誓いの指輪
「え〜、また出かけちゃうの!?」
支度を整え、剣を腰に差したクラトスを見てアンナがごねた。
「仕方なかろう。仕事をせねば生活できんのだから。」
ここのところ毎日のように交わされる二人の会話。
今二人は、小さな一軒家で一緒に生活をしていた。
アンナがこの世界に残ることとなり、しばらくはダイク家に二人でお世話になっていた。しかし、いつまでも厄介になっている訳にもいかないだろうとクラトスが新居を探してきたのだった。もちろんダイクはそんな事気にする必要はないと言ったのだが、元来生真面目なクラトスは、素直にその好意に甘える事が出来なかったのである。
二人がここに住み始めてはや三ヶ月が過ぎようとしていた。
未だ少女のような結婚生活を夢見るアンナと、とことん現実主義者のクラトス。この相反する思想の持ち主である二人は、事あらば衝突を繰り返していた。そして今日も今日とていつもの喧嘩が始まったわけなのだが…
「だって、毎日仕事だって出かけてばかりじゃない。たまには二人で一日のんびりと過ごしましょうよ。」
「仕事とは毎日するものだ。」
「クラトスの場合昼も夜もでしょ。クラトスは天使で食事の必要はないんだし、私だって半分竜になっちゃったからそう毎日食べなくても大丈夫なのよ。生活用品だって、ダイクさんがくれたもので粗方用は足りてるわ。二人だけなんだし、そんなにあくせく働かなくたってやっていけるわよ。」
そう、クラトスはどういう訳か最近昼夜を問わず働いていたのだ。アンナにはそうまでして働くクラトスの考えが理解できなかった。
「分かったわ。クラトスは本当は私と暮らすのが嫌なんでしょう。私と一緒に居たくないから出掛けてばかりなんだわ!」
「何故そうなるのだ。誰もそんな事は言ってはいないだろうが。」
「だって、そうとしか考えられないじゃない。いいわ。クラトスがそう思っているのなら私、この家を出て行く!」
「!!……出て行きたければ出て行けばいい。勝手にしろ!!」
「うわあああああ〜〜〜!!」
そしてとうとうアンナは泣き叫びながら家を飛び出して行ってしまった。
クラトスは、そんなアンナを追おうとはせず、大きな溜息をついたのだった。
「ふ〜ん、そんな事があったのか。」
アンナの話を一通り聞き終えると、ロイドが言った。
「そうなのよ、酷いと思うでしょ。クラトスは私の事なんかどうでもいいんだわ。その証拠に探しにも来ないじゃない。」
クラトスが探しに来ないのは、アンナの家出先といったらこのダイク家しかないと分かりきっているからで、折を見て迎えに来ればいいと考えているからだろう。
この場にいるロイドもダイクもそれが分かってはいたが、敢えて口には出さなかった。
「私達って、一応新婚なわけでしょう?それなのに…」
「そう言えば、二人は結婚式もまだだったよな。」
「…それはいいの。式なんて挙げなくても別に構わない。私は、ただクラトスの傍にいたかったからこの世界に残ったわけだし。でも、今の状態ではそれさえも叶わないのよ。一日中いつだって一人ぼっち。だんだん虚しくなってくるの。」
「それは分かるけどさ…でも、クラトスだって何か考えがあるんだろうし。」
「考えって何?一体どういう考えがあるっていうのよ。」
「それは…」
アンナの勢いに思わず口ごもってしまうロイド。
すると、そんな二人の会話にダイクが口を挟んできた。
「こんなこたあ言いたくはないんだけどな。アンナさんもちょっと我儘が過ぎるんじゃないのかい。クラトスさんは二人の生活の為に一所懸命働いているんだ。そのクラトスさんにあんたは何かしてやったのかい?自分は相手に何もしてやってないくせに文句ばっか言うのはちょっと違うと思うがな。夫婦って言うのはな、お互いを信じ合い助け合って行くものだと俺は思う。相手に何かを求めるんだったら、まずはあんたから何かやってやる事だ。文句ばっかり言っていても何もはじまらねえぜ。」
「……」
ダイクの言う事はもっともな事だった。アンナには思い当たる事が多々あり、一言も言い返せなかったのである。
しばらく考えこんでいたアンナは、ポツリと言った。
「…私、料理を習おうかな。」
「え?」
「ほら、私って、料理が下手でしょう?だから今はクラトスが料理してるのよね。ダイクさんの言う通りだわ。私、彼に頼り切っていた。せめて料理ぐらいは上手く出来るようになって、彼に美味しい料理を食べさせてあげたい。」
「そりゃあいいかもしれねえな。」
「あ、だったらさ、アルタミラの料理教室にいけばいいよ。」
「アルタミラ?」
「うん。リーガルがスポンサーの教室でさ、俺、この間リーガルに受講料割引のチケットを貰ったんだ。あれを使えば受講料が半額になるし、能力別の少人数制だから、アンナさんも安心して通えるよ。」
「でも、もらっちゃっていいの?なかなか手に入らないものなのでしょう?」
「構わないさ。だって、俺も親父も料理教室なんて縁のないものだからさ。」
そう言って、ロイドとダイクは笑顔で頷いたのだった。
こうして、翌日からアンナは、アルタミラの教室に通い始めた。
無論、クラトスには内緒であった。毎朝、クラトスを仕事に送り出してから、急いで自分も支度をして教室へと向かう。アルタミラまでは結構距離があったが、ロイドがレアバードを貸してくれた為さして苦にはならなかった。
こうした日々が続いたある日の事、いつものように教室を終えてビルを出て来たアンナは、クラトスの姿を見かけたのだった。彼には似つかわしくない店の前に佇み、じっとショーウインドーを見詰めている。
「クラトス?」
アンナは物陰に身を寄せてしばらく様子を窺っていたのだが、結局クラトスは店の中には入らずに、そのまま行ってしまったのだった。
「何を見ていたのかしら…」
すぐさま店の前に駆け寄り、同じく中を覗いてみるアンナ。すると、丁度奥へ品物を引っ込めようとしていた店主と目が合ってしまった。店主はその品を手にしたまま店の外へと出て来た。
「……あの、それ…」
「お客さん、この品をお望みで?すみませんねえ。これはもう買い手がついてしまったもので。」
「買い手ってもしかして、あの人?」
まさかと思いながらも、アンナは去って行くクラトスを指差した。
「お客さん、あの方のお知り合いで?」
ふ〜ん、という感じでアンナを見る店主。
「成る程、そういう事ですか。」
「そういう事って…?」
「え?ご存じなかった?…まいったなあ。言っちまっていいのかどうか…」
「教えて下さい。お願いします。彼にはあなたに聞いたとは言いませんから。」
店主はそれでもしばし迷っているようだったが、やがてぽつりぽつりと話しだした。
「…三週間ぐらい前かなあ。あの人が店にやってきて、この品はいくらだって聞いてきたんです。お答えしたところ、あの人はしばらく考えていましたが、何も言わずに出て行ってしまったんです。そういうお客さんって結構いるものでね。私も別段深く考えなかったんです。ああ、買う気がなかったんだなって思っただけで。ところが、その翌日からあの人が毎日のように現れるようになったんです。といっても、店に入ってくるでもなく、ただそこのウインドーから覗いているだけなんですけどね。私にはそれが、この品がまだあるか確認に来ているかのように見えました。」
「でもさっき買い手が決まったって…」
「ええ、決めましたよ。あの人に売る事にね。実は先日、いつもは入ってこないあの人が店の中に入って来られたんですよ。どうした事かと思っていたら、二つの内一つだけを売って貰えないかと聞いてきたんです。お金も少し日はかかるが必ず持ってくるから、それまで売らないでとっておいて欲しいってね。この品は見ての通り二つセットで売っているのですが、どうやら、この値段ではどうしても手が届かなかったらしい。私は当然迷いましたよ。あの人がどこまで本気なのか分からなかったし、一つだけ売っちまうと商品価値が下がっちまいますからね。それで、返事を延ばし延ばしにしていたんですが、すると、今さっきもあの人が来てるじゃないですか。私はこれは本気なんだなって思いましたね。ですから、損を覚悟でお売りする事にしたんです。この品だって、本当に欲しがっている人の手に渡る方が幸せですからね。」
「……」
「くれぐれもあの人に私が喋ったなんて言わないで下さいよ。内緒にしていたのだったら私がそれをぶち壊した事になっちまう。」
「ええ、言いません。その代わりと言ってはなんですが、私からお願いがあるんですが。聞いてくれますか?」
アンナのあまりに真剣な目を見た、この人の良い店主は、思わず頷いてしまったのだった。
それから、更に十日ほどが過ぎた。
その日の夜、クラトスはいつもより早めに帰宅した。
玄関の戸を開け中へと入った途端、目に飛び込んできた光景に思わず固まってしまうクラトス。
キッチンのテーブルに、アンナがぐったりと突っ伏している。辺りには鍋や皿が散乱しており、まるで嵐が過ぎ去った後といった状態であった。
「どうしたのだ、これは?一体なにがあった?」
クラトスの声に顔をあげたアンナは、うわ〜〜ん!と泣きながら彼に抱きついてきた。
「貴方に美味しい料理を食べさせてあげようと思ったの。でも、ご飯は焦げちゃったし、卵もうまく割れなくてぐちゃぐちゃになったし、焼き魚も真黒になっちゃった…折角貴方を驚かそうと内緒で料理教室に通ったのに全然上手くなってなかった。」
本当に私って何やっても駄目ね、とすっかりしょげ返っているアンナ。
「……」
クラトスは、黙って荷物を置くと、手を洗ってキッチンに立った。
「クラトス?」
「卵は、ぐしゃぐしゃになっても食べられない事はない。」
クラトスはそう言って、中に入ってしまった殻を丁寧に取り除くと、カシャカシャとかき混ぜる。
「魚も焦げてしまった表面を削ぎ落として身をこうしてほぐしてしまえばいい。あとは…」
フライパンに油をひき、そこに卵を流し入れると、その上に焦げたご飯を入れた。
「ご飯も焦げてしまっても、こうして炒めてしまえば大丈夫だ。」
クラトスは、更にその中へほぐした魚を入れると、調味料を加えて味を調えて行く。
そして次に、残った卵を使って卵スープをつくり始める。
数分後には、テーブルの上に美味しそうなチャーハンと卵スープが並べられていた。
「…もう捨てるしかないって諦めていた失敗作が、こんなに美味しそうな料理に変身できるなんて。失敗した時の応用方法なんて教室じゃ教えてくれなかったもの。凄いわクラトス。」
「私は他人より長く生きているからな。経験が豊富なだけだ。」
「…それに比べて私は…こんなんじゃ、奥さん失格ね。」
落ち込むアンナを見て、クラトスは苦笑した。
「最初から料理が出来る者などいない。誰もが失敗を繰り返しながら上手になっていくんだ。これは料理に限った事ではないがな……ほら、早く食べなければせっかくの料理が冷めてしまうぞ。」
「そうだね。それじゃあ、いただきま〜す。」
アンナはニッコリとして食べ始めた。
「美味しい!!」
「そうか。」
クラトスは、しばらく美味しそうに食べているアンナを眺めていたが、やがて意を決したように話を切りだしてきた。
「…実はな、アンナ。今日はお前に渡したいものがあるんだ。」
そう言ってクラトスがテーブルの上に置いた小箱を手に取るアンナ。中には指輪が入っていた。
「結婚式も何もしてやれなかったから、せめて指輪をと思ったのだ。だが、指輪も結構高価なものだったのだな。すぐに買う事が出来ずに、今日まで延び延びになってしまった。」
「もしかして、この為に毎日夜遅くまで仕事をしていたの?」
クラトスはそれには答えず、困ったような笑いを浮かべると、話をそらすかのようにアンナの手の中の指輪を取り言った。
「どれ、はめてやろう。サイズは大丈夫だと思うのだが…」
「待って。」
そんなクラトスを止めるアンナ。クラトスの笑顔が不安そうな表情に変わる。
「…気に入らなかったか?」
「違うの。実は私からも貴方に渡したいものがあるのよ。」
そう言ってアンナが出してきた物を見て、クラトスは目を見開いた。それは彼が買って来たものとペアになっていたもう一つの指輪だったのだ。
「心配しないで。ちゃんとお金を貯めて買ったものだから。リーガルさんに頼んで、遊園地でアルバイトさせてもらったの。」
アンナは、必ずお金を貯めてくるからそれまで片方の指輪も誰にも売らないで欲しいと、店主に頼んだのだった。
「余計な事だとは思ったけど、私はどうしても貴方の分も欲しかったの。これは結婚指輪ですもの。二つがバラバラになってしまったら指輪が可哀そうだわ。」
「アンナ…」
アンナはニッコリと笑顔を浮かべると、手を差し出した。
「はめてくれる?」
クラトスは、指輪を手に取りアンナの指にはめた。アンナもクラトスの指にもう一つの指輪をはめる。
「フフフ…不思議ね、ピッタリじゃない。指のサイズ、お互いに知らなかったのにね。やっぱり、この指輪が私達の前に現れたのは偶然じゃなかったのよ。別々になりかけた二つの指輪がこうしてまた一つになって私達の指にはまっている。私ね、この指輪はなんだか私達の分身のような気がしてならないの。だからどうしても別々にしたくなかったのよ。」
「すまなかった、アンナ。本当だったらきちんとした式を挙げるべきなのに、その上指輪までお前に……私は…」
「何故謝るの?だって前に、二人で力を合わせて理想の夫婦になろうって約束したじゃない。何も卑屈になることはないわ。さっき貴方が私の料理の失敗を補ってくれたように、貴方に足りない所は私が補って行く。助け合うのは恥ずかしい事じゃないって貴方が教えてくれたのよ。結婚式の事にしたってそう。教会なんかじゃなくたっていい。誰もいなくたっていい。今この時が私達の結婚式。私は十分幸せよ。」
「我が家での二人だけの結婚式か…。そうだな。今の私達にはそれが相応しいのかもしれんな。」
「じゃあ、私達の結婚式の続きをやりましょうよ。」
アンナは、おどけた様に手を上げ言った。
「クラトス。汝は、私アンナを生涯愛し抜く事を誓いますか?」
「誓います。」
宣誓のあと、今度はクラトスが手を上げて言った。
「アンナ、汝は、私クラトスを生涯愛し抜く事を誓いますか?」
「もちろん、誓います!」
クスクスと笑い合う二人。
それから二人は、誓いの口付けを交わしたのだった。
余談だが、この一ヶ月後、二人はロイド達の計らいにより、正式な結婚式を挙げる事となる。
−誓いの指輪 完−