明け暮れる日々を送っている。
 毎日顔を会わせているにも拘わらず、研究員達の間に私的な交流は全くない。彼等の頭にあるのは『研究』の二文字だけで、例え同僚とすれ違っても日常会話はおろか挨拶さえも交わされる事はなく、ましてやそこで談笑する者など皆無であった。皆、黙々と己に与えられた仕事のみをこなしているその様はまるでロボットのようだ。
 もちろんこれだけ人が集まれば出世への欲望を抱く者も現れる。しかしながらここの場合それはほんの一握りの者だけに限られており、大抵は自分の好きな研究さえ出来れば満足という者ばかりで、争いと言えるほどの大きな揉め事は起こらなかった。
 ここでは他人の身に何が起ころうが我関せず。他人は他人、自分は自分。そんなルールが暗黙のうち自然に出来上がっていたのである。
 そのような特異な場所ではあったが、クラトスはここが嫌いではなかった。ここにいると気持ちが安らぐ。なにより煩わしい人間関係が存在しないのがいい。ここのそんな無機的な規則正しく静かに過ぎて行く時の流れは彼の性に合っているのかもしれなかった。
 もちろんそれは、裏で行われている非人道的な実験の事は除いてでの話であるが…。

 「クラトス様…」
 クラトスが自室の窓辺に立ち、ぼんやりとそんな研究所の様子を眺めていると、遠慮がちなノックの音が聞こえクリスが入って来た。
「クリスか。」
 返事はしたものの、クラトスの視線は依然窓の外へと向けられたままだ。
「何の用だ。」
「プロット様より、引き続きクラトス様のお世話を言いつかりました。お疲れでしょう。コーヒーをお持ちしましたのでどうぞ。」
「フ…お世話か。軟禁状態にある私の世話をする羽目になるとはお前も気の毒な事だ。世話というより監視と言った方がよいのではないか?」
「クラトス様!…私は別に…」
「…すまない。言い過ぎた。」
 ゆっくりと振り返るクラトス。
「自分ではそんなつもりはなかったのだが、少々苛々していたようだ。お前の言うように疲れているのかもしれんな。…折角持って来てくれたのだ。冷めない内に有難く頂くとしよう。」
 そしてソファーに腰を下ろすとコーヒーに口をつけた。
「…他に何かなさりたい事はありませんか?」
「行きたい場所ならあるのだが、ここから出るのは無理なのだろうな。」
 済まなそうに目を伏せたクリスを見てクラトスは笑った。
「そんなに気にする必要はない。無理を承知で言った事なのだから。」
「…あの…どちらへ行きたかったのですか?」
「以前住んでいた屋敷に花壇があるのだ。アマンダが大切にしていた花壇だったから、こちらへ来てからも時々様子を見に行っていたのだが、ここしばらく留守にしていたものだからちょっと心配になってな。」
「それでしたらハンナさんが世話をしていたようですから多分大丈夫だと…」
「そうか、ハンナが…。それなら安心だな。」
 クラトスの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。それを見ただけでも彼がその花壇をどれだけ大切にしているかが窺える。
 そんなクラトスの様子を目にし、クリスは予てより抱いていた疑問をぶつけてみたい衝動に駆られた。しかしそれは触れてはならない事のように思え、必死に抑えようと努力はしたのだが、一度湧き上がって来てしまった好奇心はどうしても抑える事は出来ず、しばし迷った後に思い切ってそれを口にしてみたのだった。
「あの…クラトス様。その…アマンダ様なのですが…」
 不思議そうな目を向けてくるクラトス。
「アマンダがどうした?」
「いえ、その…私はお姿を拝見した事がなく、それでも御病気だと伺っておりましたので今までは別段不思議には思わなかったのですが…」
 すると途端にクラトスの表情が打って変って硬くなり、それを見たクリスはハッとして言葉を呑んだ。
「どうした?今までは思わなかったが今では不思議に思っているとでも?」
「え…いえ…ただこうまで人前に姿を現さないのはちょっと変だなと……それにあのハーフエルフ達の事にしたって、クラトス様があれ程悩まれたのは初めての事でしたし、なんだかそれにもアマンダ様が関係しているように思えました…だから…」
「忘れろ。」
「え?」
「今回の旅でお前が見聞きした事は全て忘れるんだ。アマンダについてもこれ以上知る必要はない。」
「どうしてですか!?」
 思わず叫んでしまったもののすぐに目を伏せるクリス。
「そうですね…。クラトス様が私の事を信じられないのは当たり前だ。でも今の私は決してスパイとしてここにいるわけではありません。私はただあなたの手助けがしたかっただけで、あなたの傍にいればそれも可能だと考えたからお世話する役目を受けたのです。プロット様の思惑は別にあったのかもしれませんが、少なくとも私自身はあなたの行動を監視して彼に報告する気など全くありません。それだけはどうか信じて欲しいのです。」
「……お前は誤解をしている。私はお前の事を疑ったりなどしていない。」
「だったら何故話して下さらないのです!?」
「…話さないのはお前の為にもその方がいいと思ったからなのだ。これ以上深入りすれば、お前はこの研究所から抜け出せなくなってしまうだろう。」
「……」
「今の件が落ち着いたら、お前はここを辞めた方がいい。今のお前なら研究所を出て自由となる事も可能なのだ。故郷に帰るもよし、この街に残って別の仕事を探すもよし…だが、裏を知ってしまったが最後、お前はそんな自由な選択をする事など出来なくなるだろう。この先の人生全てをこの研究所に縛られてしまう事になるのだ。ここはお前のような真っ直ぐな人間がいるべき所ではない。それはお前自身もう気付いている事だろう?」
「……そうですね。確かに仰る通り、私はここにいるべきではないのではと思い始めていました。辞めようと考えているのも事実です。でもそれは今じゃない。辞めるにしてもそれはクラトス様の無事を最後まで確認した後の事です。」
「クリス…」
「あなたは、こんなドジで間抜けで何の取柄もないと思っていた私にもちゃんと長所はあるのだと教えて下さいました。そのお陰で自己嫌悪の塊だった私もほんの少しですが自分に自信を持つ事が出来たのです。だから私はその恩人であるあなたに何かをしてあげたい。あなたがこんな軟禁状態に置かれている今だからこそ、あなたの役に立ちたいのです。」
 クリスからの真っ直ぐな視線を受け、目を伏せるクラトス。
「……お前の気持ちは嬉しいが、私はもう何もする気はない。」

 そもそもこんな状態で何が出来る?ミトス達は囚われ、私は厳重な監視下に置かれ身動きが取れない。
 私がもう少し早くに決断出来てさえいれば、こんな事にはならなかっただろう。そうすれば今頃ミトス達はまだ旅を続けられていただろうし、彼等を逃がした咎を私一人が負えばそれで済む事だったのだ。
 だが今更悔やんだ所でどうにもならない。もう時は本来行き着く場所であった目的の地へと向かって動き出してしまった……そう、全ては終わってしまったのだ。

 そうやって己を責めながら辛そうに目を伏せたクラトスをクリスはしばし見詰めていたが、やがて静かに口を開いた。
「…クラトス様。あなたは私が何の為にここに来たと思っているのですか?」
「え?」
「プロット様はあなたをここに閉じ込める事により動きを封じたつもりでいるようですが、それは間違いだ。確かにあなたは身動きが取れない状態にある。でも、あなたには私がいるではありませんか。私があなたの代わりに動きます。私などでは頼りないと思われるかもしれませんが、精一杯、あなたの目や耳、手足の代わりになるよう努めます。その為に私は来たのですから。ですからどうか諦めないで下さい。あなたは自由を奪われてなんかいない。今まで通り、なんだってやる事が出来るのです。」
 クリスの言葉に目を見開くクラトス。
 それでもクラトスは迷っていた。もちろんクリスの真剣な思いは痛いほどに伝わって来た。しかし、だからこそ、これ以上彼を巻き込む事に躊躇いを覚えてしまうのであった。
 そんなクラトスの気持ちに気付いたのであろう。クリスは言葉を継いだ。
「クラトス様。あなたが私の身を案じて下さるのはとても嬉しく思います。でもそれでは私がここに来た意味がなくなってしまう。例え私の裏切りがプロット様に知られる事となり、あなたの仰る通り罰を受けこの先ずっと研究所に残らねばならなくなったとしても、私はそれを甘んじて受けるつもりです。決して後悔など致しません。それぐらいの覚悟がなければそもそもここには来ていないでしょう。」
「……」
 クラトスは立ち上がると再び窓辺に行き、そのまま何か考え込むようにじっと外の景色を眺め始めた。クリスは黙って彼が決断するのを待った。
 長い沈黙の後、クラトスがポツリと呟く。
「…まだ、終わってなどいなかったのだな。」
「クラトス様…。」
 クリスにはその言葉の意味がすぐに分かった。
「ええ!ええ、そうですとも!確かに彼等は捕まり、研究所へと連れて来られてしまいましたが、まだ何をされたというわけではありません。だから今からでも十分に間に合います!」
「…そうだな。お前の言う通りかもしれん。まだ諦めるには早いのかもしれないな…。」
 ゆっくりと振り返るクラトス。
「だが、お前はそれで本当にいいのか?」
「私の心は決まっております。なんでも仰って下さい。」
「そうか。有難う、クリス。…ならば一つだけ頼みたい事がある。これから書く二通の手紙をブレイズに届けて欲しいのだ。」
「承知致しました。」
 嬉しそうに答えるクリスに小さく頷いてみせるクラトス。そして机に座ると早速手紙を認め始めたのだった。



 その頃、ブレイズは中庭からクラトスの部屋の様子を窺っていた。
 捕まったとはいえ、ファルスがクラトスを牢屋に入れる事はないだろう。そこまでせずともクラトスがアマンダを放って一人逃げ出す事など出来ないのを十分に分かっているからだ。例え今回のクラトスへの処置がプロットの独断によるものだったとしても、牢に入れるまでの権限は奴にはない。事実上研究所の実権を握っているとはいえ、プロットはあくまでファルスの使用人であり、クラトスより下に位置している事に変わりはないのだ。
 思った通り、クラトスは牢ではなく自室に軟禁される事となった。先程から何度か窓辺に立つクラトスの姿を確認しているからそれに間違いはない。
 しかし厳重な監視下に置かれており、如何に彼の側近であるブレイズでも迂闊に近付く事は出来ないでいた。それでも牢よりはましなのかもしれないが…。
「くっそお…なんとかしてクラトスに接触したいのだが、どうしたものか…。」
 そんな風にブレイズが思案に暮れていると、近くを数人の兵士が慌ただしく駆けて行くのが見えた。

 「おい、どこへ行った?」
 「向こうだ。向こうに隠れていたようだぞ。」
 「よし。逃がすものか!」

 不思議に思ったブレイズがその一人をつかまえて問い質してみると、どうやら所内に不審者が忍び込んだらしい。
「不審者?」
 なんだか嫌な予感がしたブレイズは彼等の後を追ってみたのだが、嫌な予感ほど的中するものらしい。案の定そこにはグランがおり、兵士達に囲まれていたのであった。
「ちょ、ちょっと待った〜〜!」
 グランが今にも剣を抜きそうだと見て取るや、ブレイズは慌ててそう叫ぶとつかつかと歩み寄った。そしてグランに向かって、
「まったくお前はこんな所で何をやっているんだよ!」
「え?…ブレイズ様、この男とお知り合いで?」
 顔を見合わせる兵士達。
「俺としては正直お知り合いにはなりたくなかったんだけどね。」
 不思議そうな視線を向けてくる兵士達に大袈裟に肩を竦めてみせるブレイズ。
「恥ずかしながらこいつは俺の部下だ。」
「は?部下?…しかしこのような奴は見た事がありませんが…」
「そりゃそうだろう。つい先日俺の下に配属されたばかりだからな。」
「そう…なんですか?」
 ブレイズの説明にもまだ兵士達は疑わし気な様子である。
「ま、信じられないのも分かるがな。見るからに間抜けそうなおっさんだし、俺自身夢だと思いたいぐらいなんだから。なにしろこいつときたら、見かけ通りの大間抜けでやる事なす事失敗ばかり。配属されてまだ間もないというのに、何度尻拭いをさせられた事か!挙句の果てに不審者と間違えられるたあ、ホント、呆れて言葉も出て来ねえよ。だが、恩人の知り合いの知り合いの知り合いのそのまた知り合いの知り合いからの紹介とあっては無下に断る事も出来ねえ。分かるだろう?俺の微妙な立場。」
「は、はあ…」
「てぇわけだから、こいつは俺が引き取っても構わねえよな?」
 コクコクと頷く兵士達。どうやらブレイズの怒濤の如き話し方にすっかり飲まれてしまったようである。
「それじゃあ遠慮なく。すまなかったな、騒がせてしまってよ。」
 ブレイズはニッコリと笑ってそう言うと、呆然としている兵士達を残し、グランを連れ去ってしまったのであった。


 誰もいない所まで逃げてくると、グランがクスクスと笑いながら口を開いた。
「それにしても見事な話術だったな。煙に巻くとはああいう事を言うのか。しかしあのプロットという男だけでなく君にまで言われるところからすると、どうやら私は相当間抜けな顔をしているようだな。」
「おいおい、笑いごとじゃねえよ。確かに間抜け面とは言い過ぎだったかもしれねえが、こっちも必死だったんだ。ばれやしねえかと冷や汗ものだったんだぜ。」
「いや申し訳なかった。おかげで助かった。」
「でも何であんた戻って来たんだよ。別れ際に俺は危険だからここには来ない方がいいと忠告した筈だぜ。」
「それは私だって考えたさ。しかしこのシルヴァラントは私の故郷で、この地を再び踏む為に私は旅をして来たのだ。だからその目的の地を目の前にして、どうしても引き返す気にはなれなかった。それにちょっと気になる事があったものでね。」
「気になる事?…ミトス達の事か?それともクラトス?」
「そのどちらをも含む事…かな。」
 言葉を濁すグラン。
「ふ〜ん…」
 ブレイズは意味ありげな様子でグランを見たが、それ以上の事は敢えて聞こうとはしなかった。
 二人の間に微妙な空気が流れる。
 すると…

「ああ、ブレイズ様。探しましたよ。こんな所にいたんですね!」

「クリス?…って、馬鹿、大声を出すな!こちとらこれでも隠れているんだからよ!」
「どうして隠れる必要があるんですか?」
 相変わらず喚きながら走って来たクリスは、グランの姿を認め目を丸くした。
「あれ、グランさん?どうしてここに?」
「だ〜か〜ら〜っ!!」
「あ…す、すみません。」
 ブレイズに睨み付けられ慌てて声を潜めるクリス。幸い他の者は気付いてはいないようだった。いや、気付いても知らぬふりをしているのか…。いずれにせよ、他人には無関心というこの研究所の雰囲気に救われた事になるのだろう。
「で、何でグランさんまでがここにいるんですか?……あ、そうか。あのハーフエルフ達が心配だったわけですね。それなら大丈夫です。彼等はまだ無事ですから。」
「まだ?」
 眉を顰めるグラン。
「ということはこの先はどうなるか分からないという事かね?」
「あ…ええと…」
 ブレイズはクリスの頭をぽかりと殴った。
「ったく、仕方ねえな。まあいずれは分かっちまう事なんだけどな。」
「どういう事かね?」
「…あんただって長い間諸国を旅して来たんだ。狩られたハーフエルフがどのような道を辿るかは嫌というほど見て来ていると思うけどね。」
「……」
「で?お前は何しに来たんだよ。」
 黙りこんだグランを見て僅かに溜息を突くと、ブレイズは今度はクリスへと視線を移した。
「何だか俺に用があるみたいだったが?」
「え…あ、そうです。クラトス様から手紙を預かって来まして…」
「クラトス様から?」
 クリスは懐から大事そうにその手紙を取り出すとブレイズに渡した。
 クラトスからの手紙は二通あり、一通は自分宛、もう一通はスティルに宛てたものだった。
 スティルはクラトスの祖父母の元で暮らしていたのだが、二人とも他界してしまった事で、現在はハンナと共に空家となったファルス邸に住み込みそこの管理をしている。
 そんなスティル宛ての手紙が何故同封されているのか不思議に思ったものの、取り敢えずブレイズは自分宛ての方の封を切ると、中に目を通した。
 その表情は全く変わる事はなかったが、正直ブレイズはその内容に驚きを覚えていた。
 山頂で別れた時のクラトスは全てに絶望し諦めきった様子であった。それにも拘らず、この手紙に記されている言葉の一つ一つは明らかに前進を示しており、あの時のクラトスからは想像出来ないものだったのである。
 ジロリとクリスを見やるブレイズ。

 変えたのはこいつか?
 こいつがクラトスを再び奮い立たせたというのか?

 その鋭い視線を受け、クリスはどぎまぎしてしまった。
「あ、あの…何か私の顔についてます?」
「いんや、別に。」
 クリスから視線をはずし考え込むブレイズ。

 信じ難い事ではあったが、こいつの言葉によってクラトスは心を動かされた事に間違いはないようだ。そしてあいつはこのクリスを信じた…。そうでなければこのような重要な内容の手紙を託す筈がない。
 俺からすればクリスなんて馬鹿正直なだけの男で、なんとも危なっかしく思えてしまうんだが、クラトスの人を見る目は確かだ。クラトスが決めた事に俺が反対する理由もねえし、ここは一つ、俺も信用してみる事にするか。

 ブレイズにとってクラトスの意思は絶対であり、よって決断も早かった。
「クリス!」
「は、はい。なんでしょう。」
「お前、ファルス邸の場所は知っていたよな?」
「ええ。何度かあそこの倉庫に資材を取りに行った事がありますから…。何か必要なものでもあるのですか?」
「取りに行くんじゃねえ。届けに行ってもらいたいんだよ。」
「え?…でもあそこにはもう誰も住んではいないのでは?」
「確かにファルス様一家は皆あそこを引き払いこの研究所に移ってきたが、管理人が残っているだろう。お前だって行った事があるなら分かっている筈だ。」
「ええ、それはもちろん知ってますよ。ハンナさん親子が住み込んで管理しているんですよね。でも、今はあの親子に呑気に届け物なんてしている場合ではないのでは?」

 親子じゃねえんだけどな…。ま、この際そんな事はどうでもいいか。

「大切か大切じゃねえかなんてお前が判断する事じゃねえ。そうだろ?一々文句を言うんじゃねえよ。これはクラトスからの指令なんだ。この手紙を息子のスティルに届けてほしいんだよ。」
「は、はい。分かりました!」
 クラトスの指令とあってはクリスに文句などある筈もない。恭しく手紙を受け取った。
「大至急だぞ。馬を使え、馬を。お前だって馬ぐらい乗れるだろう。」
「ば、馬鹿にしないで下さい!」
 クリスはブレイズを睨み付けそう叫び返すと、大急ぎで走り去って行ったのだった。

「だから大声を出すなって〜の。」
 クリスを見送りながら苦笑を浮かべるブレイズ。
 そんなブレイズに、グランが尋ねてきた。
「で、君はどうするのかね。」
「ん?俺は拘束されているクラトス様の代わりにミトス達を逃がしに行くつもりだが。」
「!!…しかし、彼等は牢に入れられているのではないのか?」
「いや、鍵のかかった部屋に閉じ込められているだけのようだ。魔封じのリングを取りつけられている事もあってか、クラトス様程の厳重な監視下に置かれているわけではなく、見張りの数も少ない。抜け道はいくらでもあるさ。もっともこれはクリスの情報によるもので、それを信じればの話だけどな。」
「だが、もし見つかったら?君の立場が悪くなるのではないのかね。」
「俺の立場?…んなもの、今だって十分良くねえよ。ファルスにとって俺は目の上のたん瘤だからな。クラトス様とアマンダ様の擁護がなけりゃとっくの昔に首にされて、今俺はここにはいないだろうよ。」
「……」
「てわけだから、俺はこれからミトス達の元へ向かうが、あんたは早くここから出た方がいい。俺が一筆書くからよ。それを警備兵に見せりゃ出られる筈だ。」
「待ってくれ。私も一緒に連れて行ってくれ。言っただろう?私は自分の目で確かめたい事があると。」
「それで捕まっちまったって俺は知らねえぜ。あんたの事はクラトスの手紙には書かれていないから助ける義理もねえしな。」
「分かっているさ。自分の身は自分で守る。だから頼む、連れて行ってくれ。」
 ブレイズはグランの真剣な目を見詰めしばし考えていたが、やがて肩をすくめると素っ気なく言った。
「…好きにするがいいさ。」
「有難う。」
「礼なんかいいよ。時間がねえんだ。とっとと行くぞ。」
 こうして二人はミトス達が拘束されている部屋に向かって走り出したのだった。


 「こっちだ。」
 建物の中は、中で行われている実験データが外部へ漏れないようにする為に複雑な造りとなっていた。しかしブレイズの頭の中にはその構造が全て入っているのだろう。入り組んだ廊下を迷う事なく進んで行く。
 やがて一室の前に辿り着いたブレイズは、辺りに人気がないのを確認すると針金状のものを取り出してカチャカチャと鍵を弄くり始めた。
「クリスの情報によるとこの部屋になるんだが、これで中に全くの別人がいたら笑うっきゃねえよな。」
「まるで泥棒だな。」
「似たようなもんだろうよ……よし、開いたぞ。」
 再度辺りに気を配り、中へと滑り込む二人。クリスの情報に間違いはなかったようで、そこにはミトスとユアンがいきなり入って来たブレイズ達に目を丸くして立っていた。
「な、なんなんだ、お前ら。一体どこから…」
「シ  ッ、静かにしろ。助けに来たんだ。ここから抜け出すぞ。」
「助けに?…でも駄目だよ。姉様がどこかへ連れて行かれたきり戻らないんだ。」

 !!…適性検査をしているのか。

 これはミトス達は知らない事だが、実は今回のハーフエルフ狩りのターゲットはマーテル一人だったのである。 アマンダの意識を確実に移し替えるには、彼女と類似するマナを持っている者の肉体を使う必要があった。その器を探し出す為に、研究所からはマナの探知機を持った多くの調査員が放たれており、その中の一つがマーテルのマナを感知したのであった。
 今までマーテル程、アマンダに近いマナを持った者は現れなかった。何年もかけてようやく見付けたその貴重な器に失敗は許されず、それで念には念をいれ検査が行われているのだろう。
 だとすれば、今の時点ではマーテルも一緒に逃がすというのはちょっと難しいかもしれない。しかしそれでもこの二人だけは逃がす事が出来る。彼女の事はきっとクラトスが何か方法を考え出してくれる筈だ。
 ブレイズはそう考えたのだが、この二人は自分達だけ逃げる気など全くないようだった。
「姉様を置いて逃げるなんて出来ないよ。」
「彼女は後で必ず逃がす。だからお前達は先に脱出して待っていてほしい。」
「それを信じろと?…馬鹿な。私達を悪魔に売り渡した張本人であるお前とクラトスの言う事などどうして信じられる。」
「売り渡しただと?」
 ブレイズの顔が強張る。
「…本当にお前らそう思っているのか?」
「僕は信じていたよ。兵士に取り囲まれた時だって、きっとクラトスさんが助けてくれるって信じていた。でも結局クラトスさんは助けてくれるどころかユアンに剣を向けて来たじゃないか。その裏切りの所為で僕達は反撃の機会を失って、こうして囚われてしまったんだ。」
「だから信じられないと?…冗談じゃねえ。お前ら、誰のお陰でこうしてここに五体満足で立っていられると思っているんだ!」
「え?」
「あの山頂でお前達は弓に狙われていた事に気付かなかったのか?もしあの時クラトスが飛び出していなかったら、お前らは弓に射られて死んでいたところだったんだ。」
 ミトス達は目を見開いた。
「嘘…だって…」
 信じられないといった様子のミトス達の前にグランが進み出る。
「ミトス君。彼の言う事は本当だよ。あの時、ほんの微かだが弓を引く音が聞こえた。クラトス君達が的である君達や私の前に飛び出してきたお陰で放たれる事はなかったのだ。」
「そんな…だとしたら僕はクラトスさんに酷い事を言ってしまった…」
「ミトス、騙されるな!例えこいつらの言う通りだとしてもだ。あのクラトスが本当に私達を助けるつもりで飛び出して来たかは分からんではないか。単なるフェークだったかもしれん。」
「そんな事をしてクラトス君に何の得があると言うのだね。下手をすれば自分が撃たれてしまっていたかもしれないんだぞ。」
「だからそれがあいつの狡賢いところなんだ。」
「何故そうも彼の事を否定するのかね。彼は…」

 「もういいっ!止めろ!!」

 白熱した議論を展開していたユアンとグランは、ブレイズの声にハッとして振り返った。
「…俺としてはさ、正直言っちまえば、あんたらがどうなろうがどうでもよかった。それでもクラトスが望んだから、こうしてここまで危険を冒してやって来たんだ。だが、あんたらがクラトスを信じられず、あいつの手引きではここから逃げたくないと言うのなら仕方がない。俺はそのままをクラトスに伝えるだけの事さ。」
「フン、クラトスが望んだからだと?だったらお前はあいつが望めばその気がなくてもなんだってやると言うのか?」
「ああ。俺はあいつの命令とあればどんな無茶な事だって黙って従うよ。」
「まるで奴隷だな。ならば奴が死ねと言えば、お前は死ぬのか!」
「死ぬだろうね。あいつがそう望むのなら。」
 何の躊躇いもなくそう答えたブレイズに、他の三人は思わず顔を見合わせた。
「お前らは何にも分かっちゃいないんだよ。クラトスが今までどんな思いで生きて来たのか…お前らを助けるという事があいつにとってどれだけ苛酷な選択であったのかも…。
 そう、お前らは何も知らないんだ。だからあいつを誤解したとしてもそれは仕方がない事なのかもしれない。だがな、こんな事は言いたくはないが、あいつはお前らに逃げるようちゃんと忠告した筈だぜ。それをお前らが聞こうとしなかっただけだろうが。それで捕まっちまったんだから、言ってみればこうなったのもお前らの自業自得って事だ。それなのにあくまでお前らはあいつを裏切り者扱いするつもりなのか?全てをあいつ一人の責任にしちまうわけか?
 ま、そう思いたきゃ思えばいいさ。その結果お前らがどうなろうが、こちとら痛くも痒くもないからな。だが俺はクラトスに言われた事だけはきっちりと果たしたい。だからもう一度だけ言うぜ。これが最後だ。お前らは逃げる気があるのか?それともないのか?時間がねえんだ。とっとと答えてもらおうか。」
 そう一気に言ってのけたブレイズを、ミトスはじっと見詰めた。
 彼の言う事は真実であり、それだけにその一言一言が胸に突き刺さって来ていた。
 確かにクラトスは別れようと言って来たのに、それを拒絶したのは自分だったのだ。あの兵士に囲まれた時だって、クラトスはなんとか自分達を助けようとしてくれていた。
 それなのにそんな彼の努力を分かろうともせず、自分達は彼を裏切り者扱いして責め立てたのだ。彼が最後に浮かべたあの何とも言えない悲しげな顔が今の事のように蘇ってくる。

 僕は口ではあれ程信じていると言い続けてたのに、結局は最後の最後で彼の事を疑ってしまった…。
 裏切ったのは彼ではない。自分達の方なのだ。
 それなのに彼はこうして再び救いの手を差し伸べてきてくれた。だったら僕達は…。

「ねえ、ユアン。僕、クラトスさんを信じるよ。先に行って姉様を待っている事にする。いいよね?」
 ユアンから返事はない。だが、それが彼にとっての精一杯の肯定である事をミトスは理解していた。ユアンとて自分の間違いに気付き悔やんでいるのだ。
 そこでミトスはブレイズに向かってこう答えたのだった。
「一緒に行きます。どうか僕達を逃がして下さい。お願いします。」

 しかしそれは遅すぎる決断であった。
 その言葉が終るか終らないかのうちに彼等の背後から声が聞こえて来たのである。

「おやおや、これはこれは。ブレイズ様がここにいるとは意外でしたな。皆さんお揃いでなんの相談ですか?」

 突然聞こえて来たその声に一同がギクリとして振り返ると、戸口に声の主であるプロットがファルスと共に立っていたのであった。
 チッと舌打ちするブレイズ。
 ふと気付くといつの間にかグランの姿が消えている。さりげなく部屋の中を見回すと、物陰に隠れている彼を発見した。どうやら彼等の訪問に逸早く気付いて、咄嗟に身を隠したようだ。気付いたのならこっちにも教えて欲しかったが、恐らくその間もなかったのだろう。だが、彼だけでもうまく隠れる事が出来た事は不幸中の幸いであった。ここで彼までもが見付かってしまっては余計にややこしい事になってしまうだろう。
「またお前か。ちょろちょろと目障りな男だ。」
 ブレイズに向かって吐き捨てるように言うファルス。
「フ…だが、まあいい。何故お前がここにいるのかは敢えて問わずにおくとしよう。そんな事よりも今は私の用事を片付ける事の方が先だからな。」
 そう言って視線をミトス達に移すファルス。
「お姉さんに会わせてあげよう。」
 すると廊下から兵士に連れられたマーテルが姿を現した。
「姉様!」
 駆け寄るミトスを兵士は押さえようとしたが、それをファルスが目で制した。
「よかった。無事だったんだね、姉様。」
「ええ。私なら大丈夫よ。」

 今度は何を企んでいやがるんだ…。

 無表情のファルスを見ながらそっと呟くブレイズ。
 ファルスにとってはマーテルをこのままミトス達から引き離しておいた方が都合がいい筈なのだ。それをこうして会わせたからには何か目的があるに違いない。
「見たまえ。美しい姉弟愛だ。なんとも言えない感動的なシーンではないか。」
 考え込んでいるブレイズを横目に大袈裟に叫んでみせるファルス。
「さて、感動の対面も果たした事だし、これから君達に研究所を案内してあげようと思うのだが、どうだね?」
「研究所を?……そんな事には興味はないよ。それより僕達を今すぐここから出してほしい。」
「まあまあ、そう言わずに。設備の整った自慢の研究所を見てもらえば、きっと君達もここが気に入る筈だ。今回は君達の為にスペシャルメニューを用意してあるのだ。普段はこの研究所の者さえ見る事が出来ないその目玉商品を君達には特別に見せてあげよう。」
 それでもミトスとユアンはあくまで拒絶するつもりだった。
 ところが…
「分かったわ。その目玉商品とやらを見せてちょうだい。」
「!!…お、おいマーテル?」
「私、知りたいのよ。何故私達が捕らわれなければならなかったのか、この人達が一体何をしようとしているのか…それは私達の理想の実現に大きく関わって来る事のような気がする。だから私達は知る必要があると思うの。」
 マーテルの決意は固いようだった。
 マーテルは普段から控え目で、出過ぎた態度を取る事はなかった。だがだからと言って決して弱い女性という訳ではない。それどころか一度こうと決めたらそれを貫き通す強さは三人の中で一番なのであった。
 良く言えば意志の強い女性。悪く言えば頑固者と言ったところか…。
 こうなったら最後、マーテルは梃子でも動かない事を知っているだけに一様に戸惑ったような表情を浮かべるミトスとユアン。
「フフフ。このお嬢さんは二人の男性陣と違って肝の据わったお方のようだ。私は好奇心旺盛な人物は好きですよ。さあプロット、了承は得られたようだし、案内して差し上げなさい。」
「はい。かしこまりました。」
 プロットは恭しく頭を下げると、三人のハーフエルフ達を連れ部屋を出て行った。それを見送りながら、ファルスは一人の兵士を呼び寄せると何やら小声で指示を下した。兵士は黙って頭を下げると退出して行く。
「てめえ、何を企んでいる?」
 その声にブレイズへと視線を戻すファルス。
「おお、そう言えばお前もいたのだったな。私が何をしようとしているのか知りたいか?ならばお前も一緒に来るが良い。面白いショーが見られる筈だ。」
 愉快そうに笑みを浮かべるファルスを、ブレイズは睨み付けた。

 ファルスが何を考えているのかは分からない。だが、それがクラトスに関わるものである事は容易に想像出来た。
 恐らく先程の兵士はクラトスを呼びに行ったのだろう。その目玉商品とやらの前でミトス達と引き合わせて一体何をするつもりなのだろうか。

 待てよ…目玉商品?

 ハッとするブレイズ。
「まさかてめえ、ミトス達にあれを見せるつもりじゃねえだろうな!?」
「あのお嬢さんが言ったように、彼らには全てを知る権利がある。そうではないかね?」
「しかし、あれは…」
「どういうわけかクラトスはあのハーフエルフ達にやけに肩入れしているようだが、その時の彼らの反応を見れば目も覚めるだろう。クラトスが奴らのどこに惹かれたのかは分からんが、所詮彼らとてハーフエルフである事に違いはないのだ。見せる反応は同じものだろう。」

 いや、それだけではないとブレイズは思った。
 この男はミトス達にも全てを話すつもりなのだ。それを知った時、果たしてミトス達はクラトスの事をどう思うだろう…。こいつは折角芽生え始めた両者の信頼関係を壊そうとしているのだ。
 ファルスは以前にも同じような手を使い、クラトスから友人を奪い取った事がある。そうやって近付くもの全てを排除して孤独へと追い込み、クラトスが自我を確立し自立する事を阻んで来た。

 だがそういつもいつもうまく事が運ぶとは思うなよ。

 ミトス達の存在はクラトスが自らの翼で羽ばたいて行く事に必要不可欠な存在だと考えていた。だからこそ彼らとの出会いをなかった事にしてはならない。

 「分かった。俺も一緒に行かせてもらうぜ。」

 ブレイズは決意を胸に秘め、ファルスに挑戦的な目を向け答えたのだった。



 こうして全員が部屋からいなくなり、それを見計らってグランも部屋から抜け出した。しかし来た時にはあったブレイズの案内は今はなく、彼は迷路のような建物の中ですっかり迷ってしまっていた。
「参ったな…。」
 廊下を進みながら呟くグラン。
 自分以外の全員が敵の手中に落ちてしまったような現状では一旦外へ出て対策を練り直すのが最良だと考えたのだが、どこをどう間違えたのか、思惑とは別にどんどん奥へと向かってしまっているようなのである。
 そうこうしている内に、角の向こうからこちらへとやってくる足音が聞こえて来た。恐らく警備兵のものだろう。慌てて引き返そうとしたものの、背後からも同じような足音が聞こえて来て、どうやら挟まれてしまったようであった。 直線状の廊下での事で、むろん身を隠す場所などなく、グランは途方に暮れてしまう。しかしここで見つかり、自分まで捕まるわけにはいかなかった。
「え  いっ、儘よ!!」
 半ばやけくそに、近くに一つだけポツンとあったドアを開けて中へと滑り込むグラン。幸いそこに人の姿はなく、程なくして「異状なし!」と言葉を交わし合う兵士達の声が聞こえてくる。
 まさに間一髪の所であった。
 扉に張り付くようにして息を潜めていたグランは、再び遠ざかって行く足音を耳にしながらホッと息をついた。
 ところが…

 『誰かそこにいるのですか?』

 突然聞こえて来た女性の声にギクリと身を震わすグラン。

 馬鹿な…ここには誰もいなかった筈だ。

 声の正体を確認するべく振り返ったグランであったが、そこには何やらわけの分からない装置が一つデンと置かれているだけでやはり人の姿など見当たらない。
「空耳か…ちっ、俺とした事が随分とビクついていたものだ。しかしこの機械は一体何だ?見た事がないものだが…」
 ゆっくりと装置へと近付いて行くグラン。
 すると突然装置が作動し始め、なんとその上部に女性の映像が現れたのである。
「なっ…!?」
 グランの顔に驚愕の表情が浮かぶ。
 それは女性の方でも同じだったようで、彼女は信じられないといった様子で目を見開くと思わず叫び声をあげたのだった。
『あ…あなたは!!』
 その顔には、まるで幽霊でも見るかのように、不安や期待、驚きなど全ての感情が入り交じったなんとも言えない複雑な表情が浮かべられていた。
 そして続いてグランから発せられた言葉も実に意外なものであった。
 彼は女性の映像を見詰めながらこう言ったのである。

 「予想外の形ではあったがようやく会えたようだ……久し振りだな、アマンダ。」


−囚われし者達 終−